29.二人のママ

 全身から水滴を滴らせながら大男がゆっくりと腕を振りあげる。

 避けられない、二人ともに絶体絶命を覚悟したその瞬間だった。

 突如、上空から飛来した卵型の物体が、大男の顔めがけて空中から突進した。

 不意をつかれた大男が必死に頭部を腕で囲いガードする。


「アルキメデス!」


 ケネスが叫ぶ。

 腕に当たる寸前でアルキメデスは進路を反転し、空中で縦に短い円を描いて再度急降下。そして至近距離から大男の顔面にむけて、ボディに組みこまれたライトを点灯する。


「ギャウ!!」


 暗闇に慣れた目にその光は強烈だったのだろう。短い悲鳴をあげて後ずさると腕をクロスして顔をおおった。


「今だ! ふたりとも、逃げて!!」


 アルキメデスの外部スピーカから聞こえたそれはルーイの声だった。

 キャスリーンに肩を担がれ、走りだす二人。


「まっすぐ行って! 少ししたら右へ」


 それは元来た道だった。

 カイルと分かれたT字路を右折し、最初に大男と出会った地点を過ぎて弓なりに反った配管を走り続ける。

 キャスリーンにささえられ、足を引きずるようにして進むケネス。当然スピードはでない。

 キャスリーンは何度も後ろを振りむき、大男の存在を確認しなければならなかった。

 やがて遠くに薄っすらと光が見えはじめる。小さな光源が左右に弧を描いていた。


「ママ! ケニー! こっちだよ!!」


 少年がハンディライトを振って二人を手招きしているのがわかった。

 ルーイだ。

 彼の背には、星ぼしがまたたく夜空が広がっているのが見える。下水管の出口に違いなかった。


「ルーイ! あぁ信じられない神様、あなたがルーイなのね!!」


 ケネスを壁に持たれかけさせ、ルーイにかけよって抱きしめようとするキャスリーンを無情にも鉄の格子がはばむ。

 二人の再会を拒むかのように、出口を鉄格子が塞いでいたのだ。

 目の前には木々と下草が生い茂っているのが暗がりの中でもわかった。遠くに街の明かりも見える。


 直接、視界には入らないが小川のせせらぎも聞こえた。

 そして目の前には夢にまで見た我が子の成長した姿が。

 キャスリーンは格子の隙間から腕を差しこんでルーイを抱き寄せた。少年のやわらかい金髪が月明りに輝いている。


「ママ! ママ! 助けに来たんだ、サンフランシスコフリスコから」


 彼女には今の状況が信じられなかった。

 思えば、今日の夕刻まで自分は普段そうしているように夫の帰りを待ちながら夕食の支度をしていた。

 いつも通り”一人”で。

 今朝は主役不在のバースディパーティについてケネスと口論までしている。


 それが今、清掃工場地下の下水管で我が子を抱きしめている。

 涙があふれて止まらなかった。夢なら覚めないで欲しいと、一生眠らせておいて欲しいと神に願った。

 キャスリーンの背に手をおきながらケネスも鼻をすすっていた。


「キャス、今朝のことすまなかった……。君がただしかった」


 ケネスの言葉に強く首を横にふるキャスリーン。


「いいの、そんなこと。この子と会えたのはあなたのおかげよ、ありがとうケネス」


 頬を濡らしたルーイがケネスの方を見あげ、満面の笑みを浮かべながら親指を立ててサムズアップし、ケネスもそれに答える。


 ケネスはルーイと分かれたあのとき、地下からの脱出経路を探すように依頼していた。

 ルーイは、おそらくアルキメデスのハッキングを利用して下水道の情報を手に入れ、ケネスの携帯の位置情報と照らし合わせて二人の脱出経路を予測。ここで待ち構えていたのだ。

 賢い子だ、どちらに似たんだろう? ケネスはそう自問しながら、キャスリーンとルーイを交互に見比べた。


 ――自分ではなさそうだ、一人ほくそ笑む。


「さて、感動のご対面はまたあとで続きをやるとして……」


 目元を拭いつつ軽く咳払いをして、ケネスが話を切りだした。

 すぐ側まで大男が迫って来ている可能性が高かった。時間がない、この鉄格子をどうにかして脱出しなければならなかった。

 隙間はわずか。ルーイなら無理をすれば通り抜けられるかもしれないが、大人には難しかった。


 ダイナマイトや手榴弾の類があれば破壊するのは容易だろう。しかし、そんな都合の良いものがこの下水管にあるわけもない。

 あと少し格子と格子の隙間を広げられれば……、考えを巡らせていたケネスが思いだす。


「バールだ! カイルが持っていたバールがどこかに落ちてるはず」

 

 すぐ戻る、配管の奥に戻っていくケネス。


「危険だわ、一人ではだめよ」


 キャスリーンの言葉を片手で制し、血糊と擦り傷にまみれた顔で精一杯の笑みを二人にかえす。

 すぐにケネスの姿は暗闇に飲みこまれて二人から見えなくなった。


 

 

