第9-1話 殺意《ねがい》
――グルルルルル――
唸り声を上げながら隙を伺う熊。
「さて、どうするか……あの霊子の弾を作るには集中しないと多分無理だろう……」
霊子の銃弾を意図して作る事は成功したが、それもまだ1回だけだ。相当な集中を要し、その間自身の体は無防備な状態を晒してしまうことになる。
2人を守りながら、いかに
思考を巡らす星斗の懐から、それまで大人しくしていた亜依が飛び出してくる。
「おい!危ないからまだ隠れてろ!」
ふるふると横に揺れて否定の意思を示す亜依。
「どうゆう事だよ、さっきまでは大人しくしてたのに……何かやりたいのか?」
縦に揺れて肯定の意思を示す。
「……まさか自分が囮になるとか言わないよな?」
星斗は恐る恐る亜依に問いかける。小学校での亜依の行動を考えると、大いにあり得ることだ。
縦に大きく揺れて肯定の意思を示す。
まるで任せろと言わんばかりのやる気を見せ、そのまま熊の方へと飛び出していく亜依。
「――ちょっ!待て!――」
止める間もなく飛び出す亜依、まるで小さい頃の
「まったく!うちの奴らはなんで皆んなこうだ」
独りごちる星斗は改めて考える。
(でも、この隙にやるしかないな。一気にかたを付ける、頼むぞ亜依)
飛び出した亜依は考える、どうすれば時間が稼げるかと。
初めて見る熊。どんな動きをするかも分からない。熊に関する知識はある、だがそれらが通用するような相手なのか。いや、恐らく通じないだろう、基本原理は野生の熊なのだろうが、あのルフが何か仕掛けたのだからそう簡単にはにはいかないだろう。と
熊の鼻先まで飛び出し、目の前をフラフラと飛んでみる。いくらルフに何かされたとしても、基本は野生動物である。
目の前にちょろちょろと飛び回られれば、気が逸れるだろう。
案の定、熊は鬱陶しそうに前脚を振り回して亜依を振り払おうとする。
その腕は、霊子を纏って翠色に輝いている。美しい光だが、凶悪な爪と太く強靭な腕の膂力を考えれば、死の光に見えてくる。
「あんな目の前までいって……いや、接近戦するなら張り付いてる方がましか。あの小ささと身軽さなら顔先を上手く離れなければ暫く時間が稼げるか……頼むぞ、亜依」
足元に横たわる亜衣と、覆い被さる様に抱きしめて娘を守る母親。星斗は屈んで母親に声を掛ける。
「もう少し、頑張れますか?あの熊は私達2人が何とかします。それまでの辛抱です」
「……はい……でも……もう……亜衣が……」
母親が弱々しく答える、もう母親は立ち上がり動く事も叶わないだろう。
亜衣は薄らと目を開け母親を見ている、やっとの思いで片手を上げ母親の背中をポンポンと叩く。
猶予が無いのは分かっていた、覚悟はしていた筈だが、目の前で守れなかった命が消えようとしている。娘と同じ名の少女。否が応でも生まれてこられなかった次女を想起させる。
自身が嘘をついて励ましているのは分かっている。それでも、親子にとって今ここにある希望の光は自分達だけなのだ。
そう自分に言い聞かせて、星斗は親子に答える。
「私の娘もね、亜依って言うんですよ。だからね、私達が守りますよ。それまで亜衣さん、守ってあげてください」
上げることすら辛いであろう顔を上げ、星斗を見上げる母親。
「……ありがとう……ございます……お願いします」
「…………」
同じ親として子供を守ろうとする星斗に、自分達の命を託す。今この状態でそれを言ってくれる事に、もう助かる術は無いのだと分かっているのに、それでもなお希望の光であろうするその姿に自然と頭が下がる。
亜衣も言葉を発する事もなく小さく頷く。
亜衣の見つめる先に、熊の前で飛び回る少女が見える。
自分よりも小さな少女が必死に熊の気を引いている。
こちらの視線に気が付いたのか、にこりと笑い、手を振る。
(あぶない……)
心の中でそう呟き、少女に注意を促す。
少女はスルリと熊の前脚を躱し、熊を誘導する。
(ありがとう……がんばって……)
亜衣は薄れゆく意識の中で、見ず知らずの少女の奮闘を応援する。その姿はまるで他人とは思えず、初対面のはずなのに何故か仲良くなれそうだと感じる。
星斗は2人の前に覚悟を決めて立つ。そして先程とは違い完全に目を閉じることなく、半眼の状態で集中し出す。
(――
己の内へ内へと沈み込もうとしたその時。
――バキッ――
巨大な破砕音と共に林の木立が半ばからメキメキと音を立てて折れていく。
思わず目を開け、集中を解いてしまう星斗。
「亜依!」
立ち上がり木立を粉砕する熊。更にもう一振り、何かを振り払う様に前脚を振り下ろす。新たな木立が折れ、音を立てながら折り重なっていく。
その影にチラリと光る翠の光。
「……無事か……」
ほっと胸を撫で下ろす星斗。
亜依は熊の顔先を飛び回り、上手く攻撃を躱ながら星斗達とは反対方向へ誘導しようとしていた。
「亜依が頑張っている今のうちに――」
再びの集中。
己の身体の中に流れる霊子を知覚する。
一度体験した事で、先程よりもスムーズに流れを感じることができる。
左手に霊子を集めるように感覚を集中し、体外からも霊子を取り込んでいく。
しかし、先程よりもゆっくりとしたペースで霊子が流れていく、どちらかと言えば霊子の量が足りていないため、身体からかき集めているような感触だ。
(これは……時間がかかりそうだな……いくら外から取り込んでも有限なのか?)
