第1章 沈む世界

第1-1話 ある警察官の日常 

「おはようごさいます!」

「おはようー、行ってらっしゃい」


 5月下旬、GWも終わり新しい学年にも慣れた小学生たちの元気な登校風景。

 時刻は7時半を回った頃だろうか。

 

「お疲れさまでした」

 

 ここ数年日課となっている、駐在所前での小学生の朝の見送り。

 何ともない、いつもと同じ1日の始まりの朝。

 

 男の名前は仁代星斗じんだいせいと40歳。警察官として駐在所に勤務する、しがない巡査部長である。

 そんな下っ端が日々守っているのが、県内でも比較的事件・事故の少ない警察署の更に平和な、ここ七元ななもと駐在所である。

 

 朝の見送りを終えた仁代星斗は、駐在所の事務室に戻りパソコンで日誌を付けながら警察署へ向かう準備を始める。


「さて、今日は署で毎朝教養まいちょうきょうように出てから青切符の補充しに行かないと」

「佐藤のばぁさんが野菜取りに来いって言ってたけど、この時期なにがあるんだ?ネギはもうとうが立って硬いぞ」

 

 1人呟きながら不在の札を出入り口にかけ、電話を警察署に転送する。


「おーい、間に合わなくなるぞ」


 星斗は居間に戻り、まだ高校へ行く支度を終えていない子供達に声を掛ける。

 

「行ってきまーす!」

「行ってきます」


 勢いよく飛び出してくる双子の兄妹。

 迎えに来たお隣の家の同級生と合流して、急いで自転車を漕ぎだす。

 

「「行ってらっしゃい」」

 

 同級生の母親と共に子供達を高校へと送り出し、何時もの朝の仕事を終える。

 星斗は居間に上がり、座布団を引き寄せて姿勢を正して座る。

 星斗の前には1枚の写真と2つの位牌。


「もう3年か……」

 

 写真に30代の女性が優しく微笑んでいた。

 仁代美夏じんだいみか享年37歳。星斗の妻であり、双子の母親である。

 位牌はその美夏のものと、次女として産まれるはずだった仁代亜依じんだいあいのものだ。

 3年前、2人を同時に亡くしてから失意に沈む間もなく、必死に子供達と過ごしてきた。


 目を閉じれば、今もあの時の光景が浮かぶ。


 ◆◆◆

 

 病院の一室で美夏の手を握る星斗、それを弱々しく握り返す美夏。

 長男は必死に涙を堪え、長女は嗚咽おえつを上げながら母親に縋り付すがりついている。

 

「――伊緒、真理ごめんなさい。星斗さん……あとのこと、よろしくお願いします……」

「――っ大丈夫だ――任せとけ――だからっ!」

「「お母さん!!」」

「先生呼んで!胎児もバイタルが!」

 

 ◆◆◆

 

「――行ってきます」


 星斗は合わせた手を解き、静かに立ち上がって警察署に向かうための準備を始める。

 バイクの荷箱に荷物を詰め、ヘルメットを被る。

 愛車のカブに跨がると警察署に向けて走り出す。


「今日は大分暖かいな。昼間は活動服いらないな」


 警察署までの道のりを、バイクで爽やかな風を切りながら走る。

 新緑の若葉を広げる紅葉の木を見て、ふと星斗が昔から通っている古武術の師匠の事を思い出す。


「っく……」


 開いてはいけない記憶の扉が開きかけ、星斗は慌てて思考を止める。

 丁度その時、無線から110番指令が流れてきた。

 

『埼玉本部から熊山……猪の目撃情報現場げんじょう熊山市……』

「お隣、猪出たのか。大変だろうな」


 無線から聞こえるお隣の市の110番指令を聞かながら、自分の受け持ちでないことを確認しつつ警察署を目指す。


「仁代部長、おはようございます」


 署の地域課で荷物整理をしていると七元駐在所のお隣の駐在さんである、年下の同僚から声をかけられる。


「森岡か、おはよう」

「部長、このあと取り締まりやりませんか?今月まだ切符切ってないんですよね」

「お前交通取り締まり嫌いだもんな、俺も好きじゃないけど。まぁやらにゃしょうがない、で切り上げていいならやるぞ」

「へへ、助かります」

「おーい、駐在さん集まってくれ」

 

 今日の仕事の算段をしていると、直属の上司に当たる係長から声がかかる。


「昨日の当直扱いでもあったと思いますが、近隣署で拳銃使用のコンビニ強盗が発生しています。受け持ちのコンビニは元より、管内のコンビニ、金融機関警戒をお願いします」


 話題は最近発生しているコンビニ強盗のようだ。

 

「被疑者は男1名、黒色キャップ帽、自動式の拳銃を所持。昨日は店内で1発発砲しています」


 コンビニ強盗事態は時たま発生するが、拳銃はよろしくない。

 

「拳銃所持なので無闇に現場臨場することないように。無線報告の上、受傷事故防止資機材を着装してから現認臨場してください」

「いきなりチャカぶっ放したらしいぞ」

「マジっすか!かなりヤバいやつですね」

 

 余所の管内と言うことで、イマイチ緊張感に欠ける会話である。

 

 (てか拳銃強盗とか珍しいな、ヤクザもんの犯行かね)


 拳銃はそう簡単に手に入るものではないし、年に何回も発生するような事件ではない。


「うちの署でも発生したら、駐在所からも捜査員として引き上げられるかもしれないですよ。警戒のほど、よろしくお願いします」

「まじですか。一課の特捜とくそうとか行きたくないんですけど」


 森岡が物凄く嫌そうにうめく。他の駐在所勤務員も一様に同じ表情になる。


「今回はチャカ使用で丸暴まるぼう絡みかもしれないから、捜本そうほん立ち上がるかもな。一課か四課かは分からないけど……」

「うへぇ……」


 星斗も森岡も特捜には行きたくないようで、隠すことなく絶対に行きたくないと顔に出す。


「強盗もですが、お隣の熊山署管内では猪が出没しています。あと堀居署管内では熊も目撃されたみたいなので、何かあったら速報してください。拳銃なんかじゃ止まりませんからね、ハハハ」


 野生動物等への拳銃使用は認められている。

 だが動きが早くて的が小さいため、当たるのが難しい。当たったとしても動きは止まらない可能性があることから、動物相手に拳銃を使用する機会はまずないだろう。

 それより喫緊きっきんの問題は拳銃強盗である。

 動物よりも怖いのは人間である。さらに怖いのは、今月の実績である。


「強盗も大変だが、切符もやらないとな。金融機関警戒がてら行ってみるか」

「了解!青切符補充して行きましょう」

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