 足元を携帯電話のライトで照らしつつ配管を戻るケネス。

 バールは逃げだす直前にカイルが大男へ投げつけたのを覚えている。大体の位置はわかっていた。

 そして、ケネスの予想どおりの位置にそれはあった。

 しかし――そこに待ち構えていたのはあの大男だった。

 

 再び相対する二人。

 ケネスは大男とその足元にあるバールの位置関係を測りながら、バールから距離を取らせるべく男を誘導しようと試みる。

 牙をむくように口角をつりあげ、荒い呼吸とともに肩を上下させて、明らかな興奮状態にある大男。


 組み合ったりしない限り攻撃は当たらない、ケネスはそう睨んでいた。

 そして、自身も背中と足を痛めていて軽快なフットワークは期待できない。

 相手の攻撃をなんとかかわし、バールを奪って彼をこの場に足止めした上で二人の元に戻る。

 

 それが今のケネスに最低限求められる要求タスクだった。正直、無理難題であることは自身が一番よくわかっている。

 しかし、今、あの二人の笑顔を守れるのは自分しかいない。あと少しで夢と散った親子三人の暮らしに手が届くところまで来ているのだ。


「やってやるさ」ケネスは自分に言い聞かせるように呟いて、両の頬をピシャリと手で打つ。


 ジリジリとひりつくような緊迫感。

 ぎりぎりまで大男との距離を詰めたケネスが、体を投げだすように男の足元へタックルする。

 大男が二本の腕でケネスを捉えようとしたところを、飛びこみ前転の要領で体を丸めてかわしバールへと手を伸ばす。

 指先がバールに触れた感触があった。


 しかしその瞬間、大男は意外な行動をとった。バールを足で踏んで押さえつけケネスに奪われることを阻止したのだ。

 いや、ケネスの意図を読んだわけではないのだろう。それは本能的な行動だったのかもしれない。

 ケネスがバールの奪取を一旦あきらめ、そのまま一回転して体勢を戻そうとしたそのとき、視界を埋め尽くすような大男の膝蹴りが眼前に迫っていることに気づく。


 しまった、ケネスが自分の状況を理解したときには顔が歪むような衝撃を受けて、後頭部から壁に叩きつけられていた。

 泥沼に引きずりこまれるように混濁こんだくしていく意識。もはや痛みすら感じない。

 大男が自分にむけ太い腕を伸ばしてくる。だが逃げようにも体がいうことをきかなかった。


「殺される……」


 しかしそのときケネスのぼやけた視界の端には、自分から注意を背けようと必死に両手をふるキャスリーンの姿があった。

 

「こっちよ! こっちに来なさい大男!!」


 キャスリーンは男に拾った小石をぶつけ、大げさに手を振って注意を引きつけると手を叩きながら走りだした。

 彼女に何か策があるわけではなかった。

 ただ愛する夫を救いたい、その一心だった。


 案の定、鉄格子の手前で追い詰められてしまうキャスリーン。


「ルーイ! 私達のことはいいから逃げて!!」


 最愛の息子を守ろうと声を限りに叫ぶ。


「ママ!」


 ルーイが答え、格子の隙間から小さな手を伸ばす。

 大男が腕をゆっくりと振りあげる。

 今、まさに拳が振りおろされようとしたそのとき、キャスリーンの前に両手を広げて立ちふさがった者がいた。

 ルーイだ。


 頬や耳には鉄格子の隙間を無理やり通ったためにできた擦り傷ができていた。

 まっすぐに大男を見あげる。

 その表情はりんとしていて、何事にも屈しない強い意思が大男に逡巡しゅんじゅんを生じさせていた。

 

「だめよルーイ、逃げて!」


 慌てたキャスリーンが後ろからルーイを抱きかかえ、自分の背で覆い隠すように守ろうとする。

 目をつむったまま最悪の時が訪れるのを待った。

 静寂があたりを包む。

 聞こえるのは小川のせせらぎと風が草木を揺らす音。


「まッ……ま……」


 不意に聞こえたその声に驚いて目を開け、後ろを振りかえるキャスリーン。

 そこに肩を落とし、力なく項垂うなだれた大男の姿があった。

 頬を流れる大粒の涙が顎をつたってこぼれ落ちる。


「ままに――ママに会い゛たい゛……」


 両の膝を折って泣き崩れる大男は心なしか、体が一回りも二回りも小さくなったように感じた。

 キャスリーンは恐る恐る手を伸ばし、涙に濡れる彼の頬をゆっくりとなでた。


「そう、あなたもママに会いたいのね。大丈夫よ、きっと会えるわ……」


 そのまま立ちあがって彼の頭を胸に抱きしめる。


「ケネス、彼はもう大丈夫」


 大男の後ろには今しもバールを振りおろさんとするケネスの姿があった。

 拍子抜けした顔のケネスにキャスリーンが安堵の表情で微笑む。

 女性の、いや母親の持つ愛の力とでも言うべきものを見せつけられたケネスは、腕力で立ちむかおうとしていた自分がひどく滑稽こっけいに思えてならなかった。

 バールをおろし、頭をかきながら苦笑いするケネス。

 彼が背後からの異なる気配を感じて振りかえるのとその声はほぼ同時だった。


「そこまでだストークスども!」

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