第25話 悪魔と天使の合体

 どれだけの時間が経ったのか、レイラはやっと気づき目を開けた。両手で上半身を支えて起き上がり前を見る。魔女は体のどこかに「契約の印」と呼ばれる、痛みを感じない箇所があるという。では悪魔はどうなのだ。


「熱い!」


 自分の身体が焼けているようだ。レイラの体内から発せられる熱で大地は炎上し、天は煮えたぎっているのではないか。しかし、立ち上がろうとして、よろめき再び地面に倒れ込んでしまう。うずくまるレイラの身体は青白い炎に包まれていた。


「起きなければ……」


 レイラは必死に前を見る。この炎の熱気は熔けた鉄のように地面を熔解させ、目から放たれる光が有れば、周囲の敵を焼き滅ぼすに違いない。レイラは自身が怪物になってしまったのではないかと疑った。今この異常な熱を発している自分はレイラなのか、それとも得体のしれない火を吐く魔物なのか。セラムが2人で合体しようと言っていたのは覚えているが、その後の記憶が無い。もしかすると自分とセラムは天をも恐れぬ悪魔の所業、禁断の掟を破る行為をしてしまったのではないか。悪魔と天使が合体など、やはり止めるべきではなかったか。


「セラム」


 無意識にセラムを呼んだが、返事はない。だが、レイラはセラムが最後に言っていた言葉だけははっきりと覚えていた。


「レイラ、よく聞いて。いまから何が起ころうと、何も恐れず、前に向かって進むの。これは貴方の戦場よ」


 起き上がったレイラは恐る恐る自分の身体を見たが、燃えているわけではなかった。魔物のようでもない。ただ焼けるように熱いのは同じで、発散しない限りこの熱は消えないだろう。


「ふん、未だしぶとく生きていたんだね」


 突然前方からイシスの声が、さらに、


「死ね!」


 来る、


「アラカザーー、アカザンヴーー、トシャスヴァーハーー、トシザムスヴァーハー」


 レイラは思わず両手を顔の前に交差して身構えた。だが、そのとっさの仕草だけでイシスの呪文を打ち破り、なおかつその魔力が消えてしまった。


「なに!」


 イシスの驚愕ぶりが手に取るように分かった。


「アラカザンヴォアラホートシャザムスヴァー」


 すかさずレイラは呪文で応戦、


「グアッーー!」


 イシスの身体が一瞬で吹き飛んだのだ。


「えっ」


 驚いたのはレイラもであった。だが、


「アラカザーー、アラカザンヴーー、トシャザムスヴァーハー」

「んっ」


 いきなり横からサマエルが攻撃してきたのである。片手でその呪文を受けるレイラは怒りがこみあげて来た。


「アラカザンヴォーーアラホートシャザムスヴァー」


 サマエルからの呪文を受け流そうとはせず、自身の呪文と共にサマエルに向かって投げ返したのである。


「ギャーー!」


 サマエルの絶叫であった。さらにレイラは振り返ると、


「アラカザンヴォアラホートシャザムスヴァーシャーーヴォアーーシャザムァー!」


 レイラの呪文がセトを含める全戦車軍団に向かって放たれた。呪文は地を引き裂いて突き進み戦車群を破壊した。その衝撃によって天は轟き、震え、兵士たちの身体からは凄まじい血がほとばしった。


「アラカザンヴォアラホァーシャーーヴォアーーシャザムァー!」


 レイラは自身の抑えきれない衝動に突き動かされ、修羅のごとく更なる呪文を容赦なく投げつける。その圧倒的な威力によって、天地が崩れたように見渡す限り焼き尽くされた。その衝撃は天界まで轟いたのだった。







 女神イシスは逃げおおせた。彼女の戦車には聖獣がつながれ、黄金の角と青銅のひづめを持って引いており、呪文でさえ捕らえる事ができないほどの脚の速さを誇っていたのである。サマエルはまたいつの間にか消えていた。


「トゥパック、しっかりして、大丈夫?」


 我に返ったレイラは仲間全員を回復させた。


「レイラ、今の呪文は……」

「あの、それは……」


 一部始終をかろうじて見ていたアイダが聞いてきた。セラムとの合体であると説明したのだが、


「セラムはどこ?」

「セラムさんは天界に行かれました」


 カラスが言ってきた。


「お前それをどうして知っているんだ」


 カラスの主人トゥパックの疑問である。


「セラムさんが私に言伝をされて行きました」

「…………」

「レイラさんには何も心配する事は無いと伝えて欲しいとおっしゃってました」

「行くって?」


 レイラは勢い込んで聞いた。


「天界に行かれたようです」

「天界に……」

「はい」





 セラムは今回の件で女神ニンリルに呼び戻されたのだった。ニンリルは精霊界と天界を支配する風の女神であり、シュメール神話にも登場している。風の悪魔少女レイラの守護天使になり見守るようにと、熾天使のセラムに使命を与えた女神である。だがその守護天使であるセラムと悪魔レイラとが合体するなどと、とんでもない事態になってしまったのだ。合体後の異変は凄まじく、発生した波動は天界にまで届き響いている。セラムは直ちに呼び戻される事となった。


