冬が寒くて 前編

 トントントントン、一定の間隔で刻まれる包丁の音。

 ぐつぐつと煮立った鍋の火を止め、昆布を取り出す。

 そこへ鰹節を豪快に放り込んでいく。

 いつも以上にしっかりと出汁を取るため、今回はケチらない。

 テーブルの上には色とりどりの食材が、調理されるのを順番待ちしている。


「真理、次はニンジン取ってくれる?」


 仁代美夏じんだいみかは小さなエプロン姿で料理を手伝ってくれている、娘の真理まりに向かって声をかける。

 

「はい、お母さん」


 真理はテーブルの上からニンジンを手に取りに、美夏に手渡す。


「お母さん、つぎは?」

「じゃあ、ゴボウを用意しといてくれる?」

「はーい、ニンジンさん、ごぼうさん」

「穴の空いたレンコンさん」

「すじのとおったフーキ!」


 美夏と真理が歌いながら調理を進めている頃、家の外では仁代星斗じんだいせいとが息子の伊緒いおと共に駐在所の庭を掃除していた。


「うぅ……寒い……雪でも降りそうだな……雲無いけど」

「ほんと!ゆき、ふるかな?」

「寒いから降りそうだけど……雪雲は無いなぁ」

「えー」


 寒風が吹き荒ぶ12月も末日。

 大晦日まで終わらなかった大掃除の為、星斗は高圧洗浄機を持ち出していた。

 

「お父さん!伊緒もそれやりたい!」

「んー、やってみるか?」


 星斗は手にしていた高圧洗浄機のノズルを伊緒に手渡す。


「へへー、1回やってみたかったんだよね、これ」

「いいか、グリップをしっかり握って――」


 星斗が使い方を説明しようとした時、伊緒がグリップを握って噴射レバーを引いてしまった。

 

「わわわわわ、お父さん!これどうするの!」

「ちょっ!こっち向けるな!冷たい!あばばば――」


 焦った伊緒はガンタイプのノズルを、星斗へと向けてしまう。

 高圧縮された水流が星斗を直撃。

 星斗も濡れてもいいように雨具を着用してきているが、それ以上に水圧が強い。


「お父さん!止められないよっ!」

「手を――手を離す――ぐおおおおお」


 焦ってよりグリップを握り込んでしまう伊緒。

 水圧に負けてノズルの銃口がグネグネと踊る。

 強力な水流が星斗の顔面に叩きつけられ、星斗が悶えている。


「たすけてーーー!!!」

「うるさーい!何騒いでるの!」


 窓を開け、外で騒ぐ星斗と伊緒に向かって一喝する声。


「ひっ!お母さんごめんなさい!!」


 美夏の声に反応して伊緒がピンと背筋を伸ばす。

 手から高圧洗浄機のノズルが零れ落ち、星斗は漸く高圧水流から解放された。


「2人とも!何遊んでるの!」

「いやこれは遊んでるんじゃなくて……」

「2人ともびしょ濡れじゃない!風邪ひくから直ぐにお風呂に入りなさい!」

「はい!」

 

 美夏の声に何とか説明しようと星斗が声を上げるが、美夏の勢いに負けてまずは伊緒が戦線離脱。

 伊緒はクリスマスプレゼントとして貰った玩具の剣で、冷蔵庫を傷付けて怒られてしまった。

 以来、伊緒は母親の美夏に対して絶対に逆らうことが無いのだ。


「……じゃあ俺は掃除の続きを――」

「星斗さんも!風邪、引きますよ!」

「はい……」


 星斗も例外ではない。

 ここは、大人しく従うが吉。そう判断し、2人はとぼとぼと家の中へと戻っていく。


 何処にでもある家庭の日常。

 ある年末の大晦日の光景。

 慌ただしくも、穏やかに過ぎていく。


 ◇◇◇


「あー……大掃除終わらなかったな……」

「あんなびしょ濡れになってたら、それは無理でしょうね」

「あれは伊緒にやられて……」

「わざとじゃないもん!」


 いい大人と小学校1年生の男児が責任の擦り付け合いをしている。

 正確には、責任もなにも無いのだが、ただ怒られたくない一心でその場を逃れようとしているだけだ。


「もうどっちでもいいから、料理作るの手伝ってください」

「どちらかと言うと――「手伝ってください」……はい」

「お父さん、おこられた~」

「伊緒もです」

「……はい」

 

