16.カリフォルニア
ケネスが危機的状況にあった同時刻、カリフォルニア州サンフランシスコ。
冬の間、アリゾナとカリフォルニアには一時間の時差があるが、十月の今はサマータイムが適用されていて時差はない。
日中はリゾートで訪れた観光客も多いが、夕食も済んだこの時間帯は治安の悪さもあって地元の人間以外は
そんな夜の顔を見せはじめた繁華街から通りを数本外したところに、一軒のバーがあった。
『バーアンドダイナー オールド・タイム』
小さいが、地元客を中心に長く愛されてきた店で、アルコール以外に食事も楽しむことができる。
三十代後半だろうか? 女性が一人、バーカウンターで酒を飲んでいた。
濃いめのチークと口紅をひき、髪を結いあげて丈の短い黒のチュニックとショートパンツで太ももをあらわにした、商売女のような格好。
楽しくもなさそうに頬杖をつき、時折グラスを口に運んでいる。
色あせてよれよれのシャツを着た、だらしがない身なりの小男が彼女に近寄ってきた。
「よぉ、キャスリーン。今日も男漁りか、せいがでるな」
「うるさいわね、酔っぱらい。あっち行ってちょうだい」
男はおどけた表情で舌をだして千鳥足を演じながら、奥のテーブル席へ消えていく。
邪魔者が去り、一人になったキャスリーンは近くにいたスーツ姿の二人組に目をとめた。チラチラと気にしはじめる。
彼らもそれに気づいたのか、二人で顔を見合わせてクスクスと笑いあっているのが、彼女の気に触った。
持っていたグラスの底をテーブルに強く打ち付けて、そっぽをむくキャスリーン。
勢いでグラスからあふれた飲み物が、テーブルと彼女の手を濡らした。
「おいおい、キャス。頼むからまたグラスを割らないでくれよ」
むかいに立っていたバーテンダーの男が、両の手を上下にふって落ち着けと彼女をなだめる。
「ほっといてちょうだい、ニック」
ニックと呼ばれたバーテンダーは、今度は両手をふる大げさなジェスチャーでその言葉をやんわりと無視して話を続ける。
「おぉ怖い。おかわりは?」
ニックの言葉に無言でうなずくキャスリーン。酒が回ってきているのか、少し視線がさだまらない様子。
「そういえば、ケネスのやつが逝っちまってからもうどのくらいたつかな?」
空のグラスにウィスキーを注ぎながら、彼が問いかける。
「もう十年よ、あのクズ。若い女にそそのかされて、
「あいつも女好きだったからな。学生時代はやつと二人でよくナンパしたもんだよ」
昔を懐かしむように言ってニックは笑った。
対称的に冷ややかな表情のキャスリーンは、何がそんなにおかしいのよ、と言わんばかりに鼻で笑って一蹴する。
気まずい空気をどうにかしようと彼は話の矛先を変えた。
「ルー坊はどうした、まだ小学校に入ったばかりだろう? 一人にしておいて大丈夫なのか?」
最後の一言は声を
アメリカでは州にもよるが、子供を一人で放置することは法律で厳しく罰せられる。
今現在、カリフォルニアにはそういう法律はないものの、
「家で大人しくしてるわよ、シッターもいるし問題ないわ」
後ろに倒れこまんばかりに
盛大なゲップとともに愚痴をこぼす。
「人のカードで勝手に買い物したりまったく、ろくでもない子だよ。誰に似たんだか……」
「やっぱり似るものなのか……その、ストークスの子でも?」
辺りの様子を伺うような素振りを見せながら、キャスリーンの耳元に顔を近づけて小声で尋ねる。
「私とあいつの子なのよ、当たり前でしょう!!」
ニックの無神経な質問の数々にキャスリーンの怒りが爆発した。その声に店内が静まりかえる。
「わかった、俺が悪かったよ。機嫌を直してくれキャスリーン。さぁ店のおごりだ、もう一杯飲んでくれ」
日が悪かった、そんな表情でバーテンダーは頭をかきながら他の席へ行ってしまった。
一人、背を丸め、片肘をついてグラスを傾けるキャスリーン。
口論になろうが相手がいるだけ増しだった、背中がそんな寂しい胸の内を物語っている。
そのとき、店の入り口から聞こえたドアベルの鳴る音に彼女は振りかえった。
その表情がモミの木の下でクリスマスプレゼントを見つけた子供のように輝く。
「待ち人きたるよ!」
白いTシャツにグレーのジャケットを着た背の高い男性が、入り口付近で足をとめ、人を探すように辺りを見回している。
彼女は踊るようにカウンターを離れた。そのまま小走りで入ってきた男に近づき、首にぶらさがるように抱きついて長いキスをした。
「会いたかったわ、ダーリン」
キャスリーンが息子の失踪に気づくのは、それから約六時間後のことになる。
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