第35話 女怪ラミアーと囮になったワイナ

 表に出てこないかぎり、呪術師ムルングを倒す事は出来ないだろう。


「ムルングは必ずゾンビ軍の周囲にいて操っているはずだわ」

「…………」

「アリ、私の言う通りに兵を動かして」

「分かりました」


 オスマン軍の戦術の要は、ゾンビで敵の戦列を混乱させる事にある。最前列にゾンビを配置、その後方に三列の歩兵隊を並べ、両翼には半数に分けた騎兵を置いた。騎兵と言う事は、もちろん固い地面の戦場を選んでいる。

  一方アリたちはアイダの指示により、歩兵を二手に分けて前面に展開させ、左翼にマリ王のラクダ兵、右翼にアリとマムルークのラクダ兵を配置した。敵にゾンビ軍が存在することを知ったアイダは、各歩兵隊の間隔を広めにとらせ、隊列に抜け道を作り出すことによってゾンビ兵を引き込むようにと命令した。アイダは直進のみであったり、急な小回りが利かないゾンビの習性を知っている。ゾンビ兵との無駄な戦闘を避けさせて、その隙にムルングの居場所を探る事が肝要である。


 戦いはオスマン軍が大砲を撃つ事から始まったが、攻城戦と違い荒野でアリたちの兵は広く分散しているのであまり被害は無い。次にゾンビ兵による緩い突撃が始まった。しかし、アリ側の配置が活き、ゾンビ軍はアリ側軍の隊列の隙間を通り抜け、その攻撃はオスマン側の思うような効果をもたらさなかった。臨機応変な行動が不可能であるゾンビ軍は混乱し、あたかも無力化してしまったようである。ゾンビ軍の攻撃があまり効果ないと見た後方のオスマン軍は、自軍の騎兵による突撃を開始したが、これを見たアリ側のラクダ部隊は少しづつ後退を開始する。だがこれはアリ側の陽動作戦だった。アリは自軍のラクダ兵戦力が数の上で劣勢であることを考慮して、偽装後退させることによって、追撃に向かうオスマン軍の騎兵を地面の固い戦場から砂漠に引き込もうとしたのだ。この狙いが見事に成功し、敵騎兵の数を気にすることなく、ラクダと砂漠に慣れた歩兵の優位な戦いに移行することができた。

 砂に足を取られて苦労するオスマン軍の騎兵と歩兵に対し、アリの軍側は優勢に戦闘を進めた。いつの間にかオスマン軍は、アリ側軍の両翼に包み込まれるような形になっていた。アリの企図したとおりに包囲網が完成したのだ。包囲されたオスマン軍にドラゴン・バーブガンの火炎攻撃が始まるとパニックに陥り、大半が降伏し、必死に抵抗した者は殲滅させられた。


 一方アイダとレイラはムルングを探し続けていたが、


「見つからないわね」

「…………」

「ご主人様――」

「んっ」


 カラスがトゥパックに声を掛けた。


「あそこをご覧ください」


 カラスが示す先をトゥパックが見ると、精霊界の者しか分からない、蜃気楼とは違う空間のゆがみがかすかに見える。


「アイダ、見つけました」


 真っ先に飛び出したのは、ジャガーに戻ったワイナである。逃げるムルングの首筋に、風のように疾走したワイナの牙が食い込み、砂塵が上がった。


「ぐっ!」


 ゾンビを支配する呪術師も、ジャガーの前では無抵抗であった。血を流してぐったりとするムルングの身体を引きずりながら、ワイナはアイダの前までやって来た。

 皆の前に投げ出されたムルングは既に虫の息である。


「アイダ、あれを見て」


 レイラの声で振り向くと、ゾンビ軍兵士が崩れるように倒れ始めている。


「終わったわね」




 



 呪術師を退治してオスマン軍を敗退させた後、再び旅に出たアイダたちは、ワイナ、トゥパックとキイロアナコンダ、風の悪魔少女レイラと犬のノラ、空を舞うトゥパックの従僕カラス、最後はドラゴン・バーブガンであった。


 そして、とある村に差し掛かったところ、涙を流して寂しい道をさ迷い歩く女性に出会った。


「どうされたのですか?」


 アイダの問い掛けに、女性はうつむいたまま声が出ない。


「大丈夫よ、私たちに話して、力になってあげられるかもしれないわ」


 今度はレイラが話し掛けた。


「ラミアーに息子を……」


 女性はそこまで言って、また泣き崩れてしまった。

 ラミアーとはギリシア神話に登場する化け物である。元は古代リビアの女性なのだが、宇宙や天候を支配する天空神ゼウスと通じた。だが怒ったゼウスの配偶神ヘーラーによって子供を失い、その苦悩のあまり他人の子を殺す女怪と化したのである。ヘーラーは嫉妬深い性格で、夫ゼウスの浮気相手やその間の子供に苛烈な罰を科しては様々な悲劇を引き起こしていた。


