第28話 マリ王マンサ・ハリファ・ケイタ

 砂漠は平坦なだけでなく、見上げるような砂山が続く事が有る。まさに大海の大波で次々と現れ、商隊はそれを縫って行く。そして時には砂が無くなりがれきだけの悪路にも当たる。だがその方がオアシスのような小川の流れている場所もあり、ラクダも人も十分にその恩恵にあずかる事になる。

 凍てつく夜は毛布にくるまり、満天の星空を眺め眠りにつく。そうして何度目かの日の出を見ると、緑の木々が増えて来る。


「そろそろマリ王国の支配域です」

「人の行き来が増えてきたわね」


 家々は土や牛糞を固めたレンガで造られており、道行く人々の服は原色をちりばめた、強い日差しと対をなすコントラストの効いたデザインである。女たちの中には金の腕輪をしたものから、首を金で飾った者までいる。明らかに裕福な地域であることが見て取れる。この当時のサハラ砂漠はまだそれほど猛威を振るってはいない。周辺は緑に覆われた、人が住むのに快適な土地が広がっていたのである。


「アリ、まず王に会いたいの」

「王にですか?」

「そうよ」

「…………」


 王宮は直ぐに分かった。


「王に拝謁したいのです」


 門兵に取次ぎを願い出る。異国から大量の塩を運んで来たらしいとの評判からか、許しは簡単にでて、アイダたちは直ぐ時のマリ王に拝謁できた。


「…………」


 マリ王は黄金で飾られたまばゆいばかりの玉座に座り、片方の腕に体重を掛けた姿勢で、アイダたちを悠然と見ている。原色で薄手の生地を使った衣を身にまとい、金で出来た無数の装飾品を身に着け、黄金の冠をかぶった4代目マンサ・ハリファ・ケイタ・マリ王である。

 マリ王国はサハラ砂漠の中央部にあるテガーザ岩塩鉱山にまで交易圏を広げたため、それまで塩の交易を独占していたベルベル人から主導権を奪っている。そのため塩と金の交易は既にベルベル人だけのものではなく、サハラ周辺を制したマリとその南にある国々との間でもマリ王国の商人が関わるようになっている。だが金はマリ王国の主力商品として北アフリカへと輸出されマリの繁栄を支えていたが、塩の確保には未だ悩んでいた。マリ王国も岩塩鉱山を得て産出しているのだが、そこでの産出量は少なかったからである。次第に繁栄して住民が増えてくる自国の需要に追い付かず、相変わらずその価値は高かった。


「王様には拝謁していただき光栄に存じます」

「…………」


 マリ王に付き人がアイダの発言を取り次いでいる。


「早速ですが、私どもはお近づきのしるしに塩を持参いたしました」


 アイダが振り返ると、マリ王の配下の者達が全てのラクダを連れて広大な中庭に入って来た。優雅な池の周囲を、塩が満載され重そうなラクダが埋め尽くす。


「アイダ!」


 ワイナもキイロアナコンダも驚きを隠せない。アリでさえ寝耳に水である。苦労して掘り出し、運んで来た大量の塩の全てを、マリ王に献上してしまうと言うではないか。アイダは一体何を考えているのだ。


「これは朝貢よ」

「朝貢!」


 古代中国の王朝に対する周辺諸国の貢物の献上と、それに対する皇帝からの下賜という形態をとるという例にもあるように、一種の貿易形態が進められた古くからの国際関係がある。強大な国力を持った国家に対し、周辺の諸民族の統治者が、その統治権を認めてもらうために使節を送り、貢ぎ物を差し出すこと。その見返りとして、国とその王としての地位を認めてもらう事になる。

 中国を中心とした朝貢関係は、中国王朝が、周辺の蛮夷に対して恩恵を施す、という理念によって成り立っている国家間の関係であるとともに、貿易の一形態でもあり、朝貢品と下賜品の交換という経済行為でもあった。したがって朝貢はあくまで上位の国に対する下位の国が貢ぎ物を進呈する行為である。


「アリ王国は未だ諸外国から認められてはおりません」

「…………」


 隣に立つアリはアイダの発言に耳を疑った。アリ王国とは……!


