第3-1話 助けたいもの

(気が重い仕事だ……)


 何処を確認するよりも気が進まない。毎日通学を見守り、顔見知りばかりの小学校。

 今から生徒たちと教職員たちを確認しなければならない。


 気が重くとも、カブは走らせる。

 光の玉は風に煽られるのか、防刃衣の隙間に入り込んでいるようだ。

 そんな光の玉を見ながら、星斗は思案していた。


(風に煽られるってことは、物質として存在している?触れられるから間違いないか)


 カブで走りながら霊子の粒が、カブの車体や星斗の体に当たり、弾けて消えていく。

 

(霊樹から生まれている霊子は、空気中に溶けるように消えていくが……こいつは違うんだな。意思みたいなものもありそうだし……)


 小学校に到着し、すぐに目に入ったのは翠色に染まった校舎だった。


「くっ……」


 思わず顔をしかめる。警察官として幾つもの事件・事故現場に臨場し、それなりの数の遺体や変死体を見てきた。多少なり耐性はあるが、いつまで経っても子供の死には慣れない。慣れてはいけない一線なのだろう。


「厳しいな……」


 光の玉が何か訴える様に、星斗の周りを激しく飛び回る。まるで諦めるなと叱咤しったされているようだ。

 

「そうだよな、まだ分からないよな……探すぞ。」


 光の玉が頷くように上下する。いつの間にか、自然と光の玉に話しかけている星斗。

 カブを駐車し、制帽を被ってから気合を入れて校内へと入っていく。児童の多い小学校ではない、各学年1クラスだけだ。

 教室にはさっきまで授業で使用していたであろう教科書や鉛筆が散乱していた。

 そして顔を上げると、そこには机に向かい、椅子に座った1回り小さな霊樹が規則正しく並んでいた。


「くっそ……」

 

 一つ一つ教室を確認する。最後に職員室はと入り、誰もいない事を確認してしまった。


「ふぅ……まだ人が集まれる場所……確認すべき場所は……」


 大きく息を吐く星斗。

 心が壊れないように、自衛本能が働いているのだろうか。心が掻き乱されなくなっている。

 光の玉が不安そうに星斗の周りを浮いている。そんな星斗をおもんばかったのか、そっと胸の辺りに寄り添う。


「……暖かい……ありがとう」


 凍えてしまった心が、魂が、暖められていく。

 そっと光の玉を撫でる星斗。


「誰も居ないみたいだから……他の場所を探してみよう」


 光の玉に語りかけ、校舎を出る。カブの所に戻ろうとした、その時。

 

 目の前に巨大な猪がいた。


「な……にっ……」

 

 その体格は、星斗と知る猪より遥かに大きく、ミニバン位あるだろうか。

 眼は怪しく翠色に光り、興奮しているのか落ち着きなく前足を足掻いている。そして、敵意剥き出しの双眸そうぼうを星斗達に向けている。

 関東の平野部とはいえ、田舎で山もある。時には猪や猿、鹿が出没して110番通報が入ることもある。

 星斗も猪を川に追いやったり、猿を追いかけたりしたことはあったのだが。


「今朝の熊山市の猪か?それにしちゃデカすぎだろ。――――こんな何処ぞのアニメの巨大猪みたいな化け物、聞いたことないぞ」

 

(警棒は……無意味……拳銃も効くのか、これ?……それよりも校内に入ってやり過ごした方が…………)


 星斗は深く呼吸し、息を整える。ジリジリと後退しながら、腰の拳銃に両手を当てる。

 目線は巨大猪の翠色の眼から視線を外さず、右手で覆い蓋おおいぶた留め皮とめがわと外し、いつでも拳銃を抜けるようにしておく。

 

(猪との距離は10メートル位、一気に駆け抜けて廊下を曲がれば……)


 朝礼台を遮蔽物にし、数段の階段を後ろ向きにジリジリと登る。


「離れて、何処かに隠れてろ」

 

 光の玉に避難を呼びかける。

 ふるふる横に震え、否定の意思を表す。そして星斗の懐に潜り込む。星斗は一瞬驚くも光の玉を追い出そうとはしない。そんな余裕もないため、そのまま連れて行くことにする。

 星斗は振り返り、一気に校内へ走り出す。それと同時に巨大猪も全力で走り出す。その巨体からは考えられない速度で加速する巨大猪。

 

(左に曲がってすぐ階段を登る!!)