「分かったわ、そのような化け物は私たちが何とかします」


 レイラがラミアーに関して知っているところによると、ラミアーはその美貌でゼウスに見初められた結果、ゼウスの妻ヘーラーの怒りを買い、ゼウスとの間に産まれた子供をみずから殺すように仕向けられたのである。その悲痛から容姿は蛇のように変りはて、他人の子を捕らえて殺すようになったのだ。上半身は女性の顔と乳房を持つが、蛇の下半身となっている。家人が知らぬ間に、滑りこむようにして民家に侵入しては乳児を捕らえて喰らった。

 また淫乱な化け物となったラミアーは子供を殺すだけでは飽き足らず、美青年を誘惑して性の虜にしたあと、これを最後には喰らうとも言われている。

 ラミアーと美青年との出会いは、偶然を装いつつ幻想を見せて実現するようである。森の中を歩く青年の目につくところに妖艶な姿で突然現れたり、泉で水浴しているところを見せて誘惑したりする。そして近づいて来た若者を虜にするのである。


「そういう相手だと言う事は……」


 レイラの話を聞いていたトゥパックが最初に声を出した。


「俺たちの誰かが囮となってラミアーを誘い出せばいいではないか」


 と言いながらアイダを見た。


「ワイナ」

「はい」


 アイダがワイナを見ている。


「貴方が囮になってくれる?」

「分かりました」


 それを聞いたトゥパックが小声でレイラに呟いた。


「なんでワイナなんだ?」


 聞かれたレイラは微妙な表情でゴリラのトゥパックを見ると、


「別に深い意味は無いんじゃない」

「そうか……」


 何故か納得のいかないトゥパックであった。






 ジャガーから青年に変身しているワイナは、ラミアーが現れた事の有るという静寂な森を、たった1人で歩いている。


「んっ?」


 いつの間にか、何やら館のようなものが前方にふっと現れ見えて来るではないか。


「…………」


 近づくと扉が開き、中から艶やかで足元が隠れるほどの、長いドレスを身にまとう妖艶な女人が姿を現した。


「お見かけしたところ、貴方は旅をなさっているのですね」

「…………」

「さぞかし喉が渇いていらっしゃるでしょう」

「…………」

「どうぞ中にお入り下さい」


 館に招かれたワイナが中に入ると、食卓にはワインが置かれ、食事も並んでいる。女人はワイナに酒を注ぎ勧めると、自身はソファーに腰を下ろすと楽な姿勢になり、ワイナの端正な顔を見つめた。女人の足元は今も長いドレスの裾が覆っている。

 だが、ワイナの目線がほんの僅か、女人の腰から続く柔らかな下半身の曲線に行くのを見逃さなかった。


「ふっふっふっ」


 女人は意味ありげな笑みを浮かべ、

 黒いドレスを上にずらす。

 やがて白い二本の足が現れて、

 さらに、

 大胆にも両手で掴んだ裾をずるっと上げて行く。

 ついになまめかしい太ももまで露わとなり、ワイナの目に晒された――

 女人はワイナを誘い、

 その手首を持つと自身の太ももに引き寄せる。

 ワイナの手が太ももに達すると、

 女人が眼を閉じ――

 だが、次の瞬間である、

 ワイナの指先からジャガーの爪が伸びた。

 突然カッと目を見開く女。

 ジャガーの爪が白い柔肌に食い込む。


「ギャーー」


 裂けた女の口から2本の牙が見る見るうちに現れ伸びた。女の下半身は蛇となりワイナの身体に巻き付く。ワイナは女の首を絞めて、激しい戦いが始まった。

いつの間にか館や豪奢な杯などが幻と消えている。


「ギシッギシッ」


 蛇に胴を締め上げられたワイナの顔が苦痛に歪む。だが、女もワイナに首を絞められている。


「ウグッ」


 やがて女の身体がぴくっと痙攣して、首がゆっくり後ろに倒れ、ワイナに巻き付いていた蛇が地面に落ちた。


「ワイナ!」

「ワイナ、大丈夫だった?」


 アイダたちがやって来たのである。

 片膝をついて女人を見下ろしているワイナが居る。横たわるラミアーではあるが、もはや化け物ではない綺麗な女性の身体となっている。

 ワイナは無言でラミアーの身体の下に両手を差し入れると、ゆっくり抱き上げた。





 ラミアーの亡骸を静かな泉のほとりに埋葬して、アイダたちは再び新しい冒険の旅出た。アイダ、ワイナ、トゥパックとキイロアナコンダ、風の悪魔少女レイラと犬のノラ、トゥパックの従僕カラス、そしてドラゴン・バーブガンであった。

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