第3-2話 助けたいもの

 巨大猪が廊下いっぱいの巨躯を急加速しさせ、突撃してくる。

 間一髪、窓際に転がるように避ける星斗。

 教室の壁を破壊しながら、すぐさま方向転換してくる巨大猪。

 辺りに粉々になった壁の破片が飛び散り、星斗の後ろに残った壁が倒れてくる。


(もう一度避け……)


 後方は倒壊した壁に阻まれ、もはや奴の突進を避ける場所がないことに気が付く。


「やっちまった……厳しいね……」


 突撃してくる巨大猪、ここで終わりかと諦めかけた、その時。

 星斗の周りを飛び回っていた光の玉が巨大猪に向かって飛び出して行く。


「おいっ!行くな!!」


 光の玉に親近感を覚え始めていた星斗は慌てて止めようとする。誰一人として生存者に出会えない中、唯一出会った意思疎通のできるかもしれない相手。

 必死に手を伸ばす。届かない指が虚しく空を掴む。

 光の玉が巨大猪の顔面にぶつかる。威力など皆無の捨て身の体当たり。だが巨大猪も突然目の前に現れた光の玉には驚いたのか、巨大が身じろぎ急制動をかける。

 光の玉は弾かれてしまうが、執拗に顔の周りを飛び回り、巨大猪の注意を逸らそうとする。顔面や眼に向かって体当たりを続ける光の玉に、巨大猪が鬱陶しそうに頭を振り、前脚を蹴り上げる。


「危ないから離れろ!一緒に逃げるぞ!」


 星斗が光の玉に向かって叫ぶ。

 光の玉がピクリと反応して、星斗の所へ戻ろうとして一瞬動きを止める。

 巨大猪はその瞬間を見逃さず、鼻先を横薙ぎに振る。

 鼻先が光の玉を捉え、吹き飛ばされて壁に叩きつけられてしまう。

 廊下に転がる光の玉。

 追い討ちをかけようと前脚を持ち上げる巨大猪。


「――やめろっ!!」


 再度叫ぶ星斗。


(何か無いか!警棒で牽制するか!?)


 星斗が逡巡している間に、巨大猪が脚を振り下ろす。

 一瞬の判断の遅れ。それは致命的な遅れとなって星斗に現実を突きつける。


 ――ズドンッ!!――


 動物の脚音とは到底思えない音が響き渡り、リノリウムの廊下が砕け、大きくひび割れが入る。砕けたコンクリートが飛び散り、砂埃が立ち込めて光の玉が無事か分からない。


「――待ってくれ!!――!!――」


 体の奥底から漏れ出る、魂の慟哭どうこく

 

 走馬灯の様にあふれる記憶。

 平坦になり跳ねることのない心電図。

 慌ただしく動き回って処置をする医師と看護師。

 大粒の涙を流しながら拳を握りしめ、必死に嗚咽を堪える伊緒。

 美夏に縋り付き泣き叫ぶ真理。

 握り返してこない痩せた手。

 

(また俺は無力なのか!何もできないで見ているだけなのか!!)

 

 砂埃が薄れ、巨大猪の足元に淡く光る翠の光が見えた。


(まだ生きている!!)


 そう確信した星斗はもう迷わない。素早く拳銃をホルスターに差し込み、警棒を引き抜く。伸縮する警棒を伸ばすと勢い良く飛び出していく。


「おらぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」


 雄叫びを上げ、巨大猪の注意を引きつつ、警棒を振り上げながら突っ込んでいく。

 砂煙が晴れ巨大猪の姿を現し、脚元には光の玉が見える。


「そこを退け、このクソ猪!!!!」


 巨大猪の顔面、眼球目掛けて力の限り警棒を振り下ろす。

 とても生物の眼球から発せられる音とは思えない異音が響き、警棒が半ばでへし折れ、先端が吹き飛んでいく。


「――ビギャァァ!!」

「――はっ?」


 あまりの事に気の抜けた声を上げる星斗。

 普通、警棒を全力で打ち付けて曲がってしまうことは、良くあることだが、半ばでへし折れて振り抜けるなんてことはありえない。

 それでも巨大猪は悲鳴を上げ、僅かにひるんだ。今はその隙が有難い。

 痛みと衝撃から数歩後ずさる巨大猪。星斗は素早く警棒を投げ捨て、光の玉を救い上げる。そのまま踵を返すように離脱しようと体を反転させた。


「おいっ!生きてる――」

 

 光の玉に話しかけた直後、体の右半身に走る衝撃と宙に浮く感覚。そのまま全身を窓際の壁に叩きつけられて廊下に転がる星斗。


「――ぐっ――がっ――」

 

 息ができず、視界が霞む。口の中は血の味が広がっていく。

 巨大猪の鼻が星斗を横薙ぎに吹き飛ばし、壁に叩きつけたようだ。

 星斗の手からこぼれ落ちる光の玉。

 巨大猪が光の玉を、ヒョイと咥える。霞む視界に映る絶望の光景。


「やめろ――!!」

 

 そんな星斗の叫びを露ほどにもかけず、丸呑みし嚥下えんげする巨大猪。

 無理矢理体を動かし、起きあがろうと力の限り拳を握り込む星斗。


(まだ諦めるな――まだ助けられるかもしれない――アイツをぶっ倒せば――まだ――弾さえあれば――助けたい!!――必ず助ける!!!)