「この度は天と地を納められ、あまねく大陸の偉大な王であらせられる、マンサ・ハリファ・ケイタ・マリ王様の庇護を頂きたくこうして参りました」

「…………!」


 アイダは小さな声で、目を見開て自分を見ている隣のアリに言った。


「はったりも時には必要な事が有るのよ。ここであなたが王になるかならないか、踏ん張れるかどうかで全てが決まるわ」


 マリ王が身を乗り出した。


「しかし、アリ王国とは……、余はまだそのような名を聞いた事が無いぞ。一体その方達の国は何処に在るのだ?」


 在りもしない王国なのだから、マリ王の当然の疑問である。するとここで意を決したのか、アリが一歩前に出ると、


「我がアリ王国は未だ世に知られてはおりません」

「…………」

「しかしながら、マリ王様に認めて頂ければ、必ずや我が王国は苦難を乗り越え大きく繁栄する事を確信しております」

「…………」


 マリ王はじっとアリの話に聞き入っている。


「王様、あなた様が本当にそうだと信じることは、必ず起こります。もし好機が到来しなかったならば、私は自ら作り出します。強い者や、知恵のある者だけが生き残るのではないと考えるからです。変化に最も適応する者が生き残るのであります。私は民に希望を与える者であり続けようと決意しております。私が王様にお見せ出来るのは前に進む力です。砂漠を吹いている風がまったく同じでも、ある商隊は東へ行き、ある商隊は西へ行く。進路を決めるのは風ではなく、意志の力です。目指す国がないような旅をしていたら、どんな風が吹いても助けにならないでしょう。私は今王様に会い、行動する時が来たと考えているのです」


 アリはそう言い切ってマリ王を見た。話を聞き終わった大柄なマリ王は、一際大きく身体をゆすると、


「ワッハッハッハッ、皆の者、今の話を聞いたか、大いに気に入った」

「…………」


 既に付き人を介しての会話ではない。


「アリ王よ、わがマリ王国はそなたと其方の国を認め、苦難となれば助ける事をここに宣言する」

「有難う御座います!」


 アリたち一行はマリ王から数週間にも及ぶ盛大な歓待を受け、帰りには山のような布や宝飾品、特産の食料など返礼品の数々をラクダに積み帰る事となる。さらに貢物として献上された塩の価値をはるかに上回る金を下賜される事になった。

 カーネギーやロックフェラーの資産がそれぞれ約3000億ドルでその10倍がローマ帝国のカエサルだったと言われる。そしてその更に上を行くのが、アフリカの歴史に名を残す事になるマリ王国9代目のマンサ・ムーサ王で、世界で産出される金の半分以上を手にしていたのだと。

 もともとマリ王国の建国者は、地元の氏族集団の長に過ぎなかったのだが、周辺の部族を統合して組織化し、強力な軍団を作り上げる。4万人以上の弓矢で武装した弓兵を含む、20万人以上の軍隊を常備させて、近隣の土侯国を襲っては傘下に組み入れていった経緯があった。




 帰ったアリはすぐさま周辺の部族に働き掛け、海賊に備えた連合体を創る事を発案する。ここでマリ王国から受け取った山のような下賜品や金が効果を発揮する事になる。アリが持参した色とりどりの布や、宝飾品、そしてまばゆく光り輝く金に全ての族長が眼を見張る。どこの世界であれ政治で金の力は大きい。さらにカリスマ性もあるアリは地域の部族を統括する長として認められ、土着の神の予言通り、王に一歩近づいた。





「アイダ、連中がやって来たわ!」

「えっ、海賊船はどのくらいの規模なの?」

「やはり思った通り30隻ほどで近づいてきます」

「アリ、すぐ住人を避難させて」

「はい」


 沿岸から海賊船を発見するのとは違い、レイラは2日ほど早く異変に気付く。前もって用意していたこともあり、ほとんどの住人は順調に避難する事が出来た。


「レイラ、すぐマリ王に連絡して、アリ王国に海賊が近づいていると訴えるのよ。危機が迫った時は救うと約束してくれた王なの」

「分かりました」

「アリ、兵はどのくらい集められるの?」

「地域の部族が結集して、ラクダに乗った兵士が400人ほど可能です」


 海賊が予想通り3000人だとすると400人では心もとないが、この際そんな事は言っていられない。アイダはアリやワイナたちを集めると、作戦を話して聞かせた。


「アリ、50人くらいを港の影に潜ませておいて、敵が半分ほど上陸するのを待って攻撃を始めるの。但しすぐ負けたふりをして少しづつ引き下がり、連中に後を追わせるのよ」

「…………」

「海賊を砂漠まで引き寄せた後の攻撃は貴方しだいだわ」

「分かりました、任せて下さい」


 アリは腰の刀を握りしめた。

 3000人に400人では確かに心もとないが、半分の1500人ほどを砂漠にまで引き込む事が出来れば、地の利が有る遊牧民の兵士たちに勝ち目があるかもしれない。

 この時代海賊たちの主な武器は剣で、海上なら大砲も威力を発揮したが、陸上で短銃などは弾を込めるのに時間が掛かり、集団の戦闘にはほとんど役に立たない。それに抵抗らしい抵抗を受けた経験もなく、ましてや軍隊との本格的な陸上戦などの事例はこれまでほとんど無かった海賊であった。

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