26.地下の亡霊

「農場で作業している連中が地下から不気味な声を聞くって、最近よく話しているんだ」


 カイルが下水道を歩きながら唐突に話しはじめた。

 下水道内に声が反響する。足元で水をかき分ける音が時折、声に重なって会話の邪魔をした。


 農場というのはさっきの堆肥場のことだろう、ケネスはそう当たりをつけながら聞き流す。


「処分されたストークスの亡霊なんじゃないかってね」


 それを聞いたキャスリーンがケネスに体をよせ、彼の白衣の裾をギュッと握りしめる。

 振りかえってその様子を見たカイルが、小さく舌打ちをしてケネスを睨みつけた。


「馬鹿馬鹿しい。声は声帯を振動させて発生させるんだ。肉体がないから亡霊なんだろ? 声なんかだせるわけがない」


 彼が自分の喉を指してみせる。

 苦笑いでそれに答える二人。

 

「なぁ気になっていたんだが……」


 ケネスがカイルに問いかける。


「さっき排水槽で『世間』が、その……俺たちのことをストークスと呼んでいる、とか言っていたよな?」


 振りかえりもせずに、あぁと短く答えるカイル。


「知っているというのか? ストークスのことを、一般の市民が!?」

「さっきも言ったけどSTORKストークの製品、売り物なんだ。知っていて不思議はないよ。ただし、君たちがストークスだということは限られた人間しか知らない。例えば処分が決まると職場の上司なんかには市から通達が行くはずさ」


 ケネスはマイルズたちがやってきたときのオフィスの様子を思いだす。

 彼を見つめる哀れみに満ちた視線。

 フロアからこつぜんと姿を消した同僚たち。


「あいつらは俺が処分されると知らされていたのか……」


 怒りをこらえるように拳を握りしめるケネス。

 キャスリーンが心配そうに寄り添い、彼の頬に自分の頭部を擦りよせる。


「ということは行政、つまり合衆国USもこの件に関わっているというわけ?」


 ケネスに続けて彼女が問う。


「別に合衆国のすべての州が関わっているわけじゃない。主にカリフォルニアとアリゾナが協力してくれているんだ」

 

 信じられない、そんな表情で互いに見つめ合い首をふる二人。

 その様子を見てもういい加減、うんざりだと言わんばかりに溜息をつくカイル。


 三人は重苦しく口を閉ざしたまま歩きつづける。

 そのまま数分が経過した頃、キャスリーンが何かに気づいて立ちどまった。

 彼女につられて二人も歩みをとめ、振りかえる。


「少し前から気になっているんだけど、このピーという音は何かしら?」

「あぁ俺にも聞こえる」


 ケネスがうなずく。


「1kHzの正弦サイン波。テレビなんかで放送禁止用語に被せて使う、いわゆる自主規制音てやつだ」


 カイルがこともなげに応える。


「頭が痛くなる……。それに室外機のようなこの低い音も。だんだん大きくなっているような……」


 キャスリーンがこめかみの辺りを指先で抑える。


「上階の排気設備から伝わった音がこの配管で反響、増幅されているのかもしれないな」


 カイルがもっともらしい推論を提示し、歩みを再開しようと前方にライトを戻したそのときだった。

 何か大きな影が照明の中を横切った。

 三人に緊張が走る。


 影は左前方の窪みに身を潜めているようだった。

 慌ててライトを窪みの方向に走らせるカイルとケネス。

 その方向から低い唸り声が聞こえる。

 

「番犬? それにしては大きい」


 ケネスの疑問が口をついてでる。


「こんなところに番犬なんているもんか。あれは……」


 カイルの言葉を遮るように、窪みから見あげるような巨躯を持つ男が姿を現した。


 頭は天井すれすれ。上半身は裸で丸太のような太い腕と分厚い胸板を持ち、無数の切傷と赤黒く腫れあがった火傷のようなあとが至る所にあった。

 左胸には小さく『004』と数字が書かれている。入れ墨、いや焼印だろうか?


 下半身はボロボロに擦り切れ、肌が露出したジーンズを履いている。 

 長い間、櫛を通してないであろう髪はところどころ固まって束になり、まるで出来損ないのドレッドヘアのようだった。


 ライトの光を嫌がっているのか片手で顔を覆っていて表情はわからなかったが、エラの張った四角い顎には口元からあふれたよだれが垂れさがっているのが見て取れる。


「ウルォォォォォォォォォォ!!」


 獣のごとき咆哮が、配管の中を嵐のように突き抜ける。

 暗がりの中にいたネズミが数匹、声に驚いて水際を走り、逃げていった。


「亡霊――いや、ストークスだ」


 カイルが呆然とした表情でつぶやく。

 男は一歩、足を彼の方に踏みだす。ゆったりとした動作で振りあげられた腕が、想像もつかないほどのスピードで上体ごと投げだすように振りおろされた。

 しかし、完全に空を切ったそれは、カイルの耳元にブンッと空気を切り裂く音だけを残す。


 彼を含め、三人は恐怖と驚きのあまり身動きもできない。

 男は一瞬動きを止めた後、頭をあげ三人の方に顔をむけ直す。

 低い唸り声をあげながら、先ほどとは逆側の腕を振り回す。

 再び空を切る拳。


「眼が見えていないのか?」


 カイルが思わず口にする。

 巨漢の男はよろよろと足を踏みだしては、拳を振りおろす動作を繰りかえしていた。

 その内の何発かは配管の内壁にあたり、コンクリートを砕いて無数のヒビを入れた。飛び散った破片が男の頬を裂き、鮮血がほとばしる。


「やめてくれ、危害を加えるつもりはない!」


 ケネスが攻撃を避けながら、訴えかけるがまったく反応がない。声が届いているかも定かではなかった。

 

「様子がおかしい」


 カイルが何かに気づいた。


「耳だ、やつは耳を怪我している……いや、おそらくは自分で壊した。あの音が原因だ!」

 たしかに男の耳は、両方がすり潰されたようにちぎれ、形を留めていなかった。


「耳が聞こえないってことか?」


 ケネスが問う。


「そうだ。だが、問題はそこじゃない。耳の奥にある三半規管さんはんきかんをやっちまったんだ。三半規管が正常に機能しないと目眩、吐き気、平衡感覚の欠如けつじょなどがおきる」

「つまり……?」


 キャスリーンが彼に答えを求める。

 その瞬間、カイルは持っていたバールを渾身こんしんの力で投げつけた。

 バールは男の肩口から大胸筋の辺りに当たって跳ねかえり、わずかに怯ませることに成功。


「走って逃げろ!!」


 三人は彼のその声を合図に、大男に背をむけて無我夢中で走りだした。

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