霊子が結実しだした所で、
心の底から親子を守るために
光の渦の中に混ざり込み、1発の銃弾となって顕現する。
若干翠色が混じった真紅の銃弾が完成していた。想いの強さ、心の奥底からの衝動や願いの方がより純粋な力となるのだろう。混じり気は、星斗の心の迷いや葛藤の象徴として現れる。
(あの巨体……1発で仕留め切れるのか……何発か作れればいいが……いけるのか?……もう1発、やってみるか……)
集中し、もう1発銃弾の生成を開始する。
身体の中を流れる霊子の量が目に見えて減っているのが分かる、明らかに光度が落ちた星々の煌めきはまるで都会の夜空の如くである。
(これは……キツイか?……)
時間的猶予はあまり無い。だが星斗は
本日5発目の銃弾の生成。今までで一番時間を要し、身体の内から、外から霊子をかき集めてくる。
乾いた雑巾を絞るように、霞を集めて飲み水を作るように。呼吸を意識し、効率的に周囲から霊子を取り込む。漂う霊子1粒1粒を意識し、こちらに寄せるように
星斗の身体の周りに霊子が集まり出す。空気中、土中、林の木々、周囲の知覚できる霊子をかき集めるイメージ。管理者の女に肉体の治癒をしてもらい、身体の中の霊子が戻った状態でこれだけ時間がかかるのだ。1日にそう何発も作り出す事は難しいのだろう。
漸く銃弾の形になり、真紅の想いを込めていく。雑念が入ったのか、少し斑らな弾丸の銃弾が完成した。
「――スゥゥゥゥ――ハァァァァァ――」
大きく息を吸って吐き出す、身体から霊子が抜けて自身の身体の重さを感じる。つい今朝までそんな事は思わなかった筈だが、霊子を取り込むようになってから身体は丈夫になり、身体能力も向上していたのだろう。元に戻っただけと言うのが正解だろうか。まるで宇宙から帰ってきた宇宙飛行士のようだ。
重い腕を上げ、掌の上の2発の銃弾を見る。
「よし、これでいける筈」
目の前には薙ぎ倒された木々が折り重なり、亜依が必死に囮となって熊を引き離してくれている。
拳銃の弾倉を開き、2発の銃弾を込める。
「あとは当てるだけだけど……」
林の中を暴れ回る熊にどうやって当てるか、そう思案する間に熊が痺れを切らす。
――グオオオォォォォ――
苛立ちの籠った咆哮。4足歩行で走り出す熊。体当たりで木々を薙ぎ倒しながら亜依に迫る。亜依も突然変わった熊の行動に驚き、一直線に逃げ始める。
それでも星斗達から離れるように囮となる事は忘れていない。しかし。
「そんな逃げ方じゃ捕まるぞ!」
恐ろしいほどの速度で走る熊、そもそも野生の熊は最後時速40〜60キロメートル程の速度が出せる動物である。それが巨大化し身体が大幅に強化されたとなると、最早暴走するダンプと変わらない。
亜依も上空へ逃げることもできる筈だが、健気に囮になっている。このままでは捕まっていまう。
「亜依!こっちだ!」
亜依に気が付いて貰えるように、亜依と熊を左手に見ながら脇に逸れて走り出す星斗。亜依も星斗の叫び声に気が付き反応する。
親子と離れながら林の中を駆けて行くが、まだまだ身体に霊子が戻らない為か、ひどく遅く感じる。
「元の身体、こんなに遅いのか!」
あまり親子から距離を稼げないが亜依は熊を引き連れてこちらに向かってくる。
「狙うっきゃないよな!」
親子が熊の進行方向に被らないように逸らしながら、星斗は拳銃を構える。
亜依を捉えんと暴走する熊がこちらに気が付き、人間を見て本能が思い起こされたのか、眼を爛々と輝かせ襲いかかってくる。
「亜依!避けろ!」
星斗の言葉に上空へ飛び上がる亜依。
射線に誰もいなくなったことを確認して迫り来る熊を照星照門越しに見据える。
(外す訳にはいかない……ギリギリまで引き付けて撃つ……)
用心金の中に指を入れ、激鉄を起こしてよく狙う。
(あの巨体……ここなら外さない!)
必殺の弾丸を放とうと示指に力を込める。
――撃てる――
そう思った瞬間、熊が視界から消えた。
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