第5-2話 邂逅
亜依を連れ立って高校を目指す2人。
翠に染まった街中を走り抜ける。体に当たる翠色の霊子は、やがて溶けるように消えて見えなくなる。まるで粉雪が体の熱で溶けて消えていくようだ。
美しいと感じてしまう光景。自分の心が奪われていくのを感じる。これまでの光景を目にしてなを、美しいと感じてしまう自分に、星斗はやはり自身が人外に変貌してしまったのではないかと危惧する。
旧道を越え、古い街並みの抜けると段々と霊子の量が減り、代わりに青々とした葱畑が広がる。
「もう
ふと何時もの光景に、何時もの言葉を口にする。そしてそれが日常でなくなってしまったことを思い出す。
今はそれだけで心が乱される。乱される心があることに安堵する。
こんもりとした小山が目に入り、新緑の茂る林を傍目に県道をひた走る。
ふと、視界の端に林の中で動く人影が映る。
――!!――
通り過ぎそうになったところを急ブレーキでバイクを止め、反転させる。
――誰か!助けて――
少し離れた場所から、女性の悲鳴のような叫び声が聞こえてくる。尋常ではない状況を伝えるには十分過ぎる悲壮感を漂わせている。
カブをフルスロットルでフカし、神社の入り口付近から林の中を覗き込む。
そこには林の中をガサガサと走る女性が1人、その手の中には5、6歳くらいだろうか、少女が抱きかかえられていた。
「大丈夫ですか!何があったんですか!」
カブに跨りながら大声で声をかける星斗。その声に気が付きこちらを見やる女性。
「う、うし、後ろからく、くま、熊が――」
女性から目を離し、女性の後方に目をやる。そこには黒色の塊がこちらにゆっくりと迫って来るのが見えた。
胸には白色の月型の紋様。ガサリ、ガサリと4本の脚で獲物を追うように歩みを進める。
「今度は熊かよ!くそったれ!」
今朝の横山係長の指示にあった熊の出没情報などと言う、ほぼ半信半疑でしか聞いていなかった話を思い出して悪態をつく星斗、カブのエンジンをかけたまま降車し、本日3度目の拳銃の取り出しを行う。
日に3度も拳銃抜いた警察官は、全国20万人の中でも自分だけだろうと考えながら、熊から目を離す事なく拳銃を抜き放ち、構える。
「ゆっくりでいいからこっちへ、私の後ろに」
「――はっ、はい――」
顔面蒼白で必死に我が子を抱きしめながらこちらを目指して走り出す女性。
「――ゆっくり!走らないで!――」
なかなかに酷な事言っているのは分かっているが、今は熊を刺激したくないと声をかける星斗。
熊もこちらに気が付きその歩みを止める。
熊は先刻の猪同様、普通ではない様子だ。
眼は怪しく翠色に光り、涎を垂らしながらこちらを見つめる。その巨躯は
埼玉も筒部地域などにはツキノワグマが生息しているが、こんな平野部まで降りて来る事はそう滅多にある事ではない。
(昔、深山にも熊が出没した事あるって聞いていたが……今日は厄日だ……)
女性が星斗に近付き、安堵したのか興奮気味に話始める。
「あっ、あの、いきなり、家にいたら、主人が木になって、テレビも、皆んな……それでどうしたらいいか分からなくて、子供を迎えにいったら、この子だけが泣いていて、それで――」
堰を切ったかのように話始める女性を左手で静止し、目で熊を見据えたままゆっくりと後退を促す。
「話は後で聞きます。今はその子を守る事を考えて。ゆっくり下がりますよ」
ジリジリと後退りするように熊から距離を取る。
しかし1歩下がる度に1歩ずつ距離を詰めて来る熊。猪同様、何か興奮している様子で鼻息荒くこちらの隙を窺っているようである。
(……このまま下がってどうする?走っても追いつかれる。拳銃で威嚇射撃……カブに乗って逃げるか……無理だろうな、追いつかれそうだ。近くに民家もないし……)
現状をどうにかしようと思案するが、効果的な解決策は思いつかない。
熊がじりじりと滲み寄り、距離を詰めてくる。
――撃つしかない――そう星斗が覚悟を決め、女性に話しかける。
「――これから拳銃で熊を撃ちます。お子さんを守ってあげてください」
「……他に誰も助けに来てくれないんですか?せめてこの子だけでも……」
懇願する女性。申し訳ないと謝りつつ、現状を伝える星斗。
「――いないんです。私以外に生きてる警察官が……」
「――!!――」
目を見開き、声にならない声を堪える女性。
「それでも、私が守ります。いきますよ」
熊との距離が5メートルに迫り、いよいよ射撃姿勢になる星斗。
熊も星斗達の異変に気付き、じっとこちらの様子を伺っている。
撃鉄を起こし、照星と照門を合わせながら熊の顔面をよく狙う。
(猪は弾丸をはじいた……熊もはじかれる可能性がある。ならば警棒が効いた眼球、或いは体毛の薄い鼻か口を狙ってみるしかない)
熊が、グッと体に力を籠め、走り出そうとする。
(――今だ!)
攻撃態勢に移行する一瞬の隙。星斗は用心がねの中に入れた人差し指を引き金にかけ、ゆっくりと一定の力で引いてくる。
力まず、早すぎず、遅すぎず。いつの間にか発射していたと思える位、滑らかに。
翠と深紅の銃弾より軽い発砲音。銃身から発射された弾丸が、熊の皮膚が剥き出しになっている鼻に向かって突き進む。
「ギャアアァァ」
叫び声をあげる熊。その様子を見て焦る星斗。
「拳銃が効いてない!一気に下がりますよ!」
熊は悶えているが生きている、更に出血は見えない。跳弾をしたのか、食い込んでいるのか分からないが、倒せていないと判断し、一気に距離を離そうとする星斗。
更にもう1発撃ち込んで怯ませようと銃を構えた、その時。
突如熊が痛みと怒りに我を忘れ雄叫びをあげながら、こちらへ突撃し始める。怪しく光る翠色の眼光が残像の様に線を引き、星斗達に迫る。
拳銃を構え、一気に引き金を引く。
連続する2発の銃声。
「――クッソ!!」
熊の顔から狙いが逸れ、案の定熊の巨躯に弾かれる弾丸。動いている動物や人間に拳銃の弾を当てるのは距離が近くても思いのほか難しい。特に緊急時、しかもこちらの生命に危険が迫っているような状況では、まともに狙う余裕が持てない。
目の前に迫る熊から我が子を守ろうと抱き締めて屈む女性。目を瞑り、母親にしがみ付く少女。
「――絶対守るから!!諦めないで!!」
声を張り上げる星斗。
(ゼロ距離でブチかましてやる!!)
自身の負傷も辞さない覚悟で熊を迎え撃とうと身構えた時。
星斗達と熊との間。数メートルの間に、突如として翠色の光の渦が現れた。
その光の渦の中心に向かって翠色の霊子が収束する。
――そして、世界が割れた――
ペリペリと風景画が剥がれるように、林の風景が剥がれ落ち、剥がれ落ちた先に白い世界が垣間見える。
急速に霧散する翠色の霊子の放流が収まると、そこには美しい深紅の髪の男が立っていた。
男は白地に燃える様な深紅の意匠の入った、法衣の様な服を着て、
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