第2-2話 世界が哭く日
どうにか体を動かし、愛車のカブに辿り着く。荷箱に押収した拳銃を入れ、
走り出してようやく街の様子が見えてきた。普段はそれなりに人通りがある駅前通り、歩道にはいつもなら歩行者がいるはずだ。
しかしそこにはいくつもの霊樹が生えており、怪しく翠色に光っている。
車通りもそれなりのはずだが、走っている車はない。むしろ至る所で交通事故が発生し、煙を上げている。その車の中から霊樹が空に向かって枝葉を伸ばしている。
星斗はそのまま空を見上げる。数少ない高層マンションと病院の窓から無数の霊樹が生え、巨大な樹のオブジェと化して翠色の光、霊子をまき散らしていた。
「……ははっ……何が何やら……これは夢か?」
あまりの光景に夢を疑う星斗。頬でも抓ってみたくなるが、そんな暇もない。
頬を撫でる風はぬるく、火災でも起きているのか焦げ臭いにおいが鼻を衝く。
否応なく、これは現実だと世界が突き付けてくる。
「急ごう――」
平素であれば、対応しなければならない事態が其処彼処で発生しているのだが、あまりの事態に星斗の思考は麻痺してしまっていた。
道路上の事故車両や、投げ出されたであろう人だったものを避けつつ、星斗は警察署へ急いだ。
樹々は今も成長しているようで、その枝葉をさらに広げている。
誰もいない街の中を抜けて警察署を目指す。
国道の交差点に差し掛かると信号に引っかかる。
「信号は動いてるのか……てことは電気は生きてる?」
災害時に自動的に自家発電に切り替わる信号機も存在するが、まだそれ程普及しているわけではない。
車の往来もないのに律儀に信号を守ってしまう星斗。
交差点は玉突き事故となっており、霊樹が煌々と霊子を放出している。
その奥に目をやると市役所が見える。人が多く集まっていたからだろうか、一際大きな霊樹が生えている。
それは何人もの人々が融合した様に、霊樹同士が絡み合い、巨大な一本の樹になっていた。
「駐在所管内もこんな状態なのか…………」
そう呟きながら警察署を目指してカブを走らせる。
途中、強盗の現場へ急行していたであろうPCが路肩に乗り上げていた。車内には2本の霊樹。PCの屋根には「深1」の文字。深山署のPC1号車だ。
「斉藤係長……五十嵐さん……」
恐らく乗車していたであろう2人の顔を思い浮かべ、確認すべきか逡巡し、急いで戻るべきとその場を振り切る。
警察署に到着するが、そこは他の建物と同じような状態になっていた。
樹々が生い茂り、窓を突き破って青々とした枝葉を伸ばしている。
急いで署内へ駆け込むが、そこは銀行内と同様、森と化していた。それでも樹木を掻き分け、先程までいた地域課の部屋まで辿り着く。
「山田課長!!横山係長!!――」
返事をするものは誰もおらず、ただパソコンの起動音が聞こえるのみ。普段ならひっきりなしになっている筈の無線司令や
「係長!失礼します!」
「至急至急!!深山から埼玉本部!!」
『………………』
やはり返信はない。
それではと、警電から110番通報を試みるが、先程と同じく呼び出し音だけが鳴り響くのみである。
一般回線と違い専用回線の警電が通じないのは、いよいよもっておかしい。
半ば絶望の中、無線のチャンネルを変更し、お隣の群馬県警に合わせてみる
『……………………』
「くそっ!……どうするか……署内だけでも確認するか……」
フラフラとよろめきながら、1階の地域課、交通課、警務課と見て回る。
「……誰も居ないのかよ……これは他の課も……」
階段を登り2階、3階と確認するが、誰とも出会う事はできなかった。
1階に戻った星斗はロビーのベンチに座り、呆けたように天井の樹々を見上げながら現状の整理をする。
「――今の所生存者はなし――無線も電話も応答なし――今、やるべきは……」
星斗の頭の片隅には子供たちの安否を心配する気持ちはある。しかし、今自分が成さねばならないことを考える。
「――高校には
今すぐ駆け付けたい衝動を抑え、子供たちの無事を祈る。そして親友に託すことで自分の心を誤魔化す。
