25.堆肥場

 けたたましい警報音サイレンが建物全体に鳴り響いていた。

 そんな最中さなか、白衣を着用した三人の男女が小走りに階段を登っていく。


 先頭を行くのはカイル。あとに続くのは、彼と同じ白衣を着用したケネスとキャスリーンの二人だった。その姿は端から見れば火災から避難する研究者にしか見えなかったであろう。

 裸足だったキャスリーンには、カイルがどこからか履物を一足用意してくれていた。


 先を急ぎながらラボの火災について話す三人。カイルは原因が思い当たらないと首をふってみせる。

 もちろん奥の解体室にはレーザーメスや、エタノールなど火災の元になりそうな要素はいくつかある。

 しかし、無人のラボで火災が起きることは彼には到底考えられないという。

 

「それこそ誰かが放火でもしたか……」


 疑いの目をケネスに向ける。


「そうしてやりたいのは山々だが、俺じゃない」


 ケネスがカイルの視線をうけて睨みかえすように否定する。


「水槽の排出機能の暴走。そしてラボの火災。考えようによっては、僕達をラボから遠ざけようとしていたとも考えられる。火災を起こすために、だ。そしてすべてをストークス、君たちに押しつける」

「一体、だれがそんな……」


 カイルの推察を聞いたキャスリーンが、悲痛な声をあげる。

 そんなたくらみがあったとすれば、そのために彼女は殺されかけたことになるのだ。

 到底信じられない、そんな表情でカイルを見つめる。


「あそこには未出荷の臓器が山程あるんだ。損害は計り知れない。それを失って得する者。外部の人間か、あるいは……。」


 彼はそこまで言って口を閉ざした。


「だが、考えようによってはチャンスなんじゃないか? このどさくさに紛れて逃げ出そう」


 ケネスが言った瞬間、先頭を進んでいたカイルが急に足をとめた。

 おもむろに白衣から取りだした携帯電話を覗きこむ。


「君らの脱走がばれた。この先はダメだ。緊急警備がしかれたようだ」

「なんとかごまかせないか?」


 ケネスが問う。


「二人にはIDがないんだ、まず無理だよ」


 彼が両手を上げて首をふりながら答え、そのまま顎に手をあてて考えこむ。


「どこかの窓か、屋上から逃げられないかしら?」


 キャスリーンがカイルの反応を伺う。


「無理だと思う。昔、大量にストークスが逃げだした事件があってね。それでセキュリティが強化されたらしい。僕が入社する何年も前のことだから詳しくは知らないが」


 足をとめたまま、黙りこむ三人。


「もしかするとだけど、下水道から外にでられるかもしれない」


 カイルがキャスリーンを見つめながら、思いつきを口にする。


「どういうこと?」


 彼女の期待に満ちた眼差しを受けて、得意げな表情を浮かべながらカイルが続ける。


「この建物の最下層を下水道が流れているんだ。長い間、何かの工事をしているんだけど、それもあってか立ち入り禁止区画になっている。きっとセキュリティも緩いはずだ」


 ケネスとキャスリーンが顔を見あってうなずく。

 ちょうどそのとき、鳴りつづけていた警報の音がとまった。

 辺りを見回す三人。


「消火が済んだんだ。捜索隊に見つかる前に急いで移動しよう」


 カイルは折かえし階段を一階層分引きかえし、左右にのびる廊下を左方向に進む。

 いくつかの同じ形をした扉の前を通りすぎ『B-6』とペイントされた扉を開ける。

 その先には細長い通路が数メートル続き、行き止まりに一枚の扉があった。


COMPOST堆肥


 そう記載された扉を前に軽い既視感を覚えるケネス。


「この先だよ」


 カイルが扉を開く。

 最初にケネスが感じたのは、むわっとする湿度の高さとわずかに感じるアンモニアのような刺激臭だった。

 思わず鼻を押さえる。


 そして目の前に広がる広大な空間に圧倒された。 

 建物で言えば約二、三階層分が吹き抜けになっており、ガラス張りの天井からは満天の星々と輝く月が見えた。


 天井の梁に取り付けられた照明はすべて落とされていたが、月明かりが場内を青白く照らし出している。

 正面奥の壁には巨大な三機のファンが低い周期的なうなりをあげ、換気を行っていた。

 右の壁際には農作機械のような重機が数台、止まっている。

 

