23.凶兆

「テンピは巨大な実験施設であり、新しい命を育むゆりかごなんだよ」


 二人の反応に満足した様子のカイルは、大げさに両手を開いて演説を締めくくった。


「いまの話が事実だったとして、なら私達の子供は……」


 キャスリーンがうるんだ瞳でカイルを見つめる。


「生きているよ。確かルーイといったかな、カリフォルニアで暮らしているはずだよ」


 言ってから彼は口元をおさえ、あからさまに仕舞しまったという顔をした。

 顧客情報の漏洩ろうえいは重大な職務規定違反に該当するからに他ならない。


「君を助けようと電話やメールをくれたロイという男がいただろう? その正体がルーイ、あの子だ」

「あの電話の人がロイ? でも年齢が……子供の声ではなかったわ」


 ケネスがやわらかい笑みを浮かべながら、ルーイが使用したヴォイスチェンジャーアプリについて説明する。


「わかるかい? あの子は死んでなんかいなかったんだよキャス……」


 彼が涙まじりの鼻声でさとすようにそう言うと、キャスリーンの頬に一筋の涙が流れた。


「大事なことを伝えわすれていた。今、すぐそこにルーイが来ているんだ。さっきまで一緒だった」

「本当!? 事実なのね、あの子は生きて――あぁ神様……」


 ケネスの腕を痛いくらいに強く握りしめながら、キャスリーンがカイルに問う。


「私達があの子は先天性の病気で死んだと聞かされて、それでどれだけ長い間苦しんだか……。そんなこともあなた達はわからないの?」

「いや、僕は……末端の研究員であって、その……事業の運営にはほぼ関わりがない……というか」


 メガネを外し白衣の裾でレンズを拭きながら、彼が蚊の泣くような声でいいわけをする。


「違法性もないし……そう、これは世の中の役にたつ、いい仕事なんだ!」


 その言葉を聞いたケネスがたまりかねたように言う。


「もういい、たくさんだ。お前の話が本当かどうかはわからない。違法かどうかも知ったことじゃない。ただ俺たちはここをでて元の生活にもどりたい、それだけだ!!」


 見つめあい、うなずきあって互いの意思を確認するケネスとキャスリーン。


 ケネスが立ちあがりカイルに一歩詰めよる。


「ここから脱出したい。協力してくれ」


 緊張した表情のカイルが、二人の距離を保つように後ろへ一歩足をひく。


「ま、また暴力を振るう気か!?」


 カイルの襟元にケネスが手を伸ばしかけた瞬間、キャスリーンが立ちあがり、二人の間に割って入った。同時に肩にかけていたブランケットがスルリと落ちる。


 元々、撥水性の高い素材で作られていたのか、スキンスーツはすっかり乾いていた。

 ケネスを元の位置に押しもどしながら、カイルに聞こえないように声を殺して抗議する彼女。


「何をする気なの? 暴力はやめてちょうだい!」

「力づくでもやつに脱出路を案内させる」

「暴力に訴えなくても彼はお願いすれば協力してくれるわ。現に私を助けてくれたじゃない。彼は私の命を助けてくれた恩人なのよ、そのことを忘れないで」


 キャスリーンはカイルの方を振りむいて胸の前で哀願するように手の平を合わせ、にこやかに近づいていく。


「カイル、私達に協力してちょうだい。ここからでたいの。そして、はやくあの子に会いたい」

「そんなことできない。僕が処罰をうける」


 彼女がぐっとカイルの顔に自分の顔を近づける。


「脅されてやった、ということでいいじゃない? ね、お願いカイル」


 彼は頬を赤らめ視線を横にそらしながら、渋々というていで一言答える。


「……わかった」

「ありがとうカイル、あなたはやっぱりいい人だわ」


 キャスリーンはカイルの首に軽く手を回して抱きついた。

 突然だきつかれて、驚いたように腰が引けるカイル。

 彼女はそのまま振りむいて、ケネスにウィンクをして見せる。

 ケネスは苦笑いを浮かべながら、ただ首をふった。




「ここからでよう。案内してくれ」


 ケネスの号令にカイルは静かにうなずき、ゴクリと生唾を飲みこんだ。


「だがその格好では目立ちすぎる。少し待っていてくれ。ラボにもどれば白衣があるはずだ」


 カイルはケネスからIDカードを受け取り、ラボへと引きかえした。

 万が一を考え、ドアは開けっ放しにしておく。

 

「信じて待ちましょう」


 あからさまに落ち着きのない様子で、プールサイドを行ったり来たりするケネスを見かねたようにキャスリーンが声をかける。

 ラボにむかう際、不安気な視線を送る二人に――いや、キャスリーンにむけて――彼は力強くうなずいて見せた。


「しかし、あいつには俺たちを助ける理由もメリットもない」


 ケネスがじっとキャスリーンを見つめる。


 ――あるとしたら……。 

 

 もう待ってられない。二人だけで脱出しよう、そうケネスが言いかけた瞬間、その声をかき消すほどのけたたましい警報音サイレンが天井から鳴り響いた。

 この部屋だけではない、廊下からも聞こえてくる。

 驚いて、辺りを見回す二人。


「通報されたのか? やはりカイルに裏切られた!?」

 

 突然のことに怯えた様子のキャスリーンが、ケネスの肩に手をかけて身体を寄り添う。

 そのとき、警報とは別の音が聞こえてくることにケネスは気づく。人の足音だ。走ってこちらへ近づいてくる。

 キャスリーンを自分の背後にかばいつつ、彼は拳を握って身構える。


 次の瞬間、血相を変えて部屋に駆けこんで来たのはカイルだった。

 手に白衣を抱えている。

 彼は両の膝に手をついて息も絶えだえにこう言った。


「火事だ、ラボが燃えている!」

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