3.黒と白

 画像は他にも何枚かあった。

 ずた袋を肩にかついで運ぶ男の姿。廃品の回収業者らしきその男は、先程の写真でキャスリーンに銃を突きつけていた彼に間違いない。

 背景に映りこんでいるのは見慣れた我が家の庭先。

 そして、男を乗せて走り去るゴミ収集車。日常、見慣れたゴミの回収車両だ。

 行き先はおそらく――。

 

「サウス・フェニックスSPR・リサイクル……」

 

 つぶやくケネス。

 深刻な表情をしたまま電話をかける。


《キャスリーン》


 携帯の画面には、そうコール先が表示されていた。

 しかし電話はつながらない。留守録に折りかえしてくれるよう吹きこみ、念のためメールも送信する。

 そしてすぐさま、もう一本別な電話をかけた。


「はい、911。どうしました?」


 女性のオペレーターが緊迫した声で応答する。


「妻が誘拐されたかもしれない。急いで警官をよこしてくれ!」

「誘拐? 至急手配します。あなたの名前は?」


 ケネスがオペレーターに自分と妻の名前を告げ、ついで彼女がSPRに監禁されている可能性を告げる。

 

 オペレーターはOKと答えたものの言葉を続けようとはせず、しばし言いよどんだ。


「――ケネスさん、念のため居住先の住所と社会保障番号SSNをうかがえますか?」


 彼女の言葉から緊迫感がきえていた。ケネスが若干のいらつきを覚えながらそれに回答する。


「ありがとう、少々お待ちください」


 オペレータが通話を保留し、そのまま数十秒が過ぎた。

 クソッ、ケネスが悪態をつく。

 やがて通話を再開したオペレーターが、言いにくそうに口をひらく。


「ケネスさん、残念ですがこちらでは紛失物の対応はできかねます。紛失物取り扱いセンターに連絡するか、ネットからオンライン申請も可能です」

「紛失物……?」


 彼がその意味を理解するまで、しばしの時間を要した。


「紛失物って、あんたは何を言っているんだ! 物じゃない、人間だ、人がさらわれたんだ!!」


 ケネスはそこがオフィスだということも忘れて、電話に怒鳴りつけていた。

 しかし返る言葉もなく、一方的に通話は切られてしまう。

 茫然ぼうぜんとする彼。

 ロイの言っていた人権を失うという言葉が、思わぬ形で現実味をおびてくる。


 携帯を握りしめたまま、しばし放心状態だったケネスはある違和感を覚えて我にかえる。

 顔を上げ、周囲をゆっくりと見回す。

 オフィスに人気ひとけがなかった。


 就業時間のおわるこの時間帯であれば、帰り支度をする物音や挨拶の声、オフィスをでていく同僚たちの姿があってよさそうなものだ。

 しかし、辺りは静まりかえっていてケネス以外誰もいなかった。

 ふとオフィスの入り口に目が止まる。


 一人の清掃員が布製のダストカートを押しながら、ちょうど入室してくるところだった。

 週に数回、業者が入ってゴミの回収を行う。それは日常的な光景だった。

 清掃員はカーキ色のつなぎを着用し、同色のつばの広いキャップを目深まぶかにかぶっている。

 距離もあって人相はうかがい知ることができなかったが、ロイから送られた写真の男にその格好は酷似していた。

 ブースのパーティションに身を隠しながら清掃員の様子をうかがうケネス。


 彼は最初の内、ゴミ箱を手にとってカートに回収していたがそれもすぐにやめてしまい、まっすぐケネスの方にむかってきていた。

 その視線がゴミ箱ではなく、ブースにはられたネームプレートを追っているのが遠目でもわかった。

 ロイの言葉が脳裏をよぎる。

 

 君も危険だ、早くそこから逃げたほうがいい――。

 

 おのれの身にせまる危険を警告するかのように、鼓動が激しさをましていく。

 とっさにブースに貼られた自分のネームプレートを、通路の反対側のブースにはられたそれと入れ替える。


 名前を確認する様子から察するに、相手は自分の顔をしらない可能性が高い。これで他人のふりをしてやり過ごすことが可能なのではないか?

