28.袋小路

 二人がついてこないことに気づいたケネスが立ち止まって振りかえる。

 耳を澄まし、携帯のライトを暗闇に向けるが足音も気配もなかった。

 戻ろうと走り始めた瞬間、暗闇の中から突然キャスリーンが現れた。たった一人で。


「カイルは? まさかあいつにやられたのか?」


 キャスリーンが首をふって答える。


「彼は無事よ。別なルートから逃げたわ。気にしないで、きっと大丈夫」


 急ぎましょう、キャスリーンは会話をやや強引に断ち切るとケネスより先に走りだした。

 ケネスは後ろを気にしつつも、キャスリーンの後を追う。

 

「行き止まりだ」


 走りだして、ものの一分もしない内にブロック状の少し広い空間にでる。配管はそのまま行き止まりになっているようだった。

 行き止まりには縦横、数メートルにわたって水が溜り、かなりの深さがあるように見えた。

 その先の壁には備え付けの梯子があり、上部からわずかに光が差し込んでいることにケネスが気づく。マンホールだ。


「梯子から上にでられそうだな。まずは君からだ、急げ」


 水はどうやら雨水が溜まったものらしかった。透明度もあり、匂いもそれほど気にならない。

 首まで水につかりながら梯子に近づいていくキャスリーン。最後の一メートルは足がつかず、泳いでいくしかなかった。

 ケネスもそれに続く。

 梯子に手をかけようとしたそのとき、背後から近づくただならぬ気配を感じてケネスが振りかえる。


「ヴルアァーーーーーーー!!」


 暗闇からぬらっと姿を現した大男が無造作に伸びた髪を振り乱し、壁に拳を叩きつけて吠える。


「ケネス!?」

「構うな、いくんだ!」


 キャスリーンに声をかけ、ケネスはゆっくりと水際まで戻る。

 その間も決して大男と目線は外さない。


「こっちだ大男、この間抜けめ! 俺はここにいるぞ」両手を大げさにふって注意を自分に引きつける。


 ゆっくりとした動作で足元に落ちていた拳大こぶしだいの石を広い、目立たないようにアンダースローで男の背後に投げいれた。

 大男は一瞬遅れて反応。後ろを振りむいた瞬間ケネスは間合いをつめ、脇腹に渾身の蹴りを見舞う。


 全身をおおう鎧のような筋肉、それでも最ももろいところをケネスは狙ったつもりだった。

 しかし、大地に太い根を伸ばした大樹のごとく、その体は微動だにしない。

 逆に足首をとられ、万力のような力で締め上げられたと思った次の瞬間、彼の体は浮遊感に包まれた。


 そのまま壁に投げつけられる。

 まるでスローモーションのようにコンクリートの壁へ吸いよせられていくのを、ただ見ていることしか出来なかった。


「ぐぅふっ!」


 背中を壁に強打し、そのまま床に落ちて横倒しにうずくまるケネス。

 それは彼の意識を奪いさるには十分な一撃だった。

 一方、梯子を登りきったキャスリーンは重いマンホールの蓋を下から持ちあげようと苦戦していた。


「あがらない!」


 手の力だけでは無理と悟った彼女は、後頭部から肩口を蓋に押しつけて体全体で押しあげる。

 マンホールの蓋がじわじわとあがっていく。

 不意に蓋が軽くなった。まるで、一瞬にして重みを失ったかのように。

 そのまま勝手に持ちあがっていく。


 ドンッ、と大きな音を立てて蓋が仰向けに倒されると、目の前に丸く切り取られた夜空が見えた。

 柔らかな月明かりが彼女を包みこむ。美しい、キャスリーンは素直にそう思った。それを神に感謝すらした。もう二度と見ることは叶わないと思っていたから。

 しかし、すぐに月明かりを背にして逆光になった人影がそれを遮った。急にハンディライトで照らされて、眩しさに顔を背けるキャスリーン。


「いたぞ! こっちだ!」


 怒鳴り超えと同時に、彼女に向けて銃が突きつけられた。


「なんてこと」


 SFRの警備部隊だった。アサルトライフルを構え、引き金に指をかけている。

