第6ー2話 優先順位

 ◆◆◆


「お前ら、1番の非違事案ひいじあんは何だと思う?では若林!」

「はい!法を破る事です!」

 

 初任科しょにんかの担任教官である佐藤教官から指名された若林は、さっと立ち上がり元気よく答える。

 その回答は模範的である。

 教官は首肯しゅこうしながらまた別の者を指名する。


「伊藤!どうだ?」

「はい!酒やギャンブルに溺れてしまう事だと思います!」

「それはお前が気を付ける事だな」

 

 教場が笑いに包まれる。

 こう言う時にしっこりとぶっ込んでくるあたり、流石の営業職からの転職組である。

 星斗が警察学校に入校して暫くたったある日、3組の担任教官である佐藤教官はその大きな体を揺らしながら、厳つい顔で初任生を相手に非違事案について話をしていた。

 星斗達の教場は男だけの所謂"だんクラ"であり、中途採用の転職組も多く在籍している教場であった。

 星斗も大学を卒業し、警察学校の門をくぐった者の1人であり、まだ警察の"け"の字も知らない初任科生である。

 初任科生しょにんかせいとは、各都道府県警察で採用された警察職員が各都道府県に設置されている警察学校に入校し、警察官としての基礎を学ぶ"初任科しょにんか教養"を受けるている警察学校に入校したての、ピヨピヨの警察官達のことである。

 大卒で6か月、高卒で10か月間、みっちりと法律から逮捕術まで、警察官に必要な基礎を叩きこまれる。

 その間、初任科生は警察学校内の寮で共同生活をし、卒業と同時に警察署へと配属される。

 事務職等の一般職員が、1か月の教養を受けて各々の配属先に出ていくのとは期間が根本的に違うため、様々なカリキュラムが組まれている。

 その中の1つが、非違事案ひいじあん防止教養である。

 非違事案ひいじあんとは所謂いわゆる”不祥事”のことであり、重大な違法行為から交通違反、不倫等の非倫理的行為まで幅広く対象となるものである。

 

「では牧田!」

「はい!国民の信頼を裏切る事です!」


 おぉ!っと教場に感嘆かんたんの声が響く。

 牧田は3組の代表、副総代ふくそうだいを務める人物である。

 同じ期の中にその期の代表である総代そうだい、各組の代表である副総代がおり、成績が優秀であり、且つ人格に優れた者が選出される。

 星斗より年が1歳上の男は、他の模範となる回答を示す。


「うむ。警察職員の職務倫理及び服務に関する規則第2条に、警察職員は、警察の任務が国民から負託されたものであることを自覚し、国民の信頼にこたえることができるよう、高い倫理観の涵養かんように努め、職務倫理を保持しなければならない。という職務倫理の基本がある、また第五条には、警察職員は、国民の信頼及び協力が警察の任務を遂行する上で不可欠であることを自覚し、その職の信用を傷つけ、又は警察の不名誉となるような行為をしてはならない。という信用失墜行為の禁止がある。よく覚えておくように」

「「「はい!!!」」」


 初任科生の大きく揃った返事が教場に響く。教官は教場の中の初任科生達を見渡し、鷹揚おうように頷いて口を開く。


「今のが授業で教える基本だ。だがな、俺はそうは思わない。俺はもっと重大な、避けるべき非違事案があると思ってる。仁代なんだと思う?」

「はっ、はい!」


 突然の指名に星斗は驚きつつも返事をして立ち上がる。


「えーと……死んでしまう事でしょうか」


 シンっと静まり返った教場に星斗の声が通る。

 

「……何故そう思う?」


 教官が静かに問いかける。

 その目は問い質す様なものではない、寧ろ真剣に星斗に対して問うている。


「残された者は、辛いですから……家族も国民ですので」


 教官はそっと目を閉じ、普段は見せない優し気な表情を見せる。

 恐らく、この優し気な表情が本来の教官の顔なのだろう。

 今は無理をして厳しく初任科生に接しているが、根は優しい人なのだと分かってしまう表情だ。


「すまない。お前はんだったな」

「……はい。今はもう大丈夫ですが、やはり大切な人を亡くすのは、辛いですので」


 星斗の両親は既に亡くなっていた。

 それも突然の交通事故で。

 心の準備のできていない、覚悟のできていない喪失は、できている者のそれとは比べものにならない衝撃と悲しみをもたらす。

 星斗は知っている、突然の死がどれほど人を悲しませるかを。


「我々警察官の大先輩方は、時に己の命を投げ打って国家と国民に奉仕してきた。己の命で救った命があり、確かにその先輩方は崇高すうこうな志をもって職務を全うした。今も英霊として祭られている。俺は先輩方を偉大な人達だと思う、だが!尊敬はしない!!残された家族はどうなる!!己の命を賭して何人救い、何人泣かせた!!親や兄弟を、妻や我が子を、家族を、友人を、そして同期を泣かせるな!!!生きて職務を執行しろ!!!生きている限り、救い続けられる!!!死ぬな!!!!分かったか!!!!!」

「「「「「「はい!!!!!!」」」」」


 教官の熱に侵され、教場の星斗達は声を張り上げて返事をする。

 

 ◆◆◆


 死ぬな。大切な人を泣かせるな。

 教官の言葉が今の星斗の胸に残る。


(俺は、目の前の我が子を泣かせるわけにはいかない。まだ無事かどうかも分からない子供達を助けなければならない。助けを待っている大切な人がいる)


「亜依、生きるぞ」

「えっ……お父さん?」

「こんな世界になっちまったけど、この世界で生きていくぞ。まずは伊緒と真理の無事を確かめる。それから美夏を、お母さんを助ける。勿論、お母さんと一緒にいるサリエさんもな」


 星斗がそう宣言する。それは己に対する覚悟と決意の表明である。


「お父さん……ありがとう……あたしも手伝うから!頑張るから!」

「ああ、頼むぞ。お母さん達のことは亜依が頼りだからな」

「うん!任せて!絶対思い出してみせるから!!」


 今日初めて出会った親子は、家族を助けるという1つの目標のために、その意思を固める。

 星斗の中の優先順位が入れ替わった瞬間であった。

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