 美夏に怒られてシュンとする2人の男共は、黙って台所で料理の手伝いを始める。

 と言っても、広くない台所に4人が居ても邪魔なだけである。

 星斗は台所の片隅から長い棒と、大きな鉢を持ち出してきた。


「じゃあ夕飯のうどんと蕎麦でも打ちますか。テーブル半分借りるよ」

「まずはうどんからお願いします」

「任された」

 

 星斗は年越し用の蕎麦とうどんを打つため、こね鉢に地粉を入れ水と共に混ぜ始める。

 元々仁代家では年越しに蕎麦を食べていたのだが、子供が小さい頃に年越しうどんを作ってからそれが好評を得ている。

 子供達にはうどんを、大人は蕎麦を。

 うどんも蕎麦も星斗の手打ちである。

 

 ――警察官たるもの、うどんか蕎麦を打てなければならない――


 謎の教えを諸先輩方に伝授され、何となくで始めたうどん打ちと、最近始めた蕎麦打ち。

 

「よし、水はこんなもんだろ……ここからよくねる!」


 星斗は体重を乗せながら、玉になったうどんを捏ねていく。


「お父さん!伊緒も!」

「もうちょっと待ってろ……どれ、少しやってみるか?」

「やるっ!」


 その届かない伊緒は踏み台の上に乗り、腕まくりをしてうどんを捏ねる。

 だが、如何せん力も体重も足りないため、星斗が後ろから手を伸ばして一緒の捏ねはじめる。


「すごーい!ねんどみたい!」

「はは、粘土よりは美味いぞ?」

「伊緒、ねんどたべないもん!」

「そうか……美味いのに……」

「……え?おいしいの?」


 伊緒に粘土の美味しさを説く星斗。それを黙って楽しそうに聞いている美夏。


「じゃあこんど、ねんどでうどん作るからたべて!」

「そうだな、きっとお母さんが食べてくれるだろう」

「星斗さんが責任もって食べてくださいね?」


 星斗から美夏へのキラーパス。

 だが、それはすぐに蹴り返されてしまう。

 

「んー、不味そうだからパス」

「あー!お父さんまたウソついた!」


 星斗は蹴り返されたボールを、受け取ることなく華麗にスルー。

 伊緒は漸く騙されていたことに気が付いたようだ。

 そんな様子を羨まし気見つめる小さな瞳。


「真理もやりたいな……」


 真理がポツリと呟く。


「よし、伊緒交代だ。真理にもやってもらおう」

「はーい。じゅんばん、じゅんばん」

「やるー!」

 

 羨ましそうにしていた顔が明るく輝き、伊緒と場所を入れ替える。

 星斗に抱かれるような形で一緒にうどんを捏ねていく。


「しっかり力いれるんだぞ」

「わかった……」

「もっとこねないと」

「わかってるって!おにいちゃんはだまってて!」


 上手く力の入らない真理は、横から口を出してくる伊緒に対して邪魔をするなと一喝。

 伊緒も心配して言っているのだが、邪見にされても仕方がない言動だ。


「ふぅ、手がいたい……」

「交代するか?」

「はいはい!もういっかい伊緒がやる!」


 伊緒が勢いよく手を挙げ、もう一度やりたいとせがむ。


「お母さんもやりたいなぁ……」


 いつの間にか調理の手を止めて、腕まくりをした美夏が星斗の脇に立っていた。


「えー、お母さんはずるい!」

「ずるくありません!お母さんもやりたいんです!」

「じゃあ美夏の番かな」

「やったぁ」

 

 真理が踏み台から降り、美夏は子供達の番を押しのけてうどん打ちに取り掛かる。

 

