彼女がヒトでなくなるその前に ~自身が誰かのコピーだと知ったとき、彼女は人権を失い『モノ』になる~ 【旧題:from Stork Inc.】

神埼 和人

第1章 コウノトリの楽園

1.廃品回収

「ヘイウッドさん、廃品回収です」


 アメリカ、アリゾナ州テンピ。

 砂漠のリゾートとして知られるフェニックスの郊外にあって、教育と商業を中心に発展してきた街だ。

 夏場には気温が四十度をこえることもあり、十月とはいえまだ残暑がきびしい。

 

 そのときキャスリーンは、夫の帰宅時間にあわせてキッチンで夕飯の準備を始めたところだった。

 ジーンズに半袖のTシャツというカジュアルな服装。腰にはエプロンをつけ、髪は調理の邪魔にならないよう後ろでたばねている。

 ダークブロンドの長い髪、茶褐色の瞳と長いまつげが理知的な印象をあたえていた。スリムな容姿は主婦というより学生といってよい若々しさを保っている。

 

 リビングでつけっぱなしのテレビから、カリフォルニアのカボチャ祭りで数年ぶりに記録が更新されたことを報じるニュースが聞こえてきた。


「記録更新、と」


 玄関口でカーキ色の作業服をきた男がドアをノックするが、テレビの音が邪魔をして彼女はそれに気づかない。

 そのとき、腰にさした携帯電話がなった。


「はいはい、ちょっと待ってね」


 携帯電話の端をつまみながら腰から取りだして流し台の上におき、ハンズフリーで応答する。

 ボタンを押す手が一瞬、躊躇ちゅうちょしたのは携帯電話に登録されていないその番号に、見覚えがあったからだ。


「はい、どちら様?」


 調理を再開しながらそう問いかけるが、相手は何も発しようとしない。

 しばしの沈黙――。


「いたずらなら切るわよ」


 再び携帯電話に手をのばそうとしたそのときだった。


「時間がないんだキャスリーン。私の言うことを聞いてくれ」


 男性の声だ。キャスリーンは無意識に記憶をさぐる。

 しかし、聞き覚えがない。

 

