第10-2話 あい

 その光景を目にしていた星斗もまた、あまりの神々しさに目を奪われ、涙していた。

 母親の願い、想い、それを人は愛と呼ぶのだろうか。強烈な想いは人知を超えた奇跡を起こした。

 やがて、亜衣の身体は成長が止まり、空中からゆっくりと地面に降りてくる。

 ふっ、と光が収まり、亜衣の身体を支えるものがなく倒れ込んでくる。


「危ない!」


 咄嗟に星斗が亜衣の身体を抱きかかえる様に受け止める。

 ズシっと重みが圧し掛かかる身体を、そっと地面へと横たえる。

 その姿は先程までの幼い園児から、小学校中学年位まで美しく成長していた。

 その表情を見るも、目を開けることはなく、呼吸もしている様子がない。


「これは……身体だけが成長したのか……魂はないまま……」

 

 目の前に横たわる少女は、魂の抜けた器。

 このままでは、やがて少女の身体からも霊子が抜け、肉体も死んでしまう。

 そう感じた星斗は、片手で亜依に霊子を注ぎながら、もう片手で亜衣の身体に霊子を注ぐ。

 初めての試みに上手く霊子が操れない。

 焦る気持ちを自らなだめながら、霊子を注ぎ込んでいく。

 やがて掌の上の亜依がピクリと反応する。

 弱々しい浮かび上がる亜依。


「亜依!大丈夫か!お前はどこまで霊子を渡せばいい!」


 浮かび上がる亜依は星斗からの霊子を受け取らず、フワリと星斗の前まで飛んでいき「もう大丈夫」とばかりにクルリと1回り円を描く。


「そうか……とりあえず大人しくしてろよ、今こっちも霊子を注入して延命を……」


 目の前を浮いていた亜依がまたフワリと飛び上がり、横たわる亜衣の胸の上に飛び乗り、翠色の光が輝きを増す。


「亜依!そんな力使ったらお前が消えちゃうだろ!そこを退くんだ!」


 明らかな亜依の献身、だがそれは己の命を削る行為。そんな自殺行為を目の前で見逃せるはずがない。

 しかし、亜依は横に揺れ否定の意思を告げる。

 輝きを増したまま、亜依は亜衣の身体の中へと入っていく。

 

 その時、星斗の頭の中には先程までの光景が思い起こされる。


 ――ふむ、なかなか良い魂の輝きだ――

 

 ルフと呼ばれる男が親子の魂を抜く光景を。


 ――魂がね、ないのよ――


 管理者の女が言った言葉を。


 ――魂が戻らない限り、やがて肉体も死にゆくでしょう――


 


「まさか……亜依!お前!」


 星斗が思い至り、止めようとした時には既に……


 ――とぷん――


 亜依と亜衣が溶け合うように混ざり合っていく。


「行くな!亜依!」


 星斗の心の悲鳴。

 亜衣の身体に「魂」という肉体を「人」たらしめる根源たる情報が流れ込む。


「もう二度と……失いたくないんだ!」


 悲しみのに震えた慟哭が、蒼穹の空の下で新緑の林に響き渡る。星斗は亜衣の身体を抱え上げ、抱き締める。

 流れ込んだ魂は細胞の隅々まで流れ込み、そして「脳」と「心臓」へと集約される。


「もう……愛する家族を……失いたくないんだ……」


 星斗の心からの願い。

 2人の異なる人物の肉体と魂は上手く融合できずにいた、、似通った2人の魂ですら、やはり他人なのである。隣の人とDNAが99.9%同一であろうとも、0.1%の差異がお互を他人たらしめている。


「だから――帰って来てくれ!亜依!」


 星斗の叫び、想い、願い、或いは願望。心の底から願われたそれは深紅の光となって亜衣の身体を包み込む。

 星斗の願いによって、他人を他人たらしめる差異がゆっくりと連結され融合していく。


 亜衣の身体は急速に生気を帯びていく。

 心臓が鼓動を再開し、肺が酸素を欲して呼吸を始める。

 体内から失われていた酸素が肺から取り込まれ、血液に乗って全身を駆け巡る。

 頬に赤みが差し、「あい」が眩しそうに目を開ける。


「亜依!無事か!返事できるか!?」

「……あたしは……」

 

 星斗の腕に抱かれたまま、あいは辿々しく答える。


「……亜依なのか?それともこのお母さんの子供の亜衣なのか?どっちだ?分かるか?」


 星斗の疑問。別々の人格の魂と肉体が融合した時、果たして何方どちらの人格が発現するのだろうか。或いは全く別の第三者の人格として発現するのか。


「……あたしは亜依。おとうさんのこどもの亜依。うまれてこれなかった亜依だよ」

「……亜依……亜依なの……か?……さっきまで一緒にいて、飛び回っていた亜依は何処に……」

「その亜依があたしだよ、あのすがたでおとうさんの所にきたんだよ。だがらどっちもおとうさんのこどもの亜依だよ」


 辿々しい言葉使いで必死に説明する亜依。

 星斗の目から感情が溢れ出す。声を押し殺すこともせず、心の赴くままに泣き、亜依を抱きしめる。

 亜依は一瞬困った顔で星斗に抱かれる。だが、すぐさまにまるで母親が泣く子をあやすかの様な優しい表情となり、星斗の背中に手を回してポンポンと叩く。

 そして、そっと目を瞑り呟く。


「――おとうさん、ごめんなさい。あたしね、あの子をたすけられなかったの」


 亜依がそっと呟くのは、懺悔の言葉。


「あの子の中にはいったとき、もう空っぽだったの。だからね、あたしが代わりになろうとしたの。でもね、あの子のかけらが、それはダメって言ったの」


 己の身を削る覚悟、否、魂すら捧げる程の献身。

 何がそこまで亜依を突き動かすのかは分からない。それでも、亜依は亜衣を助けたかったのだ。


「だからあたしはあの子の身体を助けたの。あの子の魂はもうないけど、あの子の欠片は、あたしの中に在るから」


 辿々しい言葉使いが急激に成長していく。

 肉体の成長に、魂の成長が追いつこうと同調する。


「あたしはあの子と一緒に生きるの。あたしはお父さんと一緒に生きたいの。それがあたし達の願いなの」


 亜依の魂と亜衣の魂の残滓、それらが混ざり合い、融合し、新たな魂となる。

 じっと亜依の話に耳を傾け、状況を理解しようと努める星斗。


「つまり、俺は2人のお父さんになるのか?」


 難しい思考を放棄して、至極単純な答えを導き出す。


「違うよ!あの子のお父さんはあの子のお父さんだよ!でもあたし達のお父さんはお父さんだよ!」


 混乱する星斗。だが1つの結論に至る。


「亜依は、2人で亜依なんだな――あの子の魂はここにないから……」

「うん……そうだよ……いつか助けに行かないと……」

「ああ、そうだな。助けに行かないとな……」

 

 ルフに捕らわれた親子の魂。どうすればいいのか、見当も付かないが、やらねばならない事と心に刻む。


「でもその前に――初めまして、お父さん。ずっと、ずっと逢いたかった……」


 満天の笑顔から幾つもの星が零れ落ちる中、亜依が改まって星斗に挨拶する。


「あの亜依なんだよな……生まれて来られなかった……あの……」

「――うん――」

「はは……理解が追いつかないけど……娘が来てくれたんだな……」

「うん」

「――ありがとう。生まれてきてくれて、ありがとう――」

「うん!」


 逢いたいという想いの果てに、親子は再開を果たす。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る