第10話 魔王ベリアルと熾天使セラム
アイダとレイラ、ゾボの3者が並び、魔王に相対して立っているが、ベリアルの表情が少し変わる。魔王の鋭い視線が、風の悪魔少女レイラの顔を刺しているのである。
「その方、何ゆえこの儂に歯向かうのだ」
「貴方の悪の行状を許す訳にはいかないのです」
「なに、儂の悪の行状だと」
「はい」
それを聞いた魔王ベリアルはからからと笑い、
「お前は見たところ悪魔ではないか。悪魔の其方が、儂の悪の行状を許さないとはどういう事なのだ?」
「……それは」
風の悪魔少女レイラの身体には既に反天使のしるし、つまり悪魔だけが見る事の出来るフィルターが掛かっていたのである。
「どうやら事情があるようだな」
「…………」
魔王は他の者には一瞥もくれず、ここで一呼吸置くと切り出した。
「まあその方の事情などどうでも良いわ、どうだ、儂の下に来る気は無いか?」
「…………!」
「悪いようにはせぬぞ」
「お断り致します」
風の悪魔少女レイラは魔王を見据えて、きっぱりと言い切った。
「そうか、ならば仕方がないな」
「…………」
「死ね!」
魔王の手が前に突き出され呪文がさく裂する瞬間、レイラは風になった。
これを見たアイダとゾボの2人が、すかさず呪文で魔王を攻撃。
「アラカザ――」
「ハートシャザムスヴァ――」
すぐ戻って来たレイラも加わる。
「アラカザンヴ、トシャスヴァ――」
「ウヌッ!」
3人の呪文攻撃を同時に受けた魔王の片足が後ろにずれるも――
「アラカザンヴォアラホートシャザムスヴァー」
魔王も引かずに反撃――
「クッ……」
老体のソボが口から血を流し、膝を地に付いた。
「ゾボ様」
「攻撃を続けるんだ、儂に構うな!」
この状況にはワイナもトゥパック、キイロアナコンダの3人とも手が出せない。アモン神さえ成り行きを見守っている。
「アラカ、シャヴォアーーシャザムァスヴァーハー」
「アラカザンヴォアラホートシャザムスヴァー」
「アラカーー、シャヴォアーーシャザムスヴスヴァ」
全員が手を前に押し出して、火花の散る凄まじい呪文合戦である。
「カハッ!」
ここでついにレイラも膝を屈し、その頭上に魔王の更なる呪文が――
「……儂の下に来ればよかったものを」
だがその光景を見て、魔王に飛び掛かって行く影がある。
ノラであったが、
「フンッ」
「ギャーー」
魔王の指の一振りでノラの身体は吹き飛んだ。
「ノラ!」
叫んだレイラは地に手を付き、よろよろと起き上がる、
「……こんな事では負けないんだから」
アイダと共に再び呪文攻撃――
「無駄な事を」
「アラカ、シャヴォアーーシャザムァスヴァーハー」
「アラカザンヴォアラホートシャザムスヴァー」
「アラカーー、シャヴォアーーシャザムスヴスヴァ」
今度はついにアイダ、レイラの2人とも、魔王の前に膝を屈してしまう。
「やろう!」
ワイナとトゥパック、キイロアナコンダがたまらず剣を身構え前に出る。
それを見た魔王は向きを変えると、
「フッフッフッ、その方たちは剣が得意なのだな」
「…………」
「よかろう、ならば儂も剣で戦おうではないか」
魔王が剣を抜いた。距離は近い、じりじりと3人は剣を構えて間合いを詰めてゆく。だが魔王はだらりと剣を下ろしたままである。
「どうした、3対1ではないか、さっさと掛かって来ぬか」
ゴリラトゥパックの剛剣が振り下ろされたのはその直後だ。
「ンッーー」
魔王の剣がトゥパックの振り下ろす刃を激しい金属音と共に弾いた。今度はキイロアナコンダが剣を突き出し、避けられるとワイナが攻撃を開始。火花を散らして魔王と打撃戦を繰り広げる。
「フッフッフッ、面白い、なかなかやるではないか」
剣の達人ワイナの素早い技が通用しない相手はなかなかいない。ゴリラのトゥパックは剛力、キイロアナコンダは巧みな剣さばきと、3人で交互に長剣を繰り出すが、魔王の防御が完璧で決定打が出せずにいる。
「そんな事でこの儂は倒せぬわ」
魔王ベリアルの表情が変わる。
「いくぞ!」
