17.家畜小屋

 照明の落ちた薄暗い室内に一人の男がいた。

 遠目に見たら中学生と間違えるくらいの小男で、メガネをかけボサボサの髪と無精髭をはやしている。

 丈の合わない白衣を腕まくりして着ているその姿は、まるで子供のお医者さんごっこを想像させた。

 

 男は椅子の背もたれを前にしてよりかかりながら、ぼんやりと目の前の水槽を眺めている。

 水槽はいくつかのスポットライトで上方から照らされていたが、外周をぐるりと厚手のカーテンに覆われていて全容がわからないようになっていた。

 ただし男の前方、一メートル程度はカーテンが開けられていて中を覗き見ることができた。

 スポットライトと水槽からの照りかえしが、男の周辺だけを暗闇に浮かびあがらせている。

 

 それは長方形に長く伸びた一室で、入り口をはいってすぐは何もない共用スペースのようになっており、左右の壁にはいくつかの扉があった。

 中央より先には、部屋の形に合わせてしつらえたような長机が据えつけられており、むかい合せに数台のPCが並べられていた。

 机上にはその他に学術書や書類らしき紙束が積みあげられ、食べかけのスナック菓子やコーヒーカップが雑然と置かれている。


 彼がいたのは入り口から見て左手奥の片隅で、申し訳程度にパーティションでPCや書籍の置かれた区画と区切られていた。

 周囲に雑多な物が置かれた様子から、研究室と言うよりは物置を片付けて無理やり作ったスペースのように思える。


「すばらしい、すばらしいよ君は。君のお陰で人工血液の研究が十年、いや二十年は進む。そうなればもう輸血に使う血液を献血に頼る必要もなくなる」


 恍惚こうこつとした表情で、ひとりごちる男。


「だけど、もう時間が……。あぁ、なんてことだ。あと一年、いや半年早く君と出会えていたら……」


 他に誰もいない室内で、いやだからこそだろうか、彼は饒舌饒舌に語りかける。

 まるでミュージカル俳優にでもなったつもりなのか、大げさな身振りを交えて歌うように声を張りあげていた。

 そのときだ。男の背後で不意に物音がした。ぼすっ、という何か重量のあるものを柔らかいクッションが受け止めたような音だ。


 ゆっくりと振りかえる彼。

 音は背後に隣接する別の部屋から聞こえたように感じた。

 そしてそれは、彼にとって日常的に聞き慣れた音。


家畜小屋バタリーケージ? こんな時間に!?」


 しばし耳をすまし、音のした方向に集中する。しかし、それ以上何も聞こえない。

 気のせいか、そう思い直し再び水槽にむき直る。


 ――徹夜続きで疲れているのかもしれない。


 メガネをとり、目元の辺りを指で抑えながらそんなことを考えていると、胃が空腹を訴えていることに気がついた。

 

「たしか食べかけのチップスがあったはずだ……」


 つぶやきながら椅子から立ちあがり、背伸びをして自席にむかった。

 ぼーっと一点を見つめたまま、反復動作のように袋から取りだしたチップスを口へ運ぶ。

 突然、右手後方から大きな音がした。


 それは何かが床に落ちたようなガシャンという音で、またしても先ほどと同じ部屋の方向からだった。 

 男は口にチップスを運ぶ途中の姿勢で硬直。冷や汗が背筋をつたい、手元からチップスがこぼれ落ちる。

 ゆっくりと斜め後ろを振りかえり、その部屋の扉を不穏な表情で見つめる。


『検体検査待機室・開放厳禁』

 

 その扉には黒い文字でこうペイントされていた。

 男は背伸びをしながら扉に備え付けの四角い小窓から中を覗く。

 手にはどこから持ってきたのか警棒のような物をたずさえている。

 室内は薄暗かったものの、補助灯がついていて中の様子はある程度把握することができた。

 そこには黒い格子でできた牢屋のような小部屋が全部で六つあって、手前と奥の二列に分けて等間隔に三部屋づつ整列していた。

 

