第30話 土着の神ムルング

 人間より強い力を有する土着の神がいて、多くの部族が崇拝している。大地や、サハラが砂漠になる約1万3千年前から続いている森、水、それに雨や嵐までもが神なのだ。また、死者の霊、死後の生命と関連する幽霊、特に正しく埋葬されなかった者の幽霊は、藪のなかに住み、不用意な旅人たちを悩ますという。また、人間と同じように、動物も木までもが魂をもち、多くは幽霊になるとこの地では人々に信じられている。

 何時でも人の最大の弱点はその心にある。霊媒等の言動に支配されている内は一切反発も反撃も出来ない。時には自ら命を絶つまでに追い詰められる。迷信と片付けられない、古代から連綿と続く怨霊の世界であり、幽霊も人の心が作り出す幻想と区別が出来ない存在なのである。土着の神もそこを突いて来る存在であり、海賊は武力で制圧出来るが、心の敵は厄介なのだ。


「アリ、ムルングは生贄を要求しているようだけど、本当に神なの。土着の神と言っているけど、実は霊媒師か何かなのでは?」

「そうです。霊媒師であり呪術師でもあります」

「王である貴方でも口出し出来ない存在なの?」

「…………」

「なるほどね」





 ここはアリ王国の片田舎で、ある少女が森の近くで友達と遊んでいた時、美しい不思議な小箱を見つけたが、開けてみても中には何もない。彼女は一旦それを巨木の祠の前に置いて遊びを続けた。

 少女は、帰る頃には箱のことなどすっかり忘れてしまっていたが、もう少しで家に着くというところで思い出す。


「そうだわ、あの箱を取ってこなくっちゃ」


 友達とももう別れていた彼女は、猛獣が藪の下で眼を光らす夜になり、1人、箱を置いた祠の前まで戻って行った。 次第に深くなる闇が怖かった少女は、少しでも恐怖を紛らわせるため歌を歌い始めた。

 祠の前には、明るい時にはいなかった巨樹の精霊がいた。精霊は首をかしげて、彼女の歌声を聞き、「何て可愛い声なんだろう」と、うっとりし、その歌声の主を独り占めする事を思い立った。


「あら、変ねえ」


 少女は祠の所までやって来たが、前に置いてあったはずの箱が見当たらない。


「娘さん、何を探しているのです」

「えっ!」


 突然話しかけられ、うろたえる少女、


「怖がらなくてもいいのよ」

「…………」

「箱を探しているのでしょ」

「…………」

「あれは私の箱なの」

「あっ、ごめんなさい、私――」


 精霊は穏やかな口調で語り掛けている。


「でも気に入ったのなら貴女にあげるわ」

「…………」

「箱は祠の中に有るから、私と一緒にいらっしゃい、……さあ先に入って」


 1人祠に入った少女はふと不安になり、外に出ようとするが、何故か水の中にでもいるように足が進まない。こうして少女は祠に閉じ込められてしまったのである。


「フフフ、これでいつでもまたあの歌声を聴くことが出来る」


 精霊は美味しい食事と引換えに「おまえの歌声を聞かせておくれ」と言って少女を放そうとはしなかった。食事は樹液であったのだが、それでも少女にはとても珍しく美味しい食事に思えた。

 精霊はよき音楽を愛でた。よき音楽とは少女の歌声である。精霊が調子を取って手を叩くと、次第に落ち着いてきた少女は祠の中で歌う。こうして月日が流れた。


 だが少女の両親は日々嘆き悲しんでいた。可愛い娘が消えてしまったのである。てっきり夜道を歩き、悪霊に取りつかれてしまったか、さらわれてしまったに違いないと、村の霊媒師に頼んでみたがさっぱりらちが明かない。その話はアリ王の所にも届いていた。


「アイダ様、どうしたらいいんでしょう?」

「貴方の言うムルングとは関係があるのかしら」

「それはまだ分かりません。なにしろ生贄を差し出すまでは許さないと、それ以降現れていないのです」

「と言う事は、生贄を差し出すと言えば現れるのね」


 レイラの発言である。


「はいそれは――」

「じゃあ私が生贄になりましょう」

「えっ」

「ムルングは妖精を連れてこいと言っているのでしょ」


 元は風の精霊であり妖精でもあったレイラが生贄となって、ムルングを誘い出そうというのである。行方不明となっている少女の事も何か分かるかもしれない。





 ムルングは土着の神を名乗ってはいるが、実はどこまでも深い闇を支配する呪術師であった。ムルングの怪しげな、人の心を自由に操る魔術の一つが、犠牲者のゾンビ化である。操ろうとする人を仮死状態にするゾンビ薬調合に必要な物は、