 星斗の心の底からの想い。巨大猪を倒し、光の玉を助ける。そのための手段が欲しい。そんな願い。

 

 体の奥底で何かが弾け、解放された気がした。

 やがてその感覚は連鎖し、全身を駆け巡る。

 

 握り込んだ星斗の右手の拳が深紅に輝き、翠色の粒子が拳の中に収束していく。


「な、んだ……」


 光の放流が迸り、目が眩む。光が収まると、拳の中には先程まで何も無かったはずのなのに、良く知っている細長い形をした一握りの希望があった。

 そっと開いた手のひらの上には、何時もの真鍮の薬莢と銅被甲どうひこうの弾丸の執行弾でも、鉛の弾丸の訓練弾でもない不思議な銃弾が乗っていた。

 翡翠の様な翠色に深紅色の混じった不思議な銃弾の様なものが1発。


「銃弾、か?」


 形状は弾丸のそれだが、色も質感も全く違う。散弾銃のプラスチックの薬莢とも違う不思議な質感。どちらかといえば石、或いはガラスに近い様な手触りだ。


 「グモォォォォ」


 星斗から発せられた光で動きを止めていた巨大猪が意識を取り戻し、動き出そうとする。


「やってみるしかないか」


 一旦ホルスターに収めた拳銃を再度抜き出し、素早く弾倉を開いて翠の銃弾を込める。

 星斗に向かって走り出す巨大猪。頭を下げ、突っ込んでくる。かち上げて吹っ飛ばすつもりだろう。

 膝立ちの姿勢で両手で銃を構える。照星と照門を合わせ、良く狙う。狙うは下がった頭。眉間に狙いを定める。

 ダブルアクションでしか間に合わない、一旦引き金を引いて撃鉄を止める方法も間に合わない。

 1発しかない銃弾に【ぶっ倒して、光の玉を助ける】という願いを込めて、引き金に掛けた指に力を込める。

 深紅の光が拳銃に装填した弾丸に向かって収束し、ゆらゆらと陽炎の様に踊る。

 巨大猪が目前に迫る。


 ――必ず当てる――


 その想いが、例え弾丸が当たっても、巨大猪の勢いは殺せないと分かっていても、自身が吹き飛ばされようとも、命中させることを優先させる。


(喰らえ!!)


 引き金を引いた瞬間、いつもより重い発砲音が響く。

 まるでイヤーマフをした時の様な、重低音と共に弾丸が弾き出される。

 弾倉からは白い煙の代わりに翠色の粒子が飛び散り、反動は発砲音に反してそこまで大きくない。

 翠に深紅の混じった弾丸は、巨大猪の眉間に吸い込まれていく。

 弾丸は頭蓋に弾かれることも無く、まるで豆腐に打ち込んだかの如く、易々と巨大猪の分厚い頭蓋に突き刺さり、脳漿を掻き乱し、体内へとその暴威を撒き散らしていく。

 やがて弾丸から翠色と深紅の光が迸り、巨大猪の体を蝕む。

 前にツンのめる様な形で倒れ込み、勢いそのまま星斗に突っ込んでくる巨大猪。

 体を横倒しにし、何とか体捌きをしようとするが、その巨体に轢かれる様な形で吹き飛ばされる星斗。

 ゴロゴロと廊下を転がり倒壊した壁に激突して止まる。


「――ぐっ、痛っ……」


 頭を強打し、悲鳴を上げている体に鞭打ってすぐさま巨大猪を確認する。

 そこには眼から翠色の光が失われ、横倒しになっている巨大な猪の姿があった。

 星斗はなんとか立ち上がり、慎重に巨大猪に近付きながら残弾の無い拳銃をホルスターへと収める。

 あの時の銃弾の薬莢は入っておらず、弾倉は空になっていた。

 警棒も折れ、拳銃も使えない状況では、星斗に対抗手段は無い。

 それでも一刻も早くあの光の玉を救い出してやりたかった。

 巨大猪の頭の横に立ち、まずは倒せたか確認を始める。


「呼吸はしていないかな……脈は計りようがないか」


 鼻先に手をかざし、呼吸を確かめる。脈は分からないが腹の上下は無く、呼吸は止まっているようだ。

 怪しく翠色に光っていた眼球は元の黒色に戻っており、生気が感じられない。


「……うっし、やってみるか」


 覚悟を決め、巨大猪の口を大きく開けてみる。死後硬直もないため顎は素直に開き、まだ生暖かい。口の中から奥を覗いみるがいまいち奥が見えない。


「ライトあったよな……」


 防刃衣のポケットから小型のLEDライトを取り出し、喉の奥をライトで照らしてみる。

  LEDの白い光とは違う翠色の光が見えた気がした。


「――!!――おいっ!生きているか!?」


 完全に生き物に話しかけるように声を掛ける星斗。

 その言葉を聞いて、胃袋の奥から飛び出してくる光の玉。勢いそのままに星斗に飛びつき、擦り寄ってくる。


「あぁ……よかった……本当に良かった……」


 へたりと座り込む星斗。

 胡座をかいた膝の上を行ったり来たり飛び回る光の玉。

 誰も救うことができなかった男が、初めて1人を救うことができた瞬間であった。

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