魔王がキイロアナコンダに雷にも勝る一撃を加えた。
「ウグッ」
斬られたキイロアナコンダが鮮血を流す腕を抱えてよろめく。
「そこだ」
今度はトゥパックが胸を斬られてうめき、1人残ったワイナが健闘し火花が散っている。
「惜しいな、その方ほどの腕があれば、儂の副官になれるぞ」
「…………」
「どうだ、ならぬか?」
「イエッーー」
返す刀、それがワイナの返事であった。
「ウヌッ、ならば仕方がない」
凄まじい魔王の反撃である。ワイナは乱打されて追い詰められ、後ろに倒されてしまう。
「待ちなさい」
その時、激しい闘争の場に凛とした声が響いた。
「ちょっと、セラム――」
熾天使のセラムが風の悪魔少女レイラの前に出てきたのである。
「だめ、何を考えているの、危ないから下がっていて」
だが、セラムはレイラの忠告にも耳を傾けず、魔王に向かって歩んで行く。
「ベリアル」
セラムが魔王に声を掛けると、風の悪魔少女レイラが必死になって制止する。
「駄目だってば、セラム、怪我をしないうちに下がりなさい」
しかし、ここで不思議な事が起きた。近づいて来るセラムを見た魔王の顔が明らかに変わった。
「其の方……!」
「ベリアル、貴方に手は下したくないの」
「…………」
瞬間魔王の表情から戦意が消えたかに見える。アイダにもレイラにも、周囲の者にもいったい何が起きているのか分からなかった。
「えっ、えっ、えっ?」
皆が呆然と見守る中、
「そうかおまえが居たのか」
「…………」
「ならばセラム、どうやらここは最後の決着を付けねばならないようだな」
「ベリアル……私の話を――」
「ふん、今更何を話そうというのだ」
魔王は剣を納め、セラムを見つめた。
「まだ話し合う余地はあるわ」
「ハッ、何を言うかと思えば、そんなたわごと」
魔王は笑い出した。
「寝ぼけた事を言って、それでも熾天使か」
「…………」
「問答無用!」
魔王は手を前に出した――
「アラカーー、シャヴォアーーシャザムスヴスヴァ」
いきなり魔王の呪文がセラムに向かって火を噴いた。
「きゃーー、セラム!」
セラムの身体が火に包まれ、レイラの悲鳴が響く。
だが、セラムを包んだ炎が次第に広がってゆくと、中から何かが現れた。
呪文とは違う炎に包まれた2頭立ての戦車で、乗っているセラムは槍を構えているではないか。
「ベリアル」
「セラム、投げろ、やってみろ!」
ついにセラムの構える槍が投げられると、炎に包まれたその槍が魔王の胸に深く突き刺さった。
「ウグッーー」
「ベリアル、何故!」
全ては終わった。倒れている魔王の前にセラムは駆け寄ると、膝を付き上体を抱き起した。
「ベリアル」
セラムが手を添えた燃える槍が、魔王の胸から消えてゆく――
「……セラム、しばらく見ぬ間に強くなったなあ、……其方の放った槍はだいぶ応えたぞ」
「なぜ、避けてくれなかったの」
「ハッハッハッ、これでいいではないか、魔界はもう飽きたのだよ。それにしても天界はなかなか良かったなあ、其方が居たからな」
「ベリアル……」
なんとセラムの両眼から涙があふれ出ているではないか。そして、
「まだ間に合うわ」
魔王が槍を受けた胸に手を当て、天使にとっては禁断の呪文を唱えようとすると、そのセラムの手をベリアルが掴んだ。
「よせセラム、そんな馬鹿な事はするな」
「ベリアル」
「無駄な事だ。それに、そのせいで其方まで魔界に来たら、おれの立つ瀬が無くなるではないか」
「…………」
「…………」
「……ベリアル」
心なしか目を閉じたような魔王の身体をセラムがゆすった。
「…………」
「ベリアル!」
「……何だうるさいなあ、おれはまだ生きているぞ。それにしても暗くなったな……なんでこんなに暗いんだ」
「ベリアル、もう一度天界で私と一緒に神に願って――」
「ハッハッハッ……」
魔王ベリアルはセラムに抱かれたまま弱弱しく笑うと、静かに目を閉じる。
太い首がゆっくり後ろに倒れた。
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