第5ー2話 純心

 工藤は尋常でない速度で校庭の端から駆け出す。右手のナイフを再度逆手に持ち替え、欅の木の攻撃圏内へと肉薄する。

 欅の木は走って迫る工藤を、枝の暴風で迎え撃つ。大小様々な枝が縦横無尽に襲い掛かり、翠色に光る葉が舞い踊り、さながら光の舞踏となる。それも、一歩踏み込めば粉々に砕け散る、死の舞踏である。

 激烈な一撃の嵐の中を、工藤は人間離れした反応速度と身体能力で次々に切り抜けていく。

 つい先程まで、クラスの目立たない男子生徒だったとは思えない動きを見せ、時にナイフで枝を突き刺し、ボロボロと崩れさせていく。

 

「あいつ……人間か?」


 伊緒はその場を動けずに工藤のことを目で追っていたが、人間の出していい動きを超越した動きを見せる工藤に、半ば呆れた声を漏らす。

 

 ――何かが起こっている――


 そう思わせる光景が、目の前で繰り広げられていた。伊緒や真理達もその光景を固唾を飲んで見守る。

 工藤は本能の赴くままに、欅の木の幹へと到達する。

 そこに何かあると分かっていたかのように。

 

「うは!何だこれ!」


 工藤が思わずナイフを突き刺す事を止めて、見入ってしまう。

 そこには欅の木のうろの中に、大きな翠色の光の玉が揺らめていた。

 それは魂の輝き。

 その輝きは、力強く美しい。

 この欅の木を、そうたらしめている核。

 そんなことは微塵も知らない工藤だが、脈動する光の玉を見て直感する。


(これを壊せば、!)


 工藤の口元がいやらしく釣り上がる。まるで新しい玩具を与えられたように。

 工藤の殺気に反応したのか、欅の木は更に激しく枝葉を振り回す。しかし根本に立つ工藤を上手く捉えることができず、ただただ枝葉を振り回して暴れるだけになってしまっていた。

 

「イヒッ!!」


 ニタリとわらう工藤。

 右手に持ったナイフを欅の木のうろにゆっくりと差し込んでいく。ナイフの切先が欅の木の魂に触れた。


 ――ドクンッ!!――


 より一層大きく跳ねる様に鼓動する。

 その様子を見て、より興奮したのか、工藤は更に嗤いながら身を乗り出す。


「何だよ、嫌なのか?フヒッ!」

 

 身を乗り出しだ工藤は、そのまま魂を突き刺そうとうろの中に腕ごと入れていく。


 ――ミシミシミシン――


 うろの口が動き出す。樹皮がうごめき、まるで傷口を塞ぐ様に、盛り上がってくる。


「お!何だ何だ?抵抗しようってかぁ?いいねぇ!」


 工藤は余裕の表情で欅の木の抵抗を眺めていたが、突如うろを塞ごうとするスピードが上がり、一気に工藤の腕ごと穴を塞ぐ。


「うぉっと!ヒヒ!おもしれ!」


 流石に腕を引き抜こうとする工藤。しかし思いのほかうろを塞ごうとする圧力が強く、工藤の右腕をがっちりと挟み込んでしまう。


「ぐっ!おら!離せ!」


 かさぶたの様に盛り上がってうろを塞ぐ欅の木、工藤は力任せに右腕を引き抜こうと幹に足をかけ、思いきり体重をかける。

 

 ――ズルリ――ズルリ――


 まだ固まりきらない樹皮の間をシャツがビリビリと破けながら、ゆっくりと右腕が抜けてくる。

 しかし、ナイフを握った拳が邪魔をして、最後がうまく抜けない。


「ちっ!」


 流石にこのままではまずいと感じたのか、工藤はナイフを手放し、欅の木の幹の中へと置き去りにしたまま、力の限り腕を引き抜く。


 ズボッと捕らわれていた右腕が解放され、ようやく自由となる。


「くそっ!折角のナイフが!いい色になってたのになぁ……」


 ナイフを盗られた腹いせに欅の木を思い切り蹴り飛ばしながら、工藤は未練がましく穴の塞がった場所をける。

 欅の木は先程まで嵐の様に暴れ狂っていたが、今は嘘の様に静まり返っていた。

 相変わらず葉からは翠色の光を放ち、枝や幹は蠢いているが工藤を攻撃しようとはしない。

 工藤の蹴りにも反応することも無い。但し、人間離れした工藤の蹴りを受けてもその樹皮は

 傷一つ付かなくなった欅に木に、工藤も直ぐに興味をなくしてしまう。

 そして興味は失くしたナイフの事へと移り行く。

 逡巡してあることを思いつく。


「あ゛ぁ゛……そうか…………」

 

 得心がいったとばかりに、両手を天に掲げてニタリとわらい、もう一度願う。


「ヒヒ!もっとだ!もっと殺したい!刺したい!グチャグチャにしたい!!足りない!!こんな中途半端な、お預け状態じゃぁ俺は満足できねぇぞ!!!」


 工藤の右手に紅の光が集まり、それに呼応して周囲を漂っている翠色の霊子が集まり出す。つい先程と同じ光景が繰り広げられていた。

 収束する光が収まり、工藤の右手にまた1本のナイフが握られている。先程の紅と翠色の斑ら模様のナイフに鮮血色の紋様が増えている。


「イヒッ!更にいい感じじゃねぇか!あ゛ぁ゛……だ……ウヒッ!」


 目を細め、うっとりと新たなナイフを舐める様に見つめる工藤。

 その瞳には狂気が宿り、狂気は全身を巡る。

 

 ――狂気――


 それは純粋な想い。

 原始的な思考。

 純粋な願い。

 

 工藤が常日頃から思考し続けてきたもの、想い、願い。

 それは習慣であり、身体に染みついた思考であり、心に刻まれた想いであり、発露した願いである。

 純粋な願いを秘め、目立つことなく、ただただ日陰に生きてきた男の、心の声。

 日常の中では決して解放されることなかった心。

 しかし、世界が変わってしまった今、くさびとなって打ち込まれていた、常識や倫理感は容易く抜き放たれ、工藤を押さえているものは何もなくなってしまった。

 そう、彼は己の心に忠実なのだ。

 ただそう在りたいと願った、そうなれない世界を恨んだ、その想いが今日、この日、結実した。

 

 そして、今この瞬間、この世界に「純心」を持った適応者が誕生した。


 「さぁて、次は何ヤロうかねぇ」


 狂気を解き放った純真の怪物が動き出す。

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