32.夜明け

 キャスリーンはそこで目を覚ます。全身にびっしょりと嫌な汗をかいていた。

 SFRを脱出するときに着ていたボディースーツと白衣はすでに脱ぎ捨て、今はジーンズに男物のグレーチェックシャツ姿。シャツはあきらかにサイズが合っておらず、袖を折って着ていた。


 胸にすやすやと気持ちよさそうに眠るルーイを抱きかかえている。

 辺りを見回すとそこは車の中だった。乗り慣れた我が家のピックアップトラック。

 室内灯ルームランプが点灯しており、運転席の外でドアに手をかけたままのケネスが心配そうにこちらを見つめている。

 ケネスの頬やシャツのいたる所に土汚れがこびりついていた。


 改めて車載の時計を確認すると、深夜三時を少し回ったくらいだった。

 ドアを閉めて運転席へ座ったケネスは、室内灯のスイッチを押して照明をつけ直し、キャスリーンの頬に手を伸ばした。

 彼女の頬を濡らす涙を愛おしそうに親指で拭う。


「辛い思いをさせてすまない」


 キャスリーンは自分でも気がつかないうちに涙を流していたのだと気づいた。


「ううん、何か夢を……悪い夢を見ていたみたい」


 彼女が胸の中で眠るルーイを見おろす。さぞかし疲れたのだろう。少年は熟睡していて二人の話し声くらいではとても起きそうにない。


「大丈夫、何もなくしてなんかいない。私の大事な物は今ここにすべてあるわ」


 ケネスは彼女の言葉に引っかかるものを感じながら、あえて聞きかえしはしなかった。


「お墓はどうだったの?」


 不意にキャスリーンが問いかける。

 言葉につまるケネス。

 

「ううん、言わなくていいわ、棺の中は空だったのよね。だって、私達のベイビーはここにいるもの」


 静かな寝息をたてる少年に微笑みかける彼女。

 ケネスは、あぁと力のない相づちだけをうってそれに答えた。


「疲れたでしょう。あなたも少し眠って。愛しているわケネス」


 ケネスの頬に口づけし、キャスリーンは再びまぶたを閉じる。

 ケネスはルームランプを消し、しばしの仮眠をとることにした。

 しかし頭の中を今日あった出来事が渦巻いていて、くたくたに疲れているにも関わらず眠りにつくことができなかった。

 

 キャスリーンが連れ去られ、ケネスの元にも回収者がやって来た。

 キャスリーンを追って潜入したSFRでの死んだはずの我が子、ルーイとの再会。

 マイルズとの死闘。


 カイルと出会い、そしてキャスリーンの救出。

 カイルからは自分たちが作られた製品、ストークスであるとの到底信じがたい情報がもたらされた。

 そして、下水道の出口で追い詰められたあのとき――。


 ボルトン所長の発射したグレネードランチャーが下水道の天井を打ち砕き、一瞬にして崩落ほうらく

 気がつくとケネスは、下水が流れこんでいたむかいの河川に投げだされていた。

 川は浅瀬になっていて、背中や腰を川底の石にしこたま打ちつけたケネスは、痛みを打ち消すようにうめき声をあげながら体を起こす。

 

 立ちあがって辺りを見回すと、少し離れた草むらにルーイを抱きかかえるようにして倒れこむキャスリーンの姿を見つけた。

 慌てて駆け寄り、肩をゆすって起こす。


「キャスリーン大丈夫か? しっかりしろ!」

「あなた……ケネス、よく無事で……」


 キャスリーンは倒れた姿勢のまま、片方の手でケネスの頬を優しく包みこんだ。

 ケネスもその手に自分の手を重ねて、うん、うん、と涙に声を詰まらせながら何度もうなずいた。


「うっ……うーん」


 二人の声に反応したのかルーイも意識を取り戻す。

 顔を見合わせ抱き合う二人。

 そこに所長とその部下たちの姿はなかった。下水道の中で瓦礫がれきの下敷きになった可能性が高いと思われた。


 そして、あの巨体を誇るストークスの姿も。あのグレネード弾の着弾点の一番近くにいたのだ、おそらくはもう……。

 遠くから人が集まってくる気配がした。工場の建物や敷地内に設置された無数の照明が順次点灯されていき、警報サイレンの音が耳に届きはじめる。


「急ごう」


 ケネスはルーイを片手で背負い、もう一方の手でキャスリーンの肩を抱きかかえながら川を渡る。

 ふと何かの気配に気がついて天を仰ぐと、そこには定常円を描いてゆっくりと飛び続けるアルキメデスの姿があった。

 付近に停めてあったケネスの車に乗りこんだ三人は、しばし走り続けて追手がないことを確認する。


 その後、閉店間際のウォルマートにケネスが駆けこんで食料とキャスリーンの衣服――キャスリーンには地味な上にサイズが合わないと大不評だった――などを調達した。

 家に戻らなかったのは、待ち伏せされている可能性が高いと判断してのことだ。

 その際、クレジットカードが利用停止されていて使用できず、手持ちの現金とキャッシュレス決済の残高でやり繰りしなければならなかった。


 同時に、ATMで現金を引きだそうとしたがこれも取り扱い不能となり、ケネスは見えない包囲網が急速に狭まって来ているのを感じざるを得なかった。

 簡単な食事を終えた後、確認したいことがあると言ったケネスがむかったのがルーイが埋葬されたこの墓地、『メサ・メモリアルパーク』だった。

 そして今に至る。

  

 最後にケネスはもう一度、棺の蓋を開けたときのことを思いだす。

 そこには朽ちかけたベビー服に包まれて、ボロボロにくずれた骨の欠片だけが残されていた。


 ――あれは一体、誰の骨なんだろうか?




 同日早朝七時。フェニックス・スカイハーバー国際空港。

 アリゾナ州フェニックス市内にある空港で、年間利用者が四千万人を超えるアメリカ西部の主要な空港の一つとなっている。

 サンフランシスコから朝一番の便で、男は到着したばかりだった。


 長身でがっしりした体格に浅黒い肌、ウェーブのかかった黒髪を後ろで束ねている。グレーブラウンのスーツを着こんだその姿は、仕事で出張してきたビジネスマンといった風体に見えた。

 旅客機のタラップを降りながら携帯電話をスーツの内ポケットからとりだす。


「あぁレイ、いやレイチェル、おはよう。朝早くすまない。そうだ――、今ついた」


 今日のスケジュールについて、いくつかの確認事項を電話むこうの女性とかわしたあと、男はどこまでも続く青い空を見あげて言う。


「長い一日になりそうだ……」




 第1章 『コウノトリの楽園』 完

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彼女がヒトでなくなるその前に ~自身が誰かのコピーだと知ったとき、彼女は人権を失い『モノ』になる~ 【旧題:from Stork Inc.】 神埼 和人 @hcr32kazu

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