 

 迫り来る巨大重量の鈍い足音から全速力で逃げる。下駄箱の間を抜け、廊下の突き当たり下に設置された鏡越しに迫り来る巨大猪が見える。廊下を曲がった、その時。


 ――ギャイイイィィィィンッ――


 まるで金属同士がぶつかり合った様な音が響く。横目で見たそこには、朝礼台なんぞまるで眼中にない巨大猪が、朝礼台に激突して鉄製の朝礼台を吹き飛ばした所だった。

 前のめりで飛び退く星斗。前周り受け身の要領でゴロゴロと転がり勢いを殺す。背後では朝礼台が昇降口に激突し、ガラスが割れ、下駄箱を薙ぎ倒していく。朝礼台は勢いをそのままに廊下の鏡に激突し、鏡が粉々に砕け散る。

 巨大猪は速度を緩める事なく、倒れた下駄箱を蹴散らしながら猪突猛進し、コンクリートの壁に激突。

 校舎が揺れ、轟音と共に壁にヒビが広がり、破片が周囲へ飛び散る。

 そこで巨大猪の動きが止まる。


(――今しかない!!)

 

 その瞬間を見逃さず、星斗は拳銃を引き抜き、片膝立ちで銃を構える。

 

(狙いは首筋辺り。体では動きを止められないだろう。頭は頭蓋骨に弾かれる。運良く大きな血管を、願わくば心臓に当たれ!!)

 

 強盗事件の時より僅かな余裕があると見做みなし、ダブルアクションではなくシングルアクションに切り替える。

 左の親指で撃鉄を起こし、照星と照門を合わせる。

 力み過ぎて「ガク引き」にならないよう、ゆるやかに、しかし素早く引き金を引く。

 手首に伝わる衝撃。室内のため破裂音がより響き、屋外よりも発砲音が大きく長く聞こえる。一瞬でもの間を置いて、漂う硝煙の臭い。

 命中の如何いかんを問わず、再度素早く撃鉄を起こし、再度狙いを定める。

 

 巨大猪の体が身じろぐ。


(――まだか!!)


 続けて響く3発の銃声。

 ポロポロと廊下に転がるひしゃげた弾丸。

 巨大猪は何事もなかったかのように、悠然と立ち上がり星斗の方へと向き直る。


「的はデカいし、ちゃんと当たったよな!?」


 外したため弾丸が転がっているのか、或いは当たったが体毛と皮膚に阻まれたのか。

 致命傷を与えるどころか、血の1滴も垂れていない。あの巨体に38口径の弾丸では効果が無いのか。


「……マジかよ」


 残弾はあと2発。星斗の使用している拳銃は【S&W M360J SAKURA】回転式の弾倉には5発の銃弾しか装填できない。勿論予備の銃弾など持ち合わせていない。


 脱兎の如く階段へとひた走り、一気に2階へと駆け上がる星斗。その周りを必死に付いてくる光の玉。

 再度後ろから迫りくる巨大重量の鈍い足音。リノリウムの廊下が悲鳴を上げながら砕け、そのままの勢いで階段を駆け上ってくる巨大猪。


(追いつかれる――)


 星斗が2階へ登りきる前に、巨大猪は踊り場まで登ってきている。このままではあの巨体に押しつぶされてしまう。そうなれば一貫の終わりである。星斗が取るべき手段は限られている。

 逃げるか、迎え撃つか。このままではジリ貧と判断。

 素早く拳銃を構え、狙いを定める。距離は5メートルもない。


(――狙うは顔、できれば目玉!!――)


 いくら巨大な体とはいえ、所詮は目玉、的は小さい。

 血走った翠色の眼が、こちらを見つめ返している。

 

「最後の2発!くれてやるよ!!」

 

 覚悟を決めて、発砲する。階段上からの打ち下ろし。慣れない射撃姿勢。そして先程の様にシングルアクションで撃つ時間はない。ダブルアクションになってしまうが、成るべく狙えるように引き金を一気に引き撃鉄を起こし、そして引き切る前に一瞬止める。これで撃鉄を起こしたことになり、シングルアクションのように軽く撃鉄が引けるようになる。


 銃性と共に弾丸が飛び出す。

 だが、弾丸は狙いの目玉を外れ、階段の踊り場に着弾し跳弾していく。


「――クッソ!――」

 

 巨大猪が脚を足掻き、星斗に狙いを定める。

 残弾はあと1発。当てられなければ、待っているのは「死」。


「やってやるよコノヤロー!!!」


 先程と同じダブルアクションで撃とうと構え、引き金を引き起こし、止めたその瞬間。

 校庭で見せた加速とは比べ物にならない速度で、巨大猪の体が踊り場から2階まで跳ね上がる。

 反射的に体を捻じりながら横っ跳びしするが、受け身が取れず廊下に叩きつけられ、その反動で引き金にかけていた指が引き金を引いてします。


 廊下に虚しく響く銃声。


(しまった――)


 勢いそのまま2階の壁に激突する巨大猪。

 だが昇降口の時とは違いすぐさま向き直り、再度狙い星斗に定める。


(ヤバイ――避けなければ――死ぬ)


 避けようという意思はあるのに、体が動かない。体が完全に委縮してしまっていた。


(――動け、動け、動け――足掻け、あがけあがけぇぇえぇぇ!!)

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