 どうせ何もないさ、ケネスはそう自分に言いきかせながらいつでもブースをでていけるように帰り仕度を整えはじめる。


 そのとき突然、背後から肩を叩かれた。

 激しく動揺するケネス。


「ちょっといいかな、ケネスさん」




 清掃員がケネスのブースに近づく。

 ネームプレートを頼りにケネスがいたのと逆側のブースを確認するが、もぬけの空。辺りを見回し後ろを振りかえるが、ケネスのブースにも誰もいなかった。

 しかし、ブースの向こう側の通路を年老いた黒人の清掃員が、ダストカートにゴミを回収しながら逆方向に進んでいるのに彼は気づく。


「おい、そこのじいさん、まて! ケネスを見なかったか?」


 無視してそのまま去ろうとする老人。


「おい、じじい! ケネスだ、ケネス・ヘイウッドはどこにいった?」


 足を止め、静かに振りかえった白髪頭の老人が、その弱々しい風貌からは想像もできない形相で目を見ひらいて怒鳴りつける。


「きさまみたいな若造にじいさん呼ばわりされるほど、老いぼれてはおらんわ! 口をつつしめ!!」


 その勢いに気圧けおされたのか、言葉を失う男。

 老人は中指を立ててみせると、怒りのおさまらない様子で前にむきなおり、そのまま行ってしまった。


「同業者として恥ずかしいわい」


 そう言い捨てて。

 面食らった表情で肩をすくめる清掃員。


「トイレか?」


 彼は辺りを見回し、足早にカートを押してオフィスをでていった。




 少し距離をおいた位置からその様子を見ていた老人は、清掃員とは逆側の出口からオフィスをでてエレベータにのり、地下一階のボタンをおした。


「もういいぞ」

「助かったよ、テッド」


 カートの中から身をおこしたのはゴミまみれのケネスだった。


「アカデミー賞ものの演技だった」


 彼がそうほめると恥ずかしそうに頭をかきながら老人、テッドが言う。


「小便ちびりそうだったわい」


 まったくだ、そう言ってケネスが笑ってみせた。

 テッドの手をかりてカートからおりた彼が、全身のほこりとゴミを手ではらいながら問いかける。


「やつらについて何か知っているのか?」


 テッドは押しだまったまま視線をおとし口をひらこうとしない。しばしの沈黙のあと、ケネスを熱のこもった眼差しでまっすぐに見つめてこう言った。


「あんたはいいやつだ。他のやつらみたいに俺を、俺たちを差別しなかった」


 真一文字まいちもんじにむすんだ唇が震えていた。溢れそうになる涙を必死にこらえ、絞りだすような声でテッドは続ける。


「これだけは言っておく。あんたが誰であれ、なんであれ、俺の大事な友達だ」


 エレベータが停止した。


「ありがとうテッド」


 ケネスはテッドを力いっぱい抱きしめて、元気で、と言いのこし走りさった。


「礼を言われる資格なんざないさ。俺たちだって同罪なんだ」


 テッドは力なくつぶやき、うなだれて首をふる。

 エレベーターの扉がしまる瞬間、自分の股間に冷たいものを感じて彼は言った。


「あ、ちびってた」




 ケネスは地下の薄暗い駐車場を時折、振りかえりながら足早に歩き自分の車をめざした。

 青のフォード、ピックアップトラック。

 友人からゆずりうけた車で年季のはいったボロだったが、彼はこの車が気に入っていてあちこち手を入れながら乗り続けている。


 車に乗りこもうとしたそのとき、遠くにゴミ収集車がハザードランプを点灯しながら止まっているのが目にはいった。

 車のドアをいったん閉め、辺りをうかがいながら慎重に、だが足早に収集車へ近づく。

 ゴミ収集車の後部に隠れて運転席の様子を確認していたケネスは、収集車の後部左下に控えめな『STORK』の赤いエンブレムがあるのに気がついた。


 電話の男、ロイがたしかに言っていた。キャスリーンは『STORKストーク』のゴミ収集車にさらわれた、と。

 顎に手をあてて、一計いっけいを案じるケネス。

 収集車のドアが開くのを確認すると、辺りの様子をうかがいつつダッシュボード周りを物色する。


 社員証だろうか、顔写真のついたIDカードが見つかりパンツのポケットへするりと忍びこませる。

 他に何か、ロイの言っていたことを裏付けるような手がかりがないかと、車へ乗りこもうとしたそのときだ。


 背後に気配を感じた。

 そして首筋に冷たい感触。


「動くな、ケネス・ヘイウッドだな?」


 清掃員姿の男がケネスの首筋に銃を突きつけて、そこに立っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る