21.眠れる森の美女

 状況が飲みこめず顔を見あわせる二人。

 カイルがAEDの蓋を繰りかえし開閉してみるが電源が落ちたのか、全く反応かなかった。モニタも消えたままで、三度目の電気ショックが実行されたのかも怪しい。

 AEDをひっくり返し、裏になっていた面の記載を確認する。


「設置が――八年前だ……」


「どういうことだ!?」

「一般的なAEDの使用期限が大体四年くらいのはずなんだ。故障か、バッテリーが自然放電した可能性が高い。……どうにもならない、あきらめるしか――」

「もういい、どいてくれ!」


 ケネスが話している途中のカイルを押しのけるようにして入れ替り、キャスリーンの胸部圧迫を再開する。

 カイルはそれに対して文句も言わず、ただ涙をこらえじっと耐える。


「彼女が排水管に飲みこまれてから、少なく見積もっても五分は経過している。通常、五分をこえたら助かる可能性は二十五%程度。奇跡的に意識を取りもどしたとしても脳に障害がのこると言われて――」


 ケネスがカイルを振り返り、胸ぐらをつかみあげる。


「二十五%もあるなら上等だ! このまま何時間でも続けてやる。必ず助けるんだ!!」


 そのとき、ケネスの背後で物音がした。

 まさかの期待に振りかえる。そこに上体をのけぞらして咳きこみながら、口から液体をあふれるように吐きだすキャスリーンの姿があった。


「キャス!」

「キャスリーン!!」


 ケネスが彼女の身体をかかえ起こそうとすると、カイルがケネスの腕を掴んで待ったをかける。

 咳きこむ彼女の体を横倒しの姿勢に直すカイル。


「肺にたまったPFCを全部吐きださせるんだ」


 背中をさすってやってくれ、泣きはらしたように充血した目のカイルに言われケネスが彼女の背に手を当てる。

 ケネスも鼻をすすりながら、神への感謝を繰りかえし口にしていた。

 成人であれば肺は片方で三リットル、両方で六リットルもの容量があるという。

 苦しそうに涙を流して咳きこみながら、まるで手品マジックのように鼻と口から無色透明な液体を吐きだし続けるキャスリーン。


「苦しいか、頑張れキャス……」


 ケネスには背中をさすってやることしか出来なかった。

 吐きだし終わるのを待ち、カイルが白衣のポケットから取り出したライトで彼女の瞳孔反応を確認する。


「左右差もないし、縮瞳しゅくどうなども見られない」カイルはそう言って、ケネスにうなずいて見せた。


「間に合った……」


 カイルが脱力したように大の字になって仰むけに倒れ、その場で寝そべった。


「ありがとう、君がいなかったら……」


 ケネスが感謝の言葉を述べると、照れくさそうにカイルは顔を二人から背けた。

 キャスリーンの様子が落ちついた頃、ブランケットと数枚のタオルをとって戻ってきたカイルが裸同然のキャスリーンを見て、今更ながらに動揺し目をそらす。


「よく考えてみれば、肺にはまだ十分なPFCがあったはずだ。脳に障害をきたすようなことはないと思うが可能性は否定できない。早く病院で診てもらった方がいい」


 カイルが目をそらしたまま、優しい口調で言う。

 そんな彼の様子を見てキャスリーンはクスリと笑い、背を向けてスキンスーツのジッパーをあげる。


 しかし――、カイルは内心いぶかしんでいた。

 いくら肺がPFCで満たされていたとしても心肺停止してしまえば、そもそも肺が酸素を取りこむことができない。血液循環もとまる。なぜ彼女は脳に損傷もなく、無事に蘇生できたのか……。

 一瞬、疑惑の目をキャスリーンに向けるカイル。


「ありがとうカイル、そして助けに来てくれたあなた……愛しているわ」


 キャスリーンはそんな彼の心の内を知る由もない。

 カイルから受けとったブランケットに上半身をすっぽりとくるまり、青白い顔で小刻みに体を震わせながら、彼女がケネスに口づけをする。

 そして、互いの肩に顔をうめて涙ながらに再会を喜んだ。

 キャスリーンはケネスの頭部をタオルで拭こうとして、それが朱ににじむのを見てはじめて彼の異常に気づく。

  

「血だらけじゃない、何があったの!?」


 自身の危機的状況をよそにして、ケネスの頬や頭部を心配そうに撫でまわすキャスリーン。


「大丈夫だ。くすぐったいよ、キャスリーン」


 痛みをこらえつつ、痩せ我慢をするケネス。

 そしてキャスリーンが心肺停止状態だったこと、カイルが彼女を助けるために尽力してくれたことを簡単に説明する。


「プールの底に排水ポンプの羽根車が沈んでいるのが見えた。たぶん老朽化していたんだろう、重りが当たってボルトが外れたんだ。君は運がいい、危うく排水パイプ内に詰まってしまうところだった」


 仲睦まじい二人の様子に苛つきを覚えたのか、カイルが若干強引に割りこむ。

 肩をすくめて顔を見あわせるケネスとキャスリーン。


「それから排水に浸かった影響については心配しなくていい。いま、ここに流れこんでいる薬品らしい薬品は、僕のPFCくらいだ。花形はながたの研究はすべてカリフォルニアの本社に移動してしまったからね」


 タオルで自分の体を拭きながら、そう言うカイルはどこか寂しげだった。

 

「あらためて礼を言う、ケネス・ヘイウッドだ。テンピでソフトウェア技術者をやっている」


 ケネスが、カイルに手を差しだした。


「″僕のキャスリーン″は聞かなかったことにしておくよ」


 ウィンクしながら小声でつけ加えるケネスに、顔を真っ赤にしたカイルが気恥ずかしそうに手を握りかえして応える。


「カイル・ウォーカー。ここでストークスの廃棄処理のかたわら、液体呼吸と人工血液の研究をしているのはさっきも話したかな」


「ウォーカー……」


 先ほどは焦っていて気がつかなかったが、ケネスはその名前に聞き覚えがあった。


「もしかしてマイルズの兄弟か?」


 彼は唐突に聞かれてぽかんとした表情でうなずく。


「マイルズは僕の弟だよ。弟を知っているのかい?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る