第6話 怪鳥ハーピーとの闘い
風はなく、青白い月が二つ浮かんでいた。
その溶けかかった輪郭から、精霊たちが靄のようになって地上に舞い降りて来ている。
辺りには物の怪、
魔物、
妖怪、
化け物、
負の思考に浸かった精霊、
悪魔、
魔女、
闇の祈祷師、
呪術師、
果ては堕天使まで俳諧するこの世界は、昼のようにも見えるし夜のようにも見える。精霊界は人界の理屈が通用しない。
犬は風の悪魔少女レイラと共に風に乗り、怪鳥の飛び去った後を追っている。犬のノラは化け物と化していたところをレイラたちが救いだし、本来の姿になった精霊である。頭が犬で胴が蛇となったような変身を遂げてしまった精霊は、もはや通常の在り方ではない。妖怪、化け物、魔物の類となって村人に危害を及ぼす存在である。また負の思考に浸かった精霊は悪魔や魔女、天使の場合は堕天使となってしまう。
「ノラ」
風の悪魔少女レイラが犬のノラに話しかけた。
「匂いは残っているの?」
「かすかに残ってはいるんですが……」
地上と違い空中では風の変化に惑わされて、思うような追跡が出来ない。猟犬に追われた鹿が川に入って逃げたようなもので、匂いは流されほとんど消えてしまっている。レイラと共に風に乗ったノラは空中に漂う見えない気流を横切り、右に左にとさ迷っているように見える。
「……大丈夫?」
「…………」
レイラはただノラの後を付いて行くしかない。今はノラの嗅覚だけが頼りである。しかしその足取りは甚だ頼りなく、時には大きく後戻りをしてしまう。
だが、あきらめかけたその時、ノラがいきなり走り出した。
「見つけたの?」
「こっちです!」
目印になるようなものは何もない空中であるが、ノラはついに残された怪鳥の確かな匂を感じ取ったのであった。
「嫌な匂いだ」
そうつぶやいたノラが鼻を歪めたように見える。
2人が追っている怪鳥その名はハーピー (ハルピュイア) 、ギリシャ神話の女怪物の中でも異彩を放つ、人肉を喰らう半人半鳥の醜い女神である。常に空腹であるため、目にする獲物を全て意地汚く貪り食う上、食い散らした臓物の上に汚物を撒き散らかして去っていくという、おぞましく、この上なく下品で不潔な化け物である。終始耳障りな声で騒ぎ立て、独特の悪臭を放つから嗅覚の優れたノラはことさら嫌がっている。
「谷を越えて行くのね」
風に乗るという事は、気流に乗る事である。もっとも目に見えない気流は複雑で、さまざまな高さで、あらゆる方向に向かっている。それに乗りさえすれば羽ばたく必要もなく、何処までも水平に飛んで行ける。様々に交差する風の通り道なのだ。
だが、
「なに!」
順調に飛行していると思われた風の悪魔レイラと犬のノラが、何の前触れもなく、いきなりはたき落とされた。
「グッ」
「ノラ、大丈夫?」
「…………!」
レイラは直ぐに気が付いた。怪鳥の待ち伏せに会ったのだ。しかも相手は3羽。
「ノラ!」
起き上がったレイラが見ると、ノラは早くも変身しているが、3羽の怪鳥から交互に攻撃を受けている。
眼の前の怪鳥に飛び掛かろうとすると、背後から別の怪鳥が爪を立ててくる。ノラが振り向くとまた横から別の怪鳥が爪を立てる。ノラは牙を有効に使えず、いいように弄ばれている。
レイラも直ぐ手を前に伸ばし、呪文で反撃に出た。
「アラカザートシャザムスヴァーハー」
「ギャ――」
怪鳥の1羽が電撃を食らったように硬直して倒れる。これでノラを少しでも援護できるだろう。だが、今度は呪文を受けていない怪鳥がレイラに向かって攻撃してくる。そのたびにレイラは風になり、怪鳥の爪を避けなければならない。
「アラカザンヴォアラホートシャザムスヴァー」
怪鳥の爪をやり過ごすと、また次の怪鳥を呪文攻撃。
ノラも1羽の怪鳥の喉元に喰いつき、抑え込んでいる。
「アラカシャザムスヴァーハースヴァーハー」
「ギャ――!」
ついに怪鳥2羽を呪文で仕留めると、ノラが咥えた怪鳥の首もだらりと後ろに落ちた。しかし周囲の事態はさらに悪化していた、ノラが振り向く。
「レイラ、辺りが怪鳥の匂いだらけで、ますます強くなってきています」
「じゃあ敵の本拠地が近いって事ね、用心しないと」
「いや、一旦逃げましょう。近いどころじゃありません、敵地の真っ只中に入ってしまいました!」
確かにノラの言う通りであった。気が付くと、いつの間にか周囲は怪鳥で埋め尽くされていた。
「ノラ、乗って」
風の悪魔少女レイラはノラを連れて風に乗ろうとした時、
「アッ」
また2人は新たな怪鳥のバットのように威力のある翼と爪で叩き落とされてしまう。猛スピードで急降下してきた2羽の怪鳥の仕業である。
怪鳥その名はハーピー (ハルピュイア)は神話によっては、アエロー(疾風)、オーキュペテー(速く飛ぶ女)と言われるほど風に乗ると何者よりも早く移動できる。本来は風の精でつむじ風や竜巻の様な、地上の物体や人間を攫って空に持ち上げ運ぶ現象を具象化した存在であった。レイラよりもはるかに早く風に乗り飛ぶことが出来たのだった。レイラがそよ風や順風なら、怪鳥は突風であった。同じ風の精でもその違いは大きい。
「風に乗って逃げるのは無理な様ね」
「レイラ……」
「大丈夫よ、私に任せなさい」
怪鳥にも盲点が有るというのだ。
「只の風になるわよ」
「…………」
怪鳥も風になる事は出来るが、純粋な風と風では争いにならず、攻撃は出来ない。スピードを出して風に乗っていれば怪鳥の突風攻撃を受けるが、気配を消した風になってしまったレイラと連れられたノラは、怪鳥にも知られず、敵地を離れる事が出来るのであった。
2人は辛くも難を逃れて少し離れた村にまで来ている。
「敵地の場所は分かったけど、魔王の率いている軍団の陣容や、暴れているという怪物は見つかっていないわね」
「このままではアイダたちのところに戻るわけにはいきません」
「そうね、このまま帰ったら子供の使いだわ」
「……レイラ、一度周囲の村を訪ねてみましょう。そうすれば怪物の事とか何かわかるかもしれません」
「そうだわね」
ところが周囲の村々は荒れ果てており、人の気配が全く無い。
「軍団が村人を皆連れ去ったのでしょうか」
「…………」
「あれは」
やっと村人が1人、隠れているのが見つかった。
「あなた以外にはいないの?」
「みんな連れて行かれました」
「どこに連れて行かれるのか分かる?」
「それは分かりませんが、皆北の方角に行ったんです」
レイラとノラは再び北を調べる事にした。
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