62.古傷に馳せる想い
『ビッグ・ファーザー』来院の知らせに沸きたつ子どもたち。
彼は年に一度、孤児院を訪れて多額の寄付を協会へ贈るだけでなく、子どもたちにはおもちゃやお菓子をプレゼントしてくれた。
名前も仕事も、住んでいる場所さえも明かさない善意の人。
そんな彼に敬意をこめて子どもたちがつけた呼び名が『ビッグ・ファーザー』だった。
ビッグ・ファーザーの訪問を数日後にひかえたころ、ある噂が子どもたちの間で広まりだす。
――『父の木』のてっぺんに一つだけリンゴが残ってるだろ? あれを取ったヤツが、ビッグ・ファーザーから一番にプレゼントをもらえるんだってさ!
根も葉もない噂だったが、子どもたちは真剣だった。
そして、ビッグ・ファーザーの来院前日、子どもたちは一斉に教会裏庭のリンゴの木を登りはじめ、てっぺんを目指す。
もちろんマイルズとアマンダも参加した。
カイルはといえば、早々にあきらめて自ら号令係を引き受けている。
アマンダは木登りだけは、だれにも負けない自信があった。
だが、意外にもリンゴに最も早く手をかける位置にたどり着いたのはマイルズだった。
どよめく子どもたち。
アマンダは負けたくなかった。
プレゼントが欲しかったわけではない。ビッグ・ファーザーと一番に会ってリンゴをとったことを褒めてもらいたかったのだ。
飛び交う声援と怒号。
中にはマイルズに小石を投げて邪魔する者もいて、それを卑怯だと訴える者との間でケンカがはじまる始末。
そんな中、マイルズとアマンダが互いの服や足を引っ張り合いながら枝の先へと進んでいく。
そして、最後の瞬間――。
アマンダがマイルズの背を乗り越えるようにしてリンゴをもぎ取った。
「わたしが一番よ!」
勝負は決した。
しかし、その瞬間だった。
アマンダの体重を支えきれなくなった枝の先端が、音をたてて折れたのだ。
後ろにいたマイルズが落下する彼女を助けようと手をのばす。
がっしりとつかみあう手と手。
しかし視線をかわし、互いに安堵の表情を浮かべたのもつかの間だった。
マイルズがつかまっていた枝が二人分の荷重に耐えきれなくなり、根本から裂けるように折れたのだ。
二人はそのまま重なり合うように落下、地面に叩きつけられる。
「キャーーー!!」
「うわぁあーーー!」
足から落ちたアマンダは、比較的軽症だった。
しかし、頭から落ちたマイルズは頭部を十針縫う大怪我と全身打撲で、それから約一週間をベッドの上で過ごすこととなった。
――そして翌日。
ビッグ・ファーザーが来院した夜、アマンダはウェルカムパーティーには参加せず、マイルズの部屋を訪れていた。
ベッドの上で腰を起こした彼と、その横で丸椅子に座るアマンダ。
ろうそくの炎と月明かりだけが二人を照らしだしていた。
彼女はマイルズの頭に巻かれた包帯が緩んでいないか確認しながら、そっと尋ねる。
「まだ痛む?」
「ううん、もうへっちゃらだよ」
マイルズが笑ってみせる。
遠くで子どもたちのはしゃぐ声が聞こえた。
「本当ごめんなさい。わたしが意地を張ってあんな無茶をしなければ……」
「もういいよ、エイミー。何度もあやまらないで」
パーティーに行くよう促すマイルズに、首をふって答えるアマンダ。
「ビッグ・ファーザーにはもうあなたのことを話してきたの。とても残念そうな顔をしていたわ」
そう、マイルズはポツリとつぶやくように言って、痛々しく微笑んだ。
「あの人にあわせる顔がなかったわ。これでみんなの母親役だなんて、ほんとお笑いよね」
「そんなことないさ、エイミーはすごいよ。君のおかげでみんな寂しさを忘れられるんだ」
予想もしていなかったその言葉に、アマンダの頬が朱にそまっていく。
彼は気がついただろうか? 気になれば気になるほど、全身から汗が吹きだしそうだった。
今が夜で本当によかったと内心、胸を撫でおろす。
「僕は木登りでも一番になれなかった。ケンカもだめ、兄さんみたいに勉強もできない」
「そんなこと……」
「僕には大事なものが、誇りに思えるものが何もない。だから、きっと母さんにも捨てられたんだ……」
マイルズは完全に自信を失っているようだった。
「なら、わたしがあなたの大事なものに、あなたの一番になってあげる。だから――」
アマンダがそっと彼の手をとり、自分の手を重ねる。
「――だから、自信を持ちなさいマイロ」
しばし、見つめ合う二人。
さきに口を開いたのはマイルズだった。
「……え? どういう意味?」
「もう! ばかぁ!!」
これ以上ないくらいに顔を赤くして怒ったアマンダの平手打ちが炸裂した。
「思いだしたわ……。今朝、ビッグ・ファーザーにケネスたちがまだアリゾナにいる、今なら追いつけるって話した時……、とても残念そうな顔をしていたの」
ときおり苦しそうにうめき、ピクリと身体を震わせながらアマンダは話しつづける。
「あなたとわたしがプレゼントの一番を競って木から落ちたって話したときと、まったく同じ表情をしていた。落胆……失望……、あれはそういう意味だったのね」
ひとり言をいうように語りつづける彼女に、マイルズがたまらず口をはさむ。
「もう話したらだめだ、アマンダ」
「ううん、もうあとちょっとだから……」
アマンダはそう言って首を小さくふる。
「あの時のケガ……」彼女がマイルズの頭部を触れた。
「大人になっても消えないものね」
「あぁ。それに、これは俺にとっては勲章だからな」
マイルズが心地よさそうに笑いながら言う。
「あなたはあっという間に、私の背を追い抜いて……あれから十数年……私はあなたの一番になれたのかな?」
「あぁ、あぁもちろんだとも。だからこれからも一緒だ、ずっと一緒に……」
「よかった――」
マイルズの頭部を撫でていた手が力なくすべり落ちる。
彼女の目尻から一筋の涙がこぼれ落ちた。
「エイミー、だめだ! いっちゃだめだ、頼むから俺を――俺を置いていかないでくれ……」
マイルズが震える手でアマンダの上半身を抱きおこし、その胸に抱きしめる。
わずかに残った体温が、それでも彼女の生きた証を力強く彼に訴えつづけていた。
――愛していると、心の底からあなたを愛していると。
マイルズの絶叫が響き、その場にいた誰もが言葉をうしなった。
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