「セラム」

「はい」


 セラムの前に優雅な女性が座っている。空気と同化し、静寂な森のような天界を流れる風が周囲を覆い、女神ニンリルが静かに語り掛けているのである。セラムは天使であり、神々と人間の中間に存在する霊的なものとして存在する。


「貴方とレイラの間に一体何が起こったのです」

「…………」

「説明をしなさい」


 風は情報を運ぶ。精霊界と天界を支配する風の女神が事情を知らない訳はなかったが、セラム自身の口から語らせようと言うのである。


「レイラを守るためには仕方がなかった事なのです」

「悪魔と合体するなどという事がですか、仕方がなかったと」

「…………」

「一体そのようにとんでもない発想がどうして出て来たのです?」

「…………」


 レイラは精霊界において元風の民シルフ、妖精であった。空気の要素を持つ精霊で、その姿は優美な人間の少女に似ている。また風の精は森の妖精というほどの意味もある。森に吹く風はシルフの語り声であると伝えられ、風を身にまとう乙女であった。しかし思わぬ成り行きから神に反逆する悪魔であるとされてしまうが、何故か女神ニンリルからセラムに守護天使としてレイラを見守るようにと、指示が出された経緯がある。セラムは熾天使であり、天使の中でも最上とされている階級につく者であって、悪魔の災いを防ぐ存在だとされていた。


「セラム」

「はい」


 セラムを見つめる女神ニンリルの表情に何故か、かすかな迷いが漂っている。


「分かっていますか、貴方がレイラとした行いは、天界を追放されても仕方のないほどの重大事だったのですよ」

「…………」


 熾天使の身分を剥奪された上、天界からの追放処分を覚悟して深くうなだれるセラムである。


「ですが、……貴方が話したような事情なら、今回だけは大目に見る事にして、謹慎処分とします。しばらくは天界に留まりなさい」


 セラムは思わず女神ニンリルの顔を見た。そして引き下がろうとするセラムに女神は周囲をそっと見ると、微笑み、声をひそめて言った。


「でも、もし私が貴方の立場だったら、きっと同じことをしていたかもしれませんね。これは他の者には内緒ですけど、貴方はよくやったわ!」

「……ニンリル様」








「セラム……」

「あのセラムさんの事だ、多分大丈夫だろ」


 気軽に答えたトゥパックである。レイラは仲間を助けるのに夢中で、セラムの事を考えている余裕がなかった。確かに気が付けば、体内の煮えたぎるように異常な熱はいつの間にか消えていた。


「セラムが戻って来れなくなったら、それは私の責任だわ」

「レイラ、今それを悩んでいても仕方ないわ。それより逃げたサマエルよ」

「そうだ、あいつを殺るまでおれたちの仕事は終わらない」


 だが問題は女神のイシスである。けた外れのパワーであると確認された以上うかつには近づけない。

 ここでトゥパックが最も疑問に思っている事を口にした。


「だけど最後はレイラ、お前だけが残ったんだろ。何故連中は逃げたんだ?」

「逃げたんじゃないわ、後ろを見て」


 アイダの発言である。


「…………!」


 振り返った皆は絶句した。セトの率いる戦車軍団が壊滅しているではないか。


「これは、お前がやったのか!」


 トゥパックは改めてレイラを見た。レイラは合体と簡単に言ったが、敵の惨状は想像をはるかに超えている。しかもあのイシスとサマエルも倒しこそしなかったが、レイラ1人で撃退したというではないか。皆は改めてセラムの存在感を感じずにはいられなかった。合体が無ければ全滅していただろう。






「あの小娘は一体何なの」


 宮殿でイシスの発言だ。女神のプライドがずたずたに引き裂かれたのであった。だが、それ以上に収まらないのはサマエルである。


「あんな小娘は今度こそひねりつぶしてやる」

「…………」


 イシスがうそぶくサマエルを睨んだ。


「貴方にもう用はないわ、さっさと出てゆくのね」

「何だって!」


 イシスはレイラの異常なパワーをしっかり認識し、女神の直感で確信した。あの有り得ない力には対抗できないと。それにリスクを冒し、わざわざ必要もない争いをする事はない。そして次第に邪魔となってきたサマエルである。そろそろ自分がラーに取って代わりファラオになってもいい。いま宮殿内でファラオのラーは既に操り人形となっている。そしてもう目の前にいるこの気持ち悪い男に用はない。今まで我慢してきたが、目障りなだけだ。だがサマエルはイシスと違いレイラの本当の実力を知っている。今回はあの小娘に何か特別な事情が有ったのだろう。


「ふん、そうか、おれはもう用済みなんだな」

「…………」


 もちろんサマエルにとって宮殿も何も、せっかく手に入れたラーの権力さえ何の意味も関係もない。利用できないと知ったからには、もうここに居る必要はない。サマエルはあっさりと宮殿を後にした。






「あのサマエルが宮殿を出たようです」


 レイラの情報である。


「えっ」

「出たって、どういうことだ。また軍を引連れて来たのか」

「そうではなく、サマエル1人です」

「…………」


 それなら今度こそ殺れるだろう。


「決着をつけてやる」

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