「あなたね、最近おかしなメールを送ってくるのは?」


 男はキャスリーンの問いかけを無視して告げる。


「今日は家からでないでくれ。誰がきてもドアをあけてはいけない」


 キャスリーンはその声に多少の緊迫感を感じたものの、唐突な申し出に思わず吹きだしてしまう。


「突然なにを言うの? 大体、あなたは誰――」


 そのとき、再びドアがノックされた。今度はやや強めに。


「ヘイウッドさん、お留守ですか?」


 その声が電話むこうの男にも聞こえたのだろうか、あせった声で早口にうったえる。


「だめだ、そいつはSTORKストークの回収業者――」

「はいはい、今いくわよ」


 来客の存在に気づいたキャスリーンが玄関口へむけ、声をはって答える。


「来客よ、残念だけど時間切れね」


 彼女は水気のついた手を腰から外したエプロンでふき、携帯電話をきって腰に差しなおした。




「良かった、えーっと、キャスリーン・ヘイウッドさん?」


 戸口に立ったキャスリーンに男は、手元の携帯端末を見ながら確認をうながす。


「えぇそうよ、粗大ゴミの回収業者さんよね? なんの御用かしら?」

「こちらにヘイウッドさんからご依頼が。廃品の回収にうかがいました」


 彼女はこめかみに指をあて、小首をかしげながらそれに答える。


「うちじゃないわ、何かの手違いじゃないかしら?」


 彼はおもむろに胸ポケットにかけてあったサングラスを取りだしてかけ、失礼、と一言つげて彼女の左腕をとった。


『Counterfeitコピー商品


 サングラスごしに蛍光緑の文字が彼女の腕にうかび上がる。その下には小さくシリアルナンバーのような英数字もきざまれていた。

 文字は時折ぶれて二重になったり、一瞬消えたりを繰りかえしており、まるで切れかけのネオン管を想像させる。


「いいえ、間違いありませんよ奥さん」


 うなずきながらその文字列に携帯端末をかざしてスキャンする男。


「この文字は一人ひとり、同じにみえて微妙に違うんです。指紋みたいなもんですよ。面白いですよね」

「ちょっと、何をするのよ!」


 キャスリーンは彼の言動に困惑する表情をうかべながら、腕を引きぬくようにしてその手をはらった。

 自分で確認してみるが文字など、どこにも書かれていない。


 男は彼女の反応を意に介した様子もなく、サングラスを外して胸にしまう。

 続けて上着の内側から二つ折りにされた紙の束をとりだし、何枚かめくってからキャスリーンの前につきつけた。


「はい、これ裁判所命令。あなたに貸与していた人権の失効について記載されています」


 ろくに読ませもせず再び書類を内ポケットにしまいこむと、男は静かに言い放つ。


「奥さん、あなたは今から物としてあつかわれます」


 その瞬間、柔らかく丁寧だった男の物腰が冷ややかで無機質なものに変わったのをキャスリーンは感じた。


「さっきからあなた、何を言っているのよ?」


 胸の中に隠すように折りたたんだ左腕をさすりながら彼女が問う。


「簡単なことです。私は廃棄物の回収業者。廃棄の対象はあなたです、奥さん」


 男は表情一つ変えずに言ってのける。

 今や彼女の表情は困惑から恐怖へとその色を変えつつあった。

 彼の言っていることがまるで理解できない。加えて、電話の男が言っていた言葉が脳裏によみがえってくる。

 ――たしか、なんとかの回収業者といっていなかったかしら……?


「帰ってちょうだい、さもないと警察を呼ぶ――」


 腰にさした携帯電話に視線をうつしたその瞬間、彼女は首筋に冷たい感触を感じて息をのんだ。

 男が流れるような動作で小型の銃を腰から取りだし、彼女の首筋にあてていた。


 目と目があった。


 彼がためらうことなく引き金をひく。

 プシュッという軽い音とともに、銃の上についている小さなガラス筒から液体が一気に彼女の首へと流しこまれる。


「ご安心を。麻酔銃です」


 慣れた手付きで一連の作業を終えると、彼女の体が崩れ落ちるのを抱きかかえるようにささえて、男はそう言った。




 数分後、ヘイウッド家からでてきた男は肩にずた袋をかついでいた。

 庭先に停車していたゴミ収集車、そのサイドローダーに備えつけられたカゴへずた袋を放りこむ。運転席にむけて合図を送ると、そのまま助手席側に回り込んだ。

 ローダーが重苦しい駆動音を響かせて上がっていき、ずた袋を荷台に投げ入れる。

 

 荷台にはゆるやかな傾斜がついていて、その先の四角い穴へ吸いこまれるように落ちていく。

 落ちた先には、すでにいくつかのずた袋が折り重なるようにして積まれていた。


「今月特に多いな」


 助手席に乗りこんだ男が愚痴ぐちをこぼすと、運転席の男が肩をすくめながらまったくだ、とかえす。


「月末が例の期限だからな。急がないと今日の廃棄に間にあわない。またクソ所長にどやされるぞ」

「やれやれだ。あの野郎、安い給料でこき使いやがって……」


 走り去っていくゴミ収集車。その後部右下には、控えめな『STORK』という赤いエンブレムがあった。

 そのとき、収集車の後方に上空から音もなく迫る一つの物体。

 白くて卵型、まるでUFOを思わせる形をしているが、下から見ると内部にヘリコプターのようなプロペラが組み込まれているのがわかる。


 いわゆるドローンだ。

 ドローンは収集車に追いつき、後方を追尾する。


 そして、その様子を見守る一人の少年がいた。

 年の頃は五、六歳だろうか。半袖の白いTシャツにオーバーオール姿。背には小さめのバックパックを背負っている。

 ここまで走ってきたのか、呼吸が荒く肩で息をしていた。


「イースト・マーカス通り1289――間違いない、この家だ!」


 夕日をうけて茜色に輝くブロンドの柔らかな髪を風になびかせながら、必死な表情で手元の携帯電話を覗きこむ。


《Imprinting Completed》


 画面にそう表示されたのを確認し、小さなこぶしを握りしめた。


「イエス!」


 それはドローンの対物自動追従モード、『インプリンティング・モード』が正常に開始されたことを示していた。

 表示された街のマップ上を明滅する青い点が移動していく。

 それを確認すると、ほっとした表情で携帯電話をオーバーオールの胸ポケットにしまいこみ、両の膝をおさえて息をととのえる。


「間に合った……」


 つぶやきながら上体をおこし、少年はきびすをかえす。


「まっててね、僕がかならず助けるから」


 あふれそうになる涙を賢明けんめいにこらえながら少年は走りだした。

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