災害時、警察官とて家族の救助を妨げるものはない。しかし、今起こっている原因不明の大災害のなか、動けるのは自分1人。助けを待つ人がいるかもしれない状況で、警察官としての使命を投げ捨てる訳にはいかない。投げ出したい本心を抑え、初任科時代のあの魔法の言葉を思い出す。
あの日、警察学校で教官が事あるごとに言い聞かせた言葉。
「俺がやらねば、誰がやる」
若き日の、その言葉を呟く。
「
自身に魔法をかけるように言い聞かせ、本心に蓋をする。
「誇りと使命感を持って、国家と国民に奉仕すること!」
気合の一言。職務倫理の基本を1人唱和する。
滅私奉公の精神などそんなに持ち合わせてはいない。いや、きっと警察学校に入ったばかりの、初任科生の頃はちゃんと持っていたかもしれない。「警察官」を志した頃なら……何時しか「警察官」というただの仕事になってしまってからは、
【俺がやらねば、
そんな考えに、いつの間になっていたのだろう。むしろ熱い志を燃やし続けた正義感溢れる同期達は、何時しかそんな考えの同僚や先輩たちに失望し、退職していったのだ。
「やるべきは、今だよな牧田……」
かつての同期に語り掛け、星斗は立ち上がる。
再びカブに乗り込み、七元駐在所を目指す。
片田舎にある駐在所のため、道路には車はあるが歩行者は殆どいない。そのため街中よりも日常通りに見える。
駐在所管内に入る為の川を渡る。小高くなった橋の上から、ふと振り返り市内の方を眺める。
鳥が舞い、雲が流れるいつもの空。
その空の下には、翠の光の海に沈む世界が広がっている。
「霊子とかってのが広がってるのか……これ吸ったり触れたりして大丈夫なのか?」
今まで散々吸い込んでしまった未知の光に、今更ながら不安を覚える。少しは冷静になったのだろうか。
田舎道をひた走り、
「――まずは皆が避難してきそうな小学校と公民館の確認だ――」
生存者がいる事を信じて、避難場所になる場所から確認を始めることにする。
公民館の駐車場にカブを駐め、館内を確認するが誰もいない。
「館長……」
職員たちだった霊樹を確認し、次は小学校に行こうとした時。
大小様々な霊子の舞う中に一際大きい光の玉が、まるで流れ星が落ちてくるかの様に、星斗に向かって降り注ぐ。
空には一羽の鳥が舞っていた。その鳥は光の玉が星斗の所まで辿り着いたのを見届けると、一声「カー」と鳴き、彼方へと飛び去っていく。
他の霊子は霊樹から生まれ、空へ舞い上がっていくのに対し、その光の玉は空から現れた。
そして星斗の前に揺ら揺らと舞い降りた光の玉は、目の前で止まり、何やらフルフルと震え始める。
「また何か来たぞ……」
暫く震えていた光の玉は、やがてクルクルと跳ねるように飛び回り始め、星斗にくっ付いて回る。
何か意思でもあるような動きに、星斗は呆気に取られるも、何故か懐かしい気持ちになる。
「お前、何か楽しそうだな」
ふと、そんな思いが浮かんで口にする。星斗の顔に笑みが浮かぶ。
朝から警察官人生で一度遭遇するかどうかの場面に出くわし、更に訳も分からぬまま動き続け、緊張で凝り固まった心が、ほんの少し解きほぐされた気がした。
星斗の言葉が通じたのか、光の玉はより激しく跳ねまわり、星斗の顔にすり寄ってくる。
「――♪――」
【嬉しい】そんな想いが伝わってくるような気がした。
「これから仕事をしなきゃならないんだが、一緒に来るか?」
世界に異変が起きてから、初めて出会う意思疎通ができた存在。
置いていくという選択肢は存在せず、掌に乗るように右手を差し出してみる。
「――♪♪――」
掌に勢いよく乗る光の玉。そのまま星斗の肩の上まで移動し、肩の上で飛び跳ねる。
【ありがとう】そう言っているようだった。
「……覚悟決めて、行ってみるか」
星斗はカブに跨り、小学校を目指して走り出す。
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