 チョウセン・アサガオ、

 ナス科の植物でキチガイナスビ(気違い茄子)の異名もある。有毒植物であるが、薬用植物としての一面も有する。


 ハッショウマメ、

 食用となるが中毒成分を含むため下痢を催し、よく茹でて何度も煮こぼした後に食用とする。


 オオヒキガエル、

 毒はアルカロイドを主成分とするが、毒性は非常に強く、人間に対しては目に入ると失明したり、大量に体内摂取すると心臓麻痺を起こすこともある。

 

 フグ、

 食用可能な部位はフグの種類や漁獲場所によって異なるため、素人によるフグの取扱いや調理は危険である。


 ハイチボア、

 ニシキヘビであり、ボアという名は古代ローマでの伝説上の大蛇の名前からとられ、好物がウシだった、とされたことに由来する。


 ウミケムシ、

 体の側部に毒液がたまっている剛毛を持ち、警戒した時に立たせる。この剛毛は中空で毒液がたまる毒針となっており、人でも素手で触れると刺され激しく痛むことがある。


 タランチュラ、

 この毒グモに噛まれるとタランティズムという病を発症するとされる。タランティズムの患者は死なないために、タランテラという踊りを踊ればいいという伝承がある。


 カシュ―の葉、

 カシューはウルシ科の植物であるため、かぶれなどのアレルギー反応をきたす人も少なくなく、取扱いには注意を要する。


 そして最後は子供の骨である。


 薬を調合する呪術師ムルングにとってはそれぞれ意味が有り、特に必要な人骨と精神活性植物は必要不可欠な材料である。テトロドトキシンを含むフグの毒の適量の投与により、神経と筋肉を完全にマヒさせ仮死状態を引き起こす。

 葬儀の後、墓から連れ出された犠牲者はチョウセンアサガオを食べさせられ記憶も意志も無くなる。後はムルングの意のままに動くゾンビとなるのである。

 ゾンビの起源は、カリブ海のハイチの民間信仰“ブードゥー教”にある。ブードゥー教の儀式によって遺体をよみがえらせ、生前の罪を償わせるために奴隷として働かせるのである。ブードゥー教を信じる人々は“死んだ後にゾンビにされてしまう”ことを恐れ、死後36時間経つまで死体を監視したり、遺体の首を切り離したりする事もあったそうである。

 墓場からよみがった死体に追われて逃げ惑う人々にとっては、悪夢のような夜となる。





「用意できたかしら?」

「出来ました」


 ムルングを呼び出す儀式では祭壇に捧げるヤギとニワトリの頭蓋骨が必要となる。おびただしいニワトリの流す血が祭壇をどす黒く染めて、ヤギの頭蓋骨の周囲を異様な臭気が取り巻いている。


 そしてついにムルングが現れた――


「生贄は用意できたのか」

「はい」


 アリの横に座るレイラから発せられるオーラは、確かに人間のものではない。ムルングもそれを見て納得したようである。


「ではその妖精の心臓を取り出せ」

「――――!」


 儀式が始まると現れたムルングを直接見る事は許されていない。アリは目を伏せたままである。儀式では、生贄の心臓を取り出す際に繰り広げられる犠牲者ののたうちまわる様や、血の流れ具合、取り出した心臓の様子から、あらゆることが占えるのだと言う。

 アリは横のレイラに目でうながされ、


「ムルング様」

「…………」

「心臓を取り出す前に、1つお聞きしたい事が御座います」


 うつむいたまま話しかけるアリを、ムルングの面がじろりと見る――


「……何だ、言ってみろ」

「近頃森の近くで1人の少女が行不明となって、両親が心配しております」

「…………」

「ムルング様は少女の行方をご存じでしょうか?」

「そのような事は全て心臓の表に現れる。早くやれ!」


 ここでレイラが立ち上がった。


「心臓を取り出してもそんな事は分からないわよ」

「貴様、何奴!」


 おどろおどろしい仮面をかぶって威嚇するムルングがそこに居た。


「アリ、こいつを倒すのだ」

「ムルング様、その仮面を取って顔を見せて下さい」

「なに!」


 もはやアリも下を向いてはいない。だが、物陰からアイダやワイナたちが次々と姿を現すと、ムルングは身をひるがえして背後に消える。追おうとするアリをアイダが止めた。


「あの者は貴方の前で神だと言っていたんでしょ。それが只の霊媒師か呪術師で、しかも逃げ出したという醜態を晒した以上、もう大した力は発揮できないわ。追う必要はありません」

「…………」

「それよりも行方不明となっている少女を探しましょう」

「分かりました」

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