3.黒と白
謎の男、ロイからのメールを確認したケネスは不安になり、一本の電話をかける。
《キャスリーン》
携帯の画面には、そうコール先が表示されていた。
しかし電話はつながらない。留守録に折りかえしてくれるよう吹きこみ、念のためメールも送信する。
彼には一つ、気がかりなことがあった。
今朝、彼女とつまらないことで喧嘩をしたまま家をでてきてしまったのだ。
「ねぇあなた。今日のバースデーパーティーなんだけど……」
朝食をすませたケネスに洗い物をしながらキャスリーンが話しかける。
「あぁ」
ケネスは浮かない顔で、手元のカップに視線をおとしたままそれに答える。
「ケーキはいつものお店で買うとして――」
「もう、やめにしないか」
ケネスが意を決したように、やや強い口調でキャスリーンの話をさえぎった。
「やめるって……?」
キャスリーンがきょとんとした表情で洗い物をしていた手をとめ、ケネスの方を振りかえる。
深い溜息をつくケネス。そして重々しく口をひらいた。
「もう七年だ。あの子が亡くなってから……。ルーイのことを忘れようというんじゃない。けれど俺たちは前に進まなきゃいけない。いつまでも過去を振りかえっているわけにはいかないんだ」
キャスリーンはケネスと目を合わせようとせず、言葉を発しようともしない。
ただ、押しだまったまま腰のエプロンを固くにぎりしめている。
「そろそろ二人目だって――」
「やめてちょうだい!」
今度はキャスリーンが彼の言葉をさえぎった。
「今日――、あの子が生まれた今日にそんな話……」
涙声だった。
そこまで言うと彼女は口元をおさえ、腰からエプロンを外して足早に部屋をでていってしまう。
ケネスは彼女の頬をつたう涙を見てガックリと首をうなだれ、側頭部をゆっくりとこぶしで殴った。
「またやっちまった……」
「ルーイが生きている――、本当ならキャスがどれだけ喜ぶか……」
物思いにふけっていたケネスは、ある違和感を覚えて我にかえる。
顔を上げ、周囲をゆっくりと見回す。
オフィスに
就業時間のおわるこの時間帯であれば、帰り支度をする物音や挨拶の声、オフィスをでていく同僚たちの姿があってよさそうなものだ。
しかし、辺りは静まりかえっていてケネス以外誰もいなかった。
ふとオフィスの入り口に目が止まる。
一人の清掃員が布製のダストカートを押しながら、ちょうど入ってくるところだった。
週に数回、業者が入ってゴミの回収を行う。それは日常的な光景だった。
清掃員はカーキ色のつなぎを着用し、同色のつばの広いキャップを
ブースのパーティションに身を隠しながら男の様子をうかがうケネス。
彼は最初の内、ゴミ箱を手にとってカートに回収していたがそれもすぐにやめてしまい、まっすぐケネスの方にむかってきていた。
その視線がゴミ箱ではなく、ブースにはられたネームプレートを追っているのが遠目でもわかった。
ロイの言葉が脳裏をよぎる。
――キャスリーンは誰につれて行かれたと言っていただろうか?
とっさにブースに貼られた自分のネームプレートを、通路の反対側のブースにはられたそれと入れ替える。
名前を確認する様子から察するに、相手は自分の顔をしらない可能性が高い。これで他人のふりをしてやり過ごすことが可能なのではないか?
どうせ何もないさ、ケネスはそう自分に言いきかせながらいつでもブースをでていけるように帰り仕度を整えはじめる。
そのとき突然、背後から肩を叩かれた。
激しく動揺するケネス。
「ちょっといいかな、ケネスさん」
清掃員がケネスのブースに近づく。
ネームプレートを頼りにケネスがいたのと逆側のブースを確認するが、もぬけの空。辺りを見回し後ろを振りかえるが、ケネスのブースにも誰もいなかった。
しかし、ブースの向こう側の通路を年老いた黒人の清掃員が、ダストカートにゴミを回収しながら逆方向に進んでいるのに彼は気づく。
「おい、そこのじいさん、まて! ケネスを見なかったか?」
無視してそのまま去ろうとする老人。
「おい、じじい! ケネスだ、ケネス・ヘイウッドはどこにいった?」
足を止め、静かに振りかえった白髪頭の老人が、その弱々しい風貌からは想像もできない形相で目を見ひらいて怒鳴りつける。
「きさまみたいな若造にじいさん呼ばわりされるほど、老いぼれてはおらんわ! 口をつつしめ!!」
その勢いに
老人は中指を立ててみせると、怒りのおさまらない様子で前にむきなおり、そのまま行ってしまった。
「同業者として恥ずかしいわい」
そうつぶやきながら。
面食らった表情で肩をすくめる清掃員。
「トイレか?」
彼は辺りを見回し、足早にカートを押してオフィスをでていく。
少し距離をおいた位置からその様子を確認した老人は、清掃員とは逆側の出口からオフィスをでてエレベータにのり、地下一階のボタンをおした。
「もういいぞ」
「助かったよ、テッド」
カートの中から身をおこしたのはゴミまみれのケネスだった。
「アカデミー賞ものの演技だった」
ケネスがほめると恥ずかしそうに頭をかきながら老人、テッドが言う。
「小便ちびりそうだったわい」
まったくだ、そう言ってケネスが笑ってみせた。
テッドの手をかりてカートからおりたケネスが、全身のほこりとゴミを手ではらいながら問いかける。
「やつらについて何か知っているのか?」
テッドは押しだまったまま視線をおとし口をひらこうとしない。しばしの沈黙のあと、ケネスを熱のこもった眼差しでまっすぐに見つめてこう言った。
「あんたはいいやつだ。他のやつらみたいに俺を、俺たちを差別しなかった」
「これだけは言っておく。あんたが誰であれ、なんであれ、俺の大事な友達だ」
エレベータが停止した。
「ありがとうテッド」
ケネスはテッドを力いっぱい抱きしめて、元気で、と言いのこし走りさった。
「礼を言われる資格なんざないさ。俺たちだって同罪なんだ」
テッドは力なくつぶやき、うなだれて首をふる。
エレベーターの扉がしまる瞬間、自分の股間に冷たいものを感じて彼は言った。
「あ、ちびってた」
ケネスは地下の薄暗い駐車場を時折、振りかえりながら足早に歩き自分の車をめざした。
青のピックアップトラックだ。
友人からゆずりうけた車で年季のはいったボロだったが、彼はこの車が気に入っていてあちこち手を入れながら乗り続けている。
車に乗りこもうとしたそのとき、遠くにゴミ収集車がハザードランプを点灯しながら止まっているのが目にはいった。
車のドアをいったん閉め、辺りをうかがいながら慎重に、だが足早に収集車へ近づく。
ゴミ収集車の後部には『STORK』の赤いエンブレムがあった。
そう、ロイがたしかに言っていた。キャスリーンは『
顎に手をあてて、
収集車のドアが開くのを確認すると、辺りの様子をうかがいつつダッシュボード周りを物色する。
社員証だろうか、顔写真のついたIDカードが見つかりパンツのポケットへするりと忍びこませる。
他に何か、ロイの言っていたことを裏付けるような手がかりがないかと、車へ乗りこもうとしたそのときだ。
背後に気配を感じた。
そして首筋に冷たい感触。
「動くな、ケネス・ヘイウッドだな?」
清掃員姿の男がケネスの首筋に銃を突きつけて、そこに立っていた。
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