27.決別

 ケネスが先頭を走り、キャスリーンとカイルがそれに続く。

 次第に荒くなっていく呼吸。足元で水をかき分ける音がバシャバシャと下水管内に響き渡る。

 ケネスが白衣の胸ポケットにいれた携帯のライトが、腕を振るたびに激しくみだれた。

 泥濘ぬかるんだ水底に何度も足元をとられそうになりながら、精一杯先を急ぐ三人。

 

 背後からはときおり、配管の内壁に何かが当たる大きな音が響いてくる。

 後ろを振りかえっても何も見えない。が、しかし、確実にあの大男が追ってきているのがその音からわかった。

 

「なぜこんなところにストークスがいるんだ?」

「僕だって知るもんか! だが、立入禁止の理由が工事中ってのは真っ赤な嘘だった、それだけは確実だ!!」


 息を切らせながらケネスが振りかえって問い、カイルが声を張り上げてそれに答える。


「焼印が押されていたのは試験体ストークスの証拠だ! まえに同僚から古い資料を見せてもらったことがある。戦闘用ストークス、そのプロトタイプの資料を!!」

「戦闘用!? あれがそうだというのか?」

「わからない! クローン体の兵器転用を模索していた時代の話だよ。例によって倫理的、人道的観点でお蔵入り。プロジェクトは凍結されたはずだ!」


 会話を続ける二人にキャスリーンが声を限りに叫ぶ。


「いいから、今は走って!」

 

 やがて、目の前にT字路が迫ってきた。

 右は元来た道、堆肥場からマンホールで降りてきた方向。そちらは最悪やってきた追手と鉢合わせする可能性があった。

 ケネスは迷わず左を選択。

 キャスリーンもそれに続く。

 しかし、キャスリーンは何かに右手を掴まれて、後ろから引っ張られるように足を止めた。

 カイルだった。


「どうしたのカイル?」

「……そっちじゃない。僕と一緒にきてくれキャスリーン、君を悪いようにはさせない」


 カイルの神妙な表情から、キャスリーンはその意図を読みとる。


「いま、そんなこと言っている場合じゃ……」


 話している間にも、大男が水をかき分ける音がどんどん近づいてくる。姿は見えないものの、すぐそこまで迫っていることは確実だった。


「やめて、離して……」


 手を振り払おうとするキャスリーン。しかし、カイルは痛いほどに強くその腕を握りしめて放そうとしない。

 彼女は手を振りほどこうとするのを諦めた。

 逆にカイルに近づき、抱きついて首に手を回す。カイルは意外なその行動に戸惑いつつもキャスリーンの腕を放し、腰に手を回した。

 カイルの表情が期待と喜びに満ちあふれていく。

 キャスリーンがカイルの耳元でささやくように言った。


「あなたの気持ちは嬉しいわ、カイル」


 だったら、そう言いかけたカイルから小さく首を振って言葉を奪うキャスリーン。


「あなたはいい人。きっとあなたに相応ふさわしい人が現れる」


 思考停止したかのように硬直して動けなくなるカイル。


「ここまでありがとう。さようなら」


 キャスリーンは彼を両手で軽く突き放すようにして距離をとると、そのまま振りかえって走りだした。

 カイルは押された勢いのまま重力に逆らうことなく後ろ手に倒れ、腰のあたりまで水に浸かる。

 いつの間にか手から滑り落ちたハンディライトが、濁った水の中から彼を照らしていた。

 

「へへっ……ははっ……」


 カイルは自嘲じちょう気味な薄ら笑いを浮かべながら、キャスリーンが走りさった方向をぼんやりと見つめている。

 唸り声が聞こえた。大男の姿が暗闇の中に薄っすらと浮かび上がる。

 いっそこのまま――そんな馬鹿な考えが彼の中で頭をもたげ始めたとき、ふと蘇ったのは幼い頃の記憶だった。

 

 

 

 当時、生家にあった古びた暖炉の前で、小さなカイルが母親の足元に抱きついて泣いていた。


「あいつら、パパからもらった大事な本を……。向こうは二人がかりで勝てるわけがないよ」


 慰めの言葉を期待していたカイルだったが、母の反応は意外なものだった。


「喧嘩では勝てない? なら、何なら勝てるかしら? 相手が三人でも四人でも勝てるカイルだけの武器は何?」


 少年は少し考えて言った。

 

「勉強――勉強ならあいつらに負けない……。僕は大人になったら偉い学者になるんだ」


 涙に濡れた顔が光り輝いていた。まるで雲間から朝日が顔をだすように。


「それは素敵な目標だわ。頑張りなさい、カイル」


 母は愛おしそうにカイルの頭をなで、それから彼の手をとって自分のお腹をなでさせた。


「それに、あなたはもうすぐお兄ちゃんになるんだから泣き虫は卒業しなくちゃ」




 いつの間にか自分の手の平を見つめていたことに気づいて、我にかえるカイル。


「いや、まだだ。こんなところでは終わらない」


 すっくと立ち上がると足元からライトを拾い上げ、堆肥場の方向へ走りだした。

 その後ろ姿を見送るために暗がりから姿を現すキャスリーン。

 胸を押さえて安堵のため息をつき、ふたたび暗闇の中へ姿を消した。


「本当にありがとう」そう小さく感謝の言葉を重ねて。

 

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