2.STORK
その頃、ケネス・ヘイウッドは仕事が一段落し、オフィスの自分たちのブースで同僚たちとコーヒーを飲みながら談笑していた。
オーソドックスな白とブルーのストライプのシャツに、カーキパンツという服装のケネス。ブラウンの瞳と短く整えられたあご髭を貯え、髪はこめかみのラインまで刈り上げられ短く流してまとめている。
筋肉質とまでは言わないが、均整のとれた体つきで身長も高いほうだ。
テンピのオフィス街の一画にある十階建てのビル。彼が務める会社は、その六階で教育支援用ソフトウェアの研究開発に
フロアは碁盤の目のようにパーティションで区切られ、それぞれに数人が業務をこなすブースが設置されていた。
そろそろ就業時間も終わりかというそのとき、ケネスの携帯電話が鳴る。
知らない番号だ。
しかし業務上、客先からの連絡が直接携帯に入ることも多く、大して気にすることはなかった。
「はい。ケネス」
会話をしていた他の二人に手で合図して電話にでる。
それは、聞き覚えのない男の声だった。
「ケネス、落ち着いて私の言うことをよく聞いてほしい」
「えーと、どちらさま?」
「ロイ……」
男はケネスの問いかけに短くそう答えた。
その唐突な物言いに内心おだやかではなかったものの、いったん黙って相手の出方をうかがう。
「キャスリーンが
「君は突然何を――キャスリーンというのは俺の妻のことか?」
突然妻の名前をだされて、若干の焦りを覚えるケネス。
「そうだ」
ロイは間髪入れずに肯定した。
「
「警察は動いてくれない」
彼はケネスの要求を冷静に否定。
「なぜ?」
「すでに人権を失っているからだ。ケネス、君もだよ」
それを聞いたケネスが眉根にしわをよせる。
「……では処分とはなんのことだ?」
「STORK社との契約解除にともなってストークスは処分される。文字通りの意味だ。そうなる前に助けなければ。君にも手をかして欲しい」
――ストークス? キャスリーン、いや俺たちのことを言っているのか?
男の言っていることがさっぱりわからなかった。
きっといたずら電話だろう、ケネスは携帯を切るタイミングを計りはじめていた。
目の前の同僚たちが、
同僚の一人が自分の携帯電話を眼の前にかかげて軽くふり、次いで上司の部屋がある方向を指さす。
上司から呼びだしの電話があったのだろう。
ケネスがうなずいて了解の意をしめすと、二人は連れ立ってブースをでていった。
自分の前を通りすぎるその瞬間、同僚の一人がケネスを見つめて軽く首をふったように思えた。
どういう意味かといぶかしみながら、改めてロイとの会話にむきなおる。
「悪いのはSTORKと私の母なんだ――」
彼は涙声で突然そう言った。少し混乱しているようにも思えた。
ケネスがこのバカバカしい、いたずら電話を切り上げようとロイの言葉をさえぎる。
「もういいだろう、妄想を聞いてほしいなら他をあたってくれ」
「違う、本当のことだ。アルキメデスが全部教えてくれた……。君も危険だ、早くそこから逃げたほうがいい」
少しおびえた声で彼が警告する。
「とにかくもう時間がないんだケネス、メールを見てくれ。それと、もうひとつ」
言いよどむように言葉を区切る。
「――ルーイは死んでなんかいない。今も生きている」
ロイは一方的に電話をきった。
ケネスは絶句して言葉がでない。
確かに彼ら夫妻にはルーイという名の子供がいた。しかしそれは七年も前のことであったし、残念なことに生まれた翌日に急死している。
その苦しみを乗りこえるのに二人は多くの時間を費やした。とくに妻のキャスリーンが負った心の傷は大きく、まだ完全に
「まったく、どうやって調べたか知らないが、手のこんだ
ケネスは携帯電話の画面を見つめながら後頭部をかき、深いため息をつく。
彼には一つ、気がかりなことがあった。
今朝、彼女とつまらないことで喧嘩をしたまま家をでてきてしまったのだ。
「ねぇあなた。今日のバースデーパーティーなんだけど……」
朝食をすませたケネスに洗い物をしながらキャスリーンが話しかける。
「あぁ」
彼は浮かない顔で、手元のカップに視線をおとしたままそれに答える。
「ケーキはいつものお店で買うとして――」
「もう、やめにしないか」
ケネスが意を決したように、やや強い口調で彼女の話をさえぎった。
「やめるって……?」
キャスリーンがきょとんとした表情で洗い物をしていた手をとめ、彼の方を振りかえる。
深い溜息をつくケネス。そして重々しく口をひらいた。
「もう七年だ。あの子が亡くなってから……。ルーイのことを忘れようというんじゃない。けれど俺たちは前に進まなきゃいけない。いつまでも過去を振りかえっているわけにはいかないんだ」
キャスリーンはケネスと目を合わせようとせず、言葉を発しようともしない。
ただ、押しだまったまま腰のエプロンを固くにぎりしめている。
「そろそろ二人目だって――」
「やめてちょうだい!」
今度はキャスリーンが彼の言葉をさえぎった。
「今日――、あの子が生まれた今日にそんな話……」
涙声だった。
そこまで言うと彼女は口元をおさえ、腰からエプロンを外して足早に部屋をでていってしまう。
ケネスは彼女の頬をつたう涙を見てガックリと首をうなだれ、側頭部をゆっくりとこぶしで殴った。
「またやっちまった……」
「ルーイが生きている――、本当ならキャスがどれだけ喜ぶか……」
そのまま腰に携帯電話をしまおうとしたとき、一通のメールが着信した。
慌てて画面を確認する。
《キャスリーンはここだ。急げ!》
メッセージとともにリンクが記載されていた。
リンクをタップすると画面が切り替わり、アリゾナ州フェニックスを中心とした地図が開く。
南方、ソルト川沿いのとある巨大な建造物に赤いピンが立てられていた。
『サウス・フェニックス・リサイクル』
この地域を管轄するゴミ処理場の名前だった。
彼は顎に手をあて、表情を曇らせる。
何かを思いついた様子で地図を表示したまま携帯電話を操作し、携帯電話位置情報共有リストに唯一登録された電話番号をタップする。
赤いピンに重なるように、青い丸と三角を組み合わせたマーカーが表示された。
それは妻、キャスリーンが今その場所にいる可能性が高いことを告げている。
思案にくれるケネスに、追加のメールが届く。
そのメールには本文はなく、画像のリンクだけが貼られていた。
最初の一枚目をタップした彼の表情が凍りつく。
それは、キャスリーンが戸口で何者かに銃を突きつけられている画像だった――。
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