 何かを叫ぶ人の声とこちらに走り寄る足音が複数聞こえる。

 マンホールを囲むように次々にスポットライトか設置され、その一角だけが明るく照らし出された。


「今すぐそこからでてこい!」


 銃を構えた警備員の怒鳴り声が聞こえたそのときだ。

 キャスリーンの足首を何かがものすごい力で掴み、彼女の体は真下に引きずり落とされた。

 暗がりに吸いこまれるように一瞬で消えていなくなった彼女を不思議に思い、警備員の一人がマンホールを覗きこむ。


 次の瞬間、彼の首を下から伸びてきた巨大な手が鷲掴みにし、その体は悲鳴を上げる間もなく頭からマンホールに消えていなくなった。

 呆然としたまま声を失う警備員達。静寂と緊迫感が重くのしかかる。

 ややあってマンホールの側にいた二人の警備員が互いに顔を見合い、うなずく。

 銃のセレクターをフルオートに変更。立ち上がったままるような姿勢で銃口をマンホールにむける。そして両側から挟みこむように、にじり寄っていく。


 マンホールの縁に互いの片足がかかろうとしたそのときだった。

 彼らの足を暗がりから伸びた二本の腕が掴み、そのままマンホールに引きずりこまれる。

 二人とも反射的に銃の引き金を絞るが、下から引っ張られる勢いに負けて銃身があがり、あろうことか互いの体を下から上へ撃ち抜いていく。


 夜の静寂を銃声と叫び声が引き裂き、マズルフラッシュが二人の影をアスファルトへ焼きつける。

 そして絶命寸前の二人は両手を上げた姿勢のままマンホールに吸いこまれ、一瞬のうちに消えていなくなった。

 夜空に向けて銃弾を打ち続けながら。

 

「なんなんだよこれ!? 聞いてない、聞いてないぞ……」


 わきに控えていた警備員の一人が、顔についた血飛沫を袖でぬぐって衣赤黒く染まるのを確認し、半狂乱で叫ぶ。

 地下からは何かが続けざまに水面を打つ激しい音が響き、同時に水飛沫がマンホールの外まで吹き上がっていた。

 照明で照らされたアスファルトに転々と広がっていく黒いシミ。

 その様子を見て戦意を喪失した他の警備員が、一人、また一人と悲鳴を上げ銃を投げ捨てて逃げだしていく。


 一方、マンホールから水中に引きずり落とされたキャスリーンは、水面に顔を上げようとして躊躇する。

 嫌な予感がした。

 そしてもう一つの違和感。肺に十分な酸素を蓄える時間もなかったのに不思議と息が苦しくない。むしろ、居心地が良いとすら感じていた。


 ――長い時間、水槽の中にいたから?


 彼女はしばし水中で様子を伺う。

 頭上で銃声が響き、閃光が走った。同時に頭上から複数の人が降ってきて、それを避ける必要に迫られる。

 うす暗い水の底であって、目を見開いたまま水中に血を漂わせたそれが絶命した人間であることを否が応にも理解し、水の中であることを忘れて叫び声を上げそうになる。


 必死に自身の手で口を抑え、彼女は水面を目指した。

 水面から顔だけを上げて辺りを見回す。

 マンホールから降り注ぐ月明かり。地上からは人の気配、ざわめきがなくなっていた。

 そして、水平方向に弱く小さな光が一つ。

 光の方に目を凝らすと、そこに壁に背を向けて横倒しになったケネスの姿を見つける。


「ケネス!」


 バシャバシャと水しぶきを上げながら、ケネスに走り寄るキャスリーン。

 光源はケネスがシャツの胸ポケットに入れた携帯電話のライトだった。

 

「起きなさいケネス! 逃げるのよ!」


 ケネスは彼女に抱え起こされ、両の肩を激しくゆすられてようやく意識を取り戻す。

 しかし、その寝ぼけた視界に飛び込んできたのは、水面から徐々に姿を現す巨大な人影。

 生存本能に突き動かされたようにケネスが叫ぶ。


「キャスリーン、後ろだ!!」


 振りかえり、仰ぎ見るキャスリーン。

 二人に最悪の瞬間が訪れようとしていた。

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