「じゃあ今の内に蕎麦を打つ準備でも……」

「どこに行くんですか、星斗さん?」

「えっ?」


 蕎麦打ちの準備をしようとその場を離れようとした星斗に向かって、美夏は何をしているのだと頬を膨らませる。

 

「早く、手伝ってください」

「手伝う……伊緒と真理みたいに?」

「勿論です。さっ、一緒にやりますよ」

「……はい」

 

 呼び戻された星斗は美夏の後ろから手を回し、美夏の細い手にゴツイ手を重ねてうどんを捏ね始める。

 無言ながら、ご機嫌な表情の美夏。星斗も微笑みながらうどんを捏ねる。

 

 「おにいちゃん、このお皿しまって」

 「おう」


 すっかりうどん打ちから離れ、皿洗いと片付けを始める双子。

 美夏と星斗が砂糖を振りまくのは何時もの事なので、2人はもう見飽きているのである。

 特に気にすることも無いので、2人はとっとと手伝いを進める。

 よく出来た子供達である。


 極甘の空間は暫くの間続き、終わるころにはすっかり片付けは終わっていた。


 ◇◇◇


「「「「いただきます」」」」


 無事に?うどんと蕎麦を打ち終え、夕食の時間には間に合わせる事ができたようだ。

 本日は大晦日と言うことで、献立は年越しうどんと蕎麦である。

 

「おいしいー」

「肉がすくない……」


 真理が美味しそうにうどんを啜り、出汁のきいた汁を飲む。

 今日は鰹節をケチらず、たっぷりと入れたので殊更美味しいのだ。

 一方伊緒は普段食べているうどんと違い、肉が少ないと不満をもらしていた。

 仁代家のうどんは、普段埼玉名物の「肉汁うどん」だ。

 濃い目の汁に豚肉と近所の農家から貰う深山ねぎをたっぷり入れた、つけうどんである。

 今日はかけうどんと言うことで、そこまで具材がたっぷり入っている訳ではないので、伊緒にとっては若干の不満なのだろう。


「伊緒、天ぷらも食べればいいんだ。鶏肉もあるぞ?」

「!――たべる!」


 伊緒はとり天を箸で取り、口一杯に頬張る。

 サクサクとした衣と肉汁の溢れるジューシーな鶏肉を頬張り、嬉しそうに齧り付いている。


「美味しい!」

「真理はエビがいい」


 今日は鶏ももで作ったので、伊緒の心を掴んだようだ。

 真理は肉よりエビがご所望のようで、何時もより大きなエビ天を取り、うどんに浮かべてご満悦なのか満面の笑みをこぼしている。

 少し汁を吸わせたエビ天を齧り、更に光悦こうえつの表情を見せる。


「お前は、うどんもちゃんと食べるんだぞ」

「たべてるよ!」

「うん、いつもどおりおいしい」

「……そうか、ならいいか」


 子供達に美味しいと言われ、満更でもない表情で2人を見つめる。

 うどんを掬い上げ、一本ずつツルツルと小さな口の中に吸い込まれていく。

 田舎うどんのため、ゴツゴツした歯応えのあるうどんたが、よく食べてくれる。


「作り甲斐があるな……それに比べて蕎麦はなぁ……」


 星斗は手元に視線を落とし、今日打った蕎麦を見つめる。

 箸で麺を掬い上げるが、20センチメートルもなく千切れていた。


「まだまだ修行が足りない……」

「最初より随分と良くなったじゃないですか」

「まぁね……味はいいんだけどなぁ。次も頑張るか」

「期待してますよ」


 水回しが悪かったのか、捏ねが足りないのか、はたまた麺切り包丁が切れないのか。

 兎も角、物切れになってしまった蕎麦を眺めながら、星斗はぶつぶつと考え事を始めてしまう。


「星斗さん、冷めますよ?」

「――ぁぁ、ごめん。うん、天ぷら美味い」

「やっぱりかき揚げが好きです」

「俺は舞茸と竹輪だなぁ」


 大晦日の夜がゆっくりと更けていく。

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