24.ルイス・ボルトン
ルイス・ボルトンは、サウス・
室内には壁際に執務机が一つ。中央にローボードとむかい合うように二人がけのソファーが一対。
執務机からむかって左側面は一面、窓ガラスになっているが、今はすべてブラインドが降ろされて外の様子は伺いしれない。反対側には書棚と中央に木製の扉があり、この部屋の出入り口になっていた。
他は部屋の隅に、ポールハンガーがあるだけで装飾品などは飾られておらず、殺風景で
ハンガーには、オリーブグリーンの制服と
執務机の上には書類やファイルがうず高く積みあげられている。脇に置かれたノートPCの画面には、色とりどりの線グラフが上下好き勝手に波打っていた。
ルイスはまだ五十代半ばであったが、細身の体型で頬がこけているうえにひどい猫背で、実年齢よりもさらに一回りは老けて見える。
白いシャツにネクタイをしているものの、台襟のボタンは外されネクタイも緩められていた。
「なぜ私がこんな目に……」
白髪交じりの頭を掻きむしりながらも、書類にサインをする手は止めない。
SPRの所長に就任してから早七年。もともとは、カリフォルニア本社の勤務だった。
所長というポストにつられてアリゾナにやってはきたものの、それは実質、出世街道から外れることに他ならない。
ゴミの山に囲まれて暮らす日々に、ほとほと嫌気がさしていた。
妻子にも早くカリフォルニアに戻りたいと、毎日のように言われ続けている。
「こんな砂漠のごみ溜で一生を終わってたまるか」それが彼の口癖だった。
時刻はすでに夜の十一時を回ろうとしている。
普段は定時退社は当たり前、出社しない日だってざらにある。深夜に渡る残業は体にも応えた。
それでも腰を叩いて伸ばし、欠伸を噛み殺して机にかじりつく。
あと数日でこの忙しい日々も終わる。カリフォルニアに戻れる可能性も高いと自分勝手に考えていた。
ルイスが書類に忙殺されていたそのときだ。突然、室内に
「このクソ忙しいときになんだ!」
苛立った彼が持っていたペンを目の前の壁に投げつける。
そして血がのぼった頭を落ち着かせるためにしばし時間をおき、ブツブツと文句を漏らしながらペンを拾いに行った。
その場で警報が鳴りやむのを待つ。
どうせいつもの誤報だろう、彼はそう思っていた。が、しかし、まったく鳴り止む気配がない。
そのとき執務室のドアがノックされ、
「所長、ラボで火災です」
ハンガーにかけられているのと同じ制服と官帽――ただし、色が異なり濃紺色に染められている――を着用したその男が開口一番、報告する。
ここの副所長、ノーマン・グランツだ。
背が高く、ひょろりとした体型に色の白い肌。常に無表情で
本社からやって来て急にボスになった自分が気に食わないのか、常につっけんどんな態度をとるこの男がルイスは嫌いだった。
「なんだとグランス君!! それで火は? 消し止めたのか!?」
「グランツです。所長」
火事のことは二の次だと言わんばかりの表情でノーマンが訂正する。
ノーマンの方がルイスより頭一つ分は背が高く、見おろすような視線がいつも彼を苛立たせた。
「消火したのかと聞いている!!」
激高したルイスが目を血走らせて怒鳴る。
「スプリンクラーが作動せず、只今消化班がむかったところです」
「馬鹿な! あそこには臓器が、出荷前の臓器が山ほど保管されているんだぞ!」
損害額を計上しているのだろうか? 両手の指を折りながら副所長の存在を忘れたかのようにブツブツと独り言を呟く彼。
ややあってその場で膝を折り、両手をついてひれ伏すように崩れ落ちた。
ノーマンはその様子を冷静に見おろしている。
「終わりだ――、カリフォルニアが……本社復帰の夢が……」
中空を見つめたまま呆然と見開かれた
「火災の原因は……?」
力ないその言葉は、最早所長としての確認業務をワークフローに従って進めるだけのものでしかなかった。
「何者かがラボで火を放つ様子が防犯カメラに。おそらくストークスかと……」
それを聞いたルイスの表情が一変する。
「どういうことだ? 今日、回収されたストークスはすべて処理し終えたはずだぞ! どこから紛れこんだ?」
彼は立ちあがりながら、ノーマンの襟元を掴んでぐっと眼前に引きよせ
「それが時間外に回収されたものが一体おりまして。個体識別番号S3-2912-09 ケネス・ヘイウッドです」
ルイスから顔をそらしたまま一人冷静なノーマンが答える。
「時間外の回収だと? 誰がそんな勝手な真似を!?」
「マイルズ・ウォーカー。一課の回収作業員です」
「なんのために?」
ルイスがノーマンの顔面に飛沫を浴びせかけながら問いを重ねる。
「あくまで想像ですが、本日の回収業務が達成できなかったのをごまかすためかと。マイルズの犯行かは不明ですが、何者かがセキュリティに侵入して施設の警備システムをダウンさせた形跡もあります」
淡々と報告を続ける彼。
「一般の回収員には時間外に設備を動作させるような権限がなかろう?」
眉間に
「それが上司のアマンダ・ディーキンが一緒でして……」
彼はしばし呆けたような表情になり、ノーマンの襟元から手をはなした。
「本部長のお気に入りの小娘か。厄介事を持ちこんでくれる……」
スラックスのポケットから取りだしたハンカチで、顔に飛んだ飛沫を神経質にぬぐってからゆっくりと襟を正し、ノーマンが続ける。
「それと――」
「まだ何かあるのか!?」
話の腰を折って口をはさみ、彼をにらみつけるルイス。
「……報告を省略いたしましょうか?」
対して
根負けしたルイスが手のひらを上にして手前にふり、早く話せと促した。
「防犯カメラの映像から、二課の研究者が研究の被検体とケネスを連れ立ってラボから逃亡したことが判明。被検体はケネスのツガイだそうです」
「研究者の名前は?」
「カイル・ウォーカー。マイルズの兄です。解体業務の傍ら、液体で呼吸する研究をしているとかなんとか……」
今度はすぐに心当たりがあったようだ。
「あいつか。まったく、『医学を未知の領域へ押し進める革新的研究』が聞いてあきれる。解体屋は解体だけしていればいいんだ」
苦虫を噛み潰したような表情でルイスが愚痴る。
「兄弟そろって、私の足を引っ張りおって……」
報告を終えて職務はまっとうしたとばかりに退室しようとする副所長を手で制して、考えこむルイス。
「ウォーカー……どこかで聞いたような……」
中空を
「まさか――まさかな、偶然だろう」
考えるのを放棄したルイスは足早に窓際へ近づくと、ブラインドを指でこじ開け外の様子をうかがう。
しかし、火災の起きているラボは地下。ここから火の手があがる様子は確認できなかった。
チッと舌打ちしてブラインドから手を離す。
「即刻、一課の二人を呼びつけろ!」
振りかえって続けざまに怒鳴りつける。
「それから私のライフルを持ってこい! ネズミ狩りだ!!」
それを聞いたノーマンがため息をつき、あからさまに面倒くさそうな顔をしながら返事もせずに退出していく。
彼の後ろ姿を見送ったルイスは苛立ちを奥歯で噛み殺しながら、先ほど拾いあげたペンをもう一度壁に叩きつけた。
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