第9ー2話 生存確認
◇◇◇
亜依が倒れた男から目を離し、後ろを向いてくれた。
星斗も亜依が自分から離れたくない気持ちは分かったが、流石に
「さて、失礼します」
倒れた男の横にしゃがみ、まずは生死の確認を始める。
恐らく、すでに事切れているだろうと予想できていても、決めつけるわけにはいかない。
「大丈夫ですか!返事できますか!」
救急法の要領で肩を叩きながら繰り返し声をかえる。
「意識なし」
案の定返答は無く、ただ身体が揺れるだけである。通常であれば周囲に助けを求め、119番通報やAEDを取りに行ってもらう。だがそんな人は周りに居ないことは分かっているし、119番通報も無駄だろう。
星斗はそのまま倒れた男の顔に耳を近付け、目線は胸部と腹部の動きを注視する。予想どおり息遣いもなく胸部も腹部も動いていない。
「呼吸無し、脈も無し。眼は……少し乾燥し始めてるな……」
ここで星斗は気道確保や胸部圧迫等の心肺蘇生法をすることを諦め、脈を取るため持っていた手首を離す。
「死亡状態と確認」
この段階で星斗は検視に移ることを決める。
検視の主な目的は、事件性の有無を確かめること、そして死因や身元を明らかにすることである。
(この人の死因は恐らく胸の傷だろうが……自殺もあり得ないか?いや、凶器がない……やはり他殺?何時、誰が、何のために……)
分からないことだらけだが、まずは基本の死体所見を確認することにする。
「っと、その前に……」
星斗はそう呟くと、その場を動かずじっくりと男の周りを観察し始める。
「引きずられた跡は無し……足を伸ばした跡だけか……」
周りに血痕も無く、移動された形跡も無い。
「
星斗が見つけた足跡はブロック状の運動靴等に見られる紋様と、
「この人は、運動靴か。よっと」
星斗は男の履いている靴底を確認し、ブロック状の紋様であることを確認する。
「この
そう言って足元の真っ直ぐ歩いて来ている革靴の足跡を見つめる。
「革靴を履く人物……教員か……学生?」
星斗はそう思い至り、2人の子供たちが高校へ履いていく靴を思い出す。
「ローファーの可能性も有るのか……最悪だな」
星斗は口元を押さえながら軽く天を仰ぐ。
生徒が教師を殺害してしまった可能性が出てきたことに、やるせない気持ちが沸き上がる。そ
れでもまだ可能性の段階であり、この男の検視を続けることにする。
「もうちょっと詳しく見たいけどな……でもなぁ……道具も無いし、素手で血に触る訳にいかないしな……」
どのような感染症が潜んでいるか分からない。
他人の血液に触れるということは、それだけで危険だ。
特に、死後間もない死体はその事を強く意識しなければならない。
腐敗が進行した死体であれば腐敗細菌の影響が強く、他の細菌等は活動を阻害される。またウイルスは自己増殖をすることができないため、生命活動が停止された腐乱死体では死滅するのみである。
「仕方ない……取り合えず硬直でも見てみるか」
星斗はまず男の左腕を持ち上げ肩関節を動かす、更に肘関節、手首、指関節と動かしていく。
「硬直は肩はまだないか……首と顎はどうだ……あぁ……少しきてるな……」
星斗が行っているのは死後硬直の確認である。
死後硬直とは、死後筋肉が一時
基本的大人であれば死後2~3時間で現れ、顎や首から発現し、
死者の年齢や体格、病状、死因、体勢、生前の筋肉量や運動量、或いは季節、外気温等の様々な要因よにより一概に言えるものではないが、死亡推定を考える上で参考となる。
「他の関節は……まだ出てないか。硬直的には死後3〜4時間てところか。さて、顔面は……蒼白、顔面の負傷は無し、
星斗は素早く男の顔面所見を調べていく、本来であれば専用のピンセット等を使用して
特に、
「やっぱり死因は胸の傷か……流石に触れないな……」
ワイシャツに広がる赤い滲みをじっくりと観察しながら、ある事に気が付く。
「以外に出血してないな、傷口も1箇所だけか……ワイシャツの
ふと何かに気が付いた星斗は男の手を取り、掌や腕を繁々と観察していく。
「……
掌や指、前腕にあることが多いのだが、この男にはそれが無い。
「傷口は正中よりやや外側より、正面からの刺突であれば右利きか。それも
腐敗とも取れる赤黒く変色した皮膚。
打撲等で皮膚が内出血をして皮膚変色することはあるが、目の前にあるのは傷口とその周囲の組織が赤黒く変色している。
触れば崩れてしましそうな程脆くなっているように見えた。
まるで見たことの無い所見だが、今はそこにばかり構っている暇はない。
1番の問題は、犯人がかなりの危険人物のようであることだろう。
「犯行が
星斗が顔を上げて考え込む。
「――――――――」
何処からか人の声が聞こえてくる。
何を言っているのかは分からないが、それなりの大声で話しているように聞こえる。
「……何処からだ」
星斗は耳を澄ませ、声の聞こえた方角を確かめようとする。
「お父さん――」
背中越しから亜依に呼ばれ、星斗は亜依の方へと振り返る。
「ん、どうした?」
「ぁ……」
何かを言いかけて亜依が止まり、小さな呟きと共に星斗の後ろを見上げる。
星斗も釣られて振り返り、亜依の指差した方を見やる。
「――――――――――!!」
「――――!!」
先程より大きな喧噪が聞こえる。
星斗は目を凝らし、喧噪の聞こえる方角を見てみると、校舎の屋上で動く人影が見えた。
「お父さん、人が居る!」
亜依も気が付き、同じ人影が見えたようだ。
「――そうだな!行ってみよう!」
「うん」
2人が校舎に向かおうとしたその時、屋上の手摺を飛び越えて1つの影が飛び出す。
「はっ?!」
「――!!」
驚きの衝撃で声が漏れる星斗、余りの光景に声も出ない亜依。
飛び出した影は、人であった。
小柄で華奢な体格、肩まで伸びた髪が空に揺れる。
地面に背を向け、天を仰ぎ、スカートがたなびく。
制服を着たその後ろ姿は何処か見覚えがあった。
今朝、送り出した後ろ姿。
2人の子供たちの友人。
――
「どうなってんだよ!!」
星斗が叫び声と共に走り出す。
まるでスローモーションのように空を舞う少女。
校舎までかなり距離がある、とても間に合うような距離ではない。それでも星斗は走る。目の前で人の命が散ろうとしているのだ、助けない理由はない。
爆発的な脚力で校庭の土を蹴り、玲の落下地点まで走り抜けようとする。だがやはり遠い。
「くっそ!!」
悪態をつく星斗。玲が空の滑空をやめ、重力に従い落下し始めようとしたその時、もう1つ影が空へと躍り出る。
その影は玲とは違い、自らの意思で手摺を蹴る。
加速した影は一気に玲までの距離を詰め、玲の手を取る。
「
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