8.父と子

 ケネスの視線は守衛所の奥にそびえる白い建物にむけられていた。

 壁には『South Phoenix Recycle』の巨大なロゴがライトアップされている。

 時折風にのってくる、かすかな腐敗臭に彼は顔をしかめた。

 建物の背後、少し離れたところに埋立地と思われる場所があり、ゴミを積みあげて出来た小山がいくつかみえる。

 

 付近には巨大な重機が二台、月明かりに浮かびあがっていた。その姿はまるで、暗闇に身をひそめ獲物を待ち構える恐竜を思わせる。

 ゴミ処理場内部の照明はいくつかの非常灯をのぞいて落ちており、人気ひとけもない。

 ケネスはルーイが落ち着くのを待って質問を投げかける。


「本当に君が俺に電話を?」


 少年はこくんと小さくうなずく。

 これで声を変えて、そう言って彼は手元の携帯でアプリを起動してみせる。それは音声は元より、言葉づかいまで自動で変換可能なアプリだった。ケネスも遊び半分に使った記憶がある。


「子供が何を言っても相手にしてくれないでしょ?」と、上目使いにケネスの反応をうかがうようなそぶりを見せるルーイ。


「サンフランシスコから一人で? どうやってここまで?」

「飛行機で。ついさっき空港についたばかりなんだ」


 少し誇らしげな表情で少年は説明する。


「空の冒険サポートというサービスがあってね――」


 話しはじめる彼を手で制してケネスは質問を続けた。


「なぜ俺たち夫婦のことを? 電話番号はどこで?」


 ルーイは傍らに浮かぶ白いドローンを指さして、アルキメデスが教えてくれたと答える。


「アルキメデスは『スーパーハッカー』なんだ。調べられないことなんてないんだよ」


 僕が改造したんだ、そう付け加えて得意げな顔をしてみせる。


「地下駐車場で俺を助けてくれたのはこいつだったんだな。ありがとう」


 アルキメデスが青く明滅しながら答えた。


〈どういたしまして、ケネス〉


 そのやり取りをうれしそうに見守るルーイ。


「君が俺たちの子供だっていうのも……」

「そうだよ。最初にママがアリゾナにいるって教えてくれたんだ」


 なるほど……、ケネスは少年から視線をはずし、しばし考える。

 正直なところ、彼はルーイの言うことを完全に信じきれてはいなかった。子供を失ってから七年、その月日は長く重く、彼の意識にふたをしている。

 ケネスは一旦質問を切りあげた。

 すべてを聞きだすには時間がかかりそうだと判断したからだ。


「とにかくここに妻が、キャスリーンがいるんだね」


 ルーイはうなずいた。その表情が曇る。

 ケネスはSPR到着前に、キャスリーンの携帯電話の位置情報GPSを再確認していた。それは今もこの場所を指し示している。

 疑う余地はない、彼自身もそう思っていた。


「わかった。あとは警察に任せよう。君はサンフランシスコへ帰るんだ」

「だめだって、警察は相手にしてくれないよ」


 携帯に伸ばしかけた手をとめて、うっ、と言い淀むケネス。

 オフィスでの911とのやりとりを思い出し、苦虫を噛み潰したような苦悶の表情をうかべる。


 警察は頼れない。

 そして、キャスリーンの救出に残された時間がどのくらいあるのかもわからない。考えたくはないが、すでに手遅れの可能性だってあるのだ。

 一刻の猶予ゆうよもなかった。

 彼は鍵束をにぎりしめ、決意する。


「キャスリーンを助けにいく」


 それを聞いたルーイの顔が期待に輝く。

 しかしこれ以上、自分たち夫妻の問題に小さな子供を巻きこむわけにはいかなかった。それが本当に血のつながった我が子であったとしても。


「ただしここから先は俺一人でいく。通りをはさんで右に百メートルくらい行ったところに、青いピックアップトラックが止めてある」


 そこで待っているように伝えると、少年は落胆した表情で何かを訴えるようにじっとケネスを見つめた。

 カリフォルニアから飛行機でここまでやってきたのだ、子供とはいえ並々ならぬ覚悟があってのことだろう。気を落とすのも無理はない。


「足手まとい……? 僕が子供だから?」


 ケネスはその質問には答えず、こう問いかえした。


「パパを信じられないか?」


 言ってから自身ハッとする。

 ルーイは黙って首をふった。


「ママは必ず助け出す。俺を信じて待っていてくれ」


 少年は満面の笑顔でうなづく。


「気をつけて」


 ルーイが両手を広げてケネスにハグを求める。ケネスもそれに応じて腰をかがめた。

 抱きしめられて、まんざらでもない彼。

 別れ際、振りかえったルーイがケネスにサムズアップでエールを送る。


「ママをお願い、ケニー!」


 ケネスも同じサインでそれに答え、少年が暗闇に姿を消すのを見送った。


 彼は思う。

 本当に七年前に死んだ息子のルーイ、本人なのか?

 それなら何故死んだことにされ、今までカリフォルニアで誰とどうやって暮らしていたのか?


 肝心なことを聞き忘れてしまったと思うと同時にケネスはつぶやいた。


「なんでパパって呼んでくれないんだろう?」

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