第2ー2話 沈む心

 ◇◇◇


(伊緒……くん……玲ちゃん……)


 光は見えなくなった2人に呼びかけようとするが、声が出ない。


(……魂……変換……身体の……内側……が……)

 

 光も魂が何なのか分からない。しかし、自分が何かに書き換えられているような不快感がある事は分かる。

 光自身にあがなう術はない、しかしあがなっている。


「……真理……ちゃん……」


 ここに居ない親友の長女の名前を呼ぶ。

 親友との約束を守るために、今すぐ駆け出したい。隣のクラスを今すぐにでも確認しに行きたい衝動が膨れ上がる。

 

(みんな……無事で……)


 遂に光は思考することすら叶わなくなる。


『――術式深度100%進行度99.9999%――霊樹れいじゅ霊子れいしの生産を開始します――』


 先程まで教室内を埋めていた翠の光の放流が引いていく。

 代わりに翠色の光がふわりふわりと沸き立ち始める。

 光は急激に収まっていく不快感から解放され、停止していた思考が戻ってくる。

 

「……一体どうなって……」


 目を開け、光が目にした光景は一面の森であった。


「なっ!……」


 絶句する光。ほんの少し前まで授業をしていた時の眺めと一変し、生徒が座っていた場所には1本1本立派な樹が生えていた。

 鈍った思考の中で、謎の声が言っていたのは「霊樹」と「霊子」という言葉。

 それがどういう意味のものかは分からないが、何を示しているのかは理解できる。

 翠色の光を放っている葉。今尚伸び続けている枝と幹、床にどっしりと張り付いた根。

 そしてその周りを漂う翠色の光。


「…………」


 再び止まりかけた思考を無理矢理に動かし、光は最後に見た3人の生徒の元に向かう。


「――伊緒くん!玲ちゃん!野口さん!」

 

 今すぐ隣の教室へ飛び出したい衝動もある。しかし光も生徒の命を預かる教師である。まず、確認すべきはこのクラスの生徒達。

 伸びる枝葉を掻き分け、窓際の一番後ろの席を目指す。

 樹々は怪しく翠色の光を生み出し、霊子の光がひかるを覆う。

 制服を着たもの、ペンを持ったままのもの、床に転がるもの。そこに誰が居たか、手に取るように分かってしまう。


「伊藤……鈴木……田中……」


 ――非常時に生徒を守らねば――

 

 もしもの時の訓練や知識はある。だが、今この状況はその想定を遥かに超えている。

 光にできる事は、直前まで人の形を保っていた3人の安全確保である。

 焦る気持ちを落ち着かせて歩みを進める。霊樹になってしまった生徒を掻き分け、その度に人間だった時の姿を思い浮かべてしまう。それでも気持ちだけで前へと進み、3人の席に辿り着く。

 そこには机の上に突っ伏して倒れる3人の姿があった。


「おい!生きてるか!伊緒くん!」


 伊緒と玲は手を繋いだまま倒れており、2人とも意識はないようだ。


「玲ちゃん!……くそ!」


 光は慌てて2人の呼吸を確認しようとする。そして2人背中が上下している事に気が付き口元へ手を当てる。


「――はぁぁ」


 安堵の溜息を吐き、2人が呼吸している事を確認すると、すぐさま後ろの席で倒れている雫も同様に呼吸の確認をする。

 

「よかった……」


 3人の生存者が居た。その事が光の冷静さを取り戻させる。

 そして、改めて周囲を見渡す。


「一体どうなってるんだ……みんな木になっているのか……」


 そして思い出す謎の声。

 ”神罰術式”に”肉体の変換”と”魂の変換”そして、うすらと記憶にある謎の声が発していた”霊樹”と”霊子”という言葉。

 何が何だか分からないが、己と生き残っている3人以外は皆”霊樹”とやらに変えられてしまったのだろうか。

 そう考え、更なる生存者が居ないか教室内を確認していく。

 1人1人の状態を、誰か樹になっていな者はいないか確認していく。しかし自身を含め、4人以外に人間の形を保っている者は見つからない。

 受け持ちの生徒の確認をしながら光の表情はどんどん厳しいものになっていく。


(皆んなは生きているんだろうか……それとも……)


 現状、樹になってしまった生徒に声をかけても反応はなく、呼吸や脈拍も無い。手触りは樹木のそれであり、生きているのか死んでいるのかの区別さえもつかない。

 そして想定後の非常事態故に、今この教室を出るべきか否かの判断に迷う。


(外は安全なのか……このままここに留まるべきか……他の教室も確認するべきか……)


 光は今後の行動を思案しつつ、伊緒達の意識が戻らないか再度確認する為3人の所まで森を掻き分ける。


「……光さん」


 ガサガサと霊樹の森を掻き分けて現れた光を見て、伊緒が呟く。伊緒は未だ意識の戻らない玲と雫の前で2人を守る様に立っていた。


「伊緒くん!よかった……意識が戻ったんだね」

「光さん……これは……何ですか……何が……」


 明らかに混乱し、動揺している伊緒。


「僕も分からない……他のみんなは……木になってしまってる……」

「……木?」

「ああ、この木が全部、3組の生徒だ」

「……ぇ」


 伊緒は思考が追いつかない様子で、言葉を失う。

 それでも何とか現状を把握しようと、一面森と化した教室を見渡す。床に散らばるノートやペン、人の形をした樹木、制服が纏わり付き人の顔に見える樹皮、そこから伸びる枝葉から翠色の光が沸き立っている。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 伊緒は叫び声を上げ一歩後ずさると、自分の椅子につまずき座り込む。

 そして気を失う直前まで聞こえていた謎の声が脳裏に蘇る。


「あの時、変な声が聞こえて……そこから気持ち悪くてなって……動けなくて……玲の……手を握る事しかできなくて……」


 そこまで言葉にして、ハッとした表情となり目を見開く。


「――玲!」


 叫びながら振り返る伊緒。まだ意識のない玲が机に突っ伏しており、伊緒は声をかけ続ける。


「――玲!玲!起きろ!」


 声だけでは気が付かない玲に対し、伊緒は肩に手をやりゆすって起こそうとする。

 光も同じ様に目を覚ましていない雫のことを起こそうと声をかける。


「野口さん。野口さん」

「……ぅ……先、生……私は……」

「よかった……どこか痛い所とかないですか?」


 ゆっくりと顔を上げて光の顔を見る雫。

 まだ顔色は良くないが意識はしっかりとしているようだ。

 雫が光を見上げた後、周囲を見渡してその光景に驚きの表情を浮かべる。そして目の前の席で伊緒が玲を起こそうと必死になっている姿が目に入る。

 雫の心の底にぬるりと湧いて出る黒い感情。

 意識せず雫の口角が僅かに上がる。

 自身の行動に驚く雫。


(私は……何を……)

 

 必死に玲に呼びかける伊緒を、目で追いかけている雫。

 

「……んっ……伊緒……くん……」

「――玲!」


 玲の手を握って安堵の表情を浮かべる伊緒。

 そんな伊緒の顔を見て玲の口角がまた上がり、そして下がる。

 

 ――あの顔が、あの感情が、私に向くことはない――


(分かっていたこと。出会った時から知っていた事。それでも……)


 玲の心が深く深く、沈んでいく。

 

 ――ぁぁ、やはりこの世界は沈んでしまえばいい――

 

 沈みゆく心の中で、雫は願った。

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