 中二階に相当する位置に人が二人、並んで通れる程度の張りだしがあった。場内を見おろしながら一周できるようになっていて、部屋の四隅にそこへ登るための梯子が備えつけられている。


 そして、サッカー場半面はあろうかという広いスペースに一面の砂の海――堆肥場が広がっていた。

 砂丘を思わせるような砂の山が、部屋の奥にむけて折り重なるように作られている。

 まるで砂漠のようだ、そう思いながら、ケネスが額にじんわりとかいた汗をぬぐう。

 

「ここは、ここでその……遺体を堆肥に変えるのか?」


 彼が慎重に言葉を選びながら質問した。


「そうさ。ここにまかれたときにはもう原型を留めていないけどね」


 カイルは振りむきもせずに言い捨てて、堆肥の上を進んでいく。

 堆肥場に深い足跡を残しながら進んでいく三人。

 柔らかい堆肥が足首まで包みこむ心地の良い感触があったが、ケネスとキャスリーンはそれを素直には楽しめなかった。


 中央の砂丘を避けて場内を左側面にそって進んでいくと、あるところから足元がコンクリートに変わったのがわかった。

 立ち止まるカイル。

 目の前に赤いカラーコーンが二つ置かれていて、その間に小さい立て札が立てられていた。


『危険 工事中 立入禁止』


 カイルが立て札とカラーコーンをよけ、薄くつもった砂を足で払い除けると、そこに黒いマンホールが現れた。


「このマンホールから下水道に入れるはずだ」


 少し待っていてくれ、彼が二人を残したまま重機のあった辺りにむかう。

 戻ってきたカイルの手にはバールのような棒状の物が握られていた。


 それをマンホールの端に差しこみ、こじ開ける。

 マンホールの蓋を横にずらすと、人ひとりがやっと降りることができる狭い竪穴たてあなが出現した。


 中から水の流れる音が聞こえる。わずかに感じる風の流れにのって、冷気が肌をなでていく。

 同時に今まで感じていたのとは異なる種類の匂いが鼻につく。


 腐敗臭、それとカビ臭さ。ヘドロの匂いというのがわかりやすい表現だろうか。

 カイルはなぜかバールを持ったまま、マンホール側面の梯子をつたって下へ降りていく。


 梯子を降りきった彼がしたから合図を送り、ケネス、キャスリーンの順でそれに続いた。

 最後に梯子を降りたキャスリーンが足首まで水につかったことに驚き、きゃっと小さな悲鳴をあげる。


 カイルがキャスリーンの足元を白衣のポケットから取りだしたハンディライトで照らし異常がないことを確認すると、キャスリーンは舌を出しておどけて見せた。

 ケネスも携帯電話のライトをつけ辺りを照らす。


 下水道は巨大な配管を組み合わせてつくられており、基本は筒状になっていたがパートによってはブロック状の部屋のような空間もあった。

 一部の配管を除き、ほとんどの場所が立ったまま歩くことのできる十分な高さがあり、横幅も二人が並んで立てるだけの余裕があった。


 足元は泥濘ぬかるんでいて、場所によって水の流れがとどこおりヘドロと枯葉が混ざったような物が堆積たいせきしている。


「足元に気をつけて」ケネスがキャスリーンに声をかける。


「たぶんむこうだ」


 カイルが水の流れをライトの光で確認し、進行方向を見定める。

 視界の閉ざされた暗闇をわずかな光で照らしながら、三人は進みはじめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る