 留置所、そう形容するのが一番的を得ているだろう。他には何もなく、ガランとした殺風景な部屋だ。

 ここで働く者たちは、この部屋をバタリーケージ『家畜小屋』と呼んでいた。

 彼は格子牢の一つを見て我が目を疑う。

 そこに一人の見知らぬ男がうつ伏せに倒れていた。身動きはしていない。


「こんな時間にストークスが回収されてきたのか? 一課のやつらは規則ルールが理解できないのかよ?」


 毒づきながら、首からさげられたIDカードで扉の取手付近に備え付けられたセキュリティを解除し、扉を開けた。


『カイル・ウォーカー 特殊廃棄物処理二課 廃棄物処理事業部 Stork Inc.』


 IDカードにはそう記載されていた。

 カイルが部屋を見渡すと、壁際で一台のストレッチャーが横倒しになっているのに気づく。

 首をかしげる彼。

 二度目の音の正体はまず間違いなくこいつだろう。しかし、自然に倒れるような物ではない。

 

 倒れたストレッチャーを横目で確認しながら、慎重に倒れている男に近寄っていく。

 格子牢の扉は横開きの格子戸で、すべての部屋が開いている状態だった。

 牢内の床はフロアより一段高くなっており、歩くと不安定に沈みこんだ。水の音もする。ウォーターベッドが敷かれているようだった。

 警棒を両手で固く握りしめながら、倒れた男を足のつま先でこづく。

 しかし、反応はない。


「こいつがやったのか?」


 よく見れば、頭部から出血していたらしく顔や首筋が血塗れになっていた。

 上体がゆっくりと上下する様子から死んではいない。出血もすでに止まっている。

 気を失っているだけのようだった。


「麻酔は効いているみたいだけど、朝まではとても持たないな。まぁここに閉じこめておけば、他のやつらがなんとかするか……」


 緊張のとけた面持ちで深く息を吐きだし、踵をかえしたその瞬間だった。

 突然、後ろから首を腕で締められ、そのまま宙にひきずりあげられた。

 首に巻き付いた腕に手をかけて、必死に引き剥がそうと足をばたつかせながらもがくカイル。

 闇雲に振り回した警棒が手から抜け飛んで格子に当たり、派手な音をたてる。

 頭越しに後ろを確認すると、さっきまで足元に倒れていた血塗れの男がそこにいた。


「いいか、離してやるから大声をあげるんじゃないぞ」


 男が言い、カイルはうっ血した顔で繰りかえし必死にうなずく。

 すると首にこめられていた力が抜け、するりと腕をすり抜けるようにしてウォーターベッドの上に着地。そのまま床に前のめりに倒れこんだ。

 ちょうど上半身だけ格子部屋からでる形となったカイルが喉を抑え、激しく咳きこみながら振りかえり問いただす。


「やっぱり麻酔が効いていなかったのか!? 君は一体――」


 そこまで言ったところで男に口を押さえられる。

 

「キャスリーン・ヘイウッドはどこにいる? ここに連れてこられたはずだ」


 カイルが口をふさがれたままゆっくりとうなづく。

 男は自身の唇に人指し指をあて、大声をだすな、と再度念押しした上でカイルの口から手を離した。


「キャスリーン、あぁ、あぁ、いるとも! 君はまさか……」


 カイルは驚きに目を見開いて問いかえす。


「夫だ、ケネス・ヘイウッドだよ。妻をかえしてくれ」

「そうか、僕としたことが……。当然、ツガイで回収されるよな。逆に彼女一人が処分される方がおかしいんだ」


 独り言のようにつぶやいた彼は、ケネスに値踏みするような視線をむける。


「いいから立て! 彼女のところに案内しろ!」


 ケネスは、その言いようと態度に苛立ちを覚えながらカイルを無理やり立たせ、背中を乱暴に押しだした。

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