5.狩人とキツネ

 一方、逃げるケネスも必死だった。

 ケネスの車までは直線距離で約五十メートル。しかし、真っ直ぐに向かったのではエンジン始動前においつかれてしまう。

 彼はわざと左に曲がり、駐車する車の列を縫うように走った。逃走しながら追手をやりすごすために身をかくす場所をさがす。


 一台の大型SUVが目にとまった。

 SUVの横に走りこみ、タイヤの影にかくれて呼吸をととのえる。

 タイヤを背に首だけをうごかして辺りをうかがうケネス。マイルズの姿はみえない。足音も気配もなかった。


 ややあって腰をあげ、自分の車の位置を確認しようとしたそのときだ。

 目の前、数センチ先を何かがものすごい速さで通過した。


 トン、と左方向からひびく小さな物音。

 ケネスの顔から十センチほどの距離、SUVのドアにダーツの矢のようなものが一本、突き刺さっていた。


 先端に細い針。胴体部は透明な筒状になっていて、そこにわずかながら液体が満たされている。

 彼はこれに近いものをつい先程見ている。おそらく麻酔液だ。


 ――しまった!


 あわてて右方向に視線をもどす。眼前に自分の頭部めがけて飛来する麻酔矢がせまっていた。

 それも今度は三本同時に、だ。


 すぐさま腰を落とし回避行動に入る。

 一本目が眼のまえを通過していき、二本目は頭頂部をかすめた。

 しかし、三本目は間に合わない。確実に自分の首元をとらえる軌道をトレースするかのように向かってくる。


 ――避けられない、ここまでか……。


 諦めて目を閉じようとしたケネスは、ブォンッという音を立てて何か大きな物体が眼前を横切っていった気配に驚き、再び目を見開いた。


 空中で何かに弾かれたようにくるくると縦方向に回る麻酔矢。見上げればそこに宙を舞う白い卵型の物体。

 わずかながらその白い物体が巻き起こした風も感じた。

 

 一抱えはありそうな卵型のそれは、空中でひらりと円を描いて急反転し、そのまま一直線に急降下していく。

 その先にマイルズがいた。


「ドローンか!?」


 マイルズが叫び、衝突寸前に腕で払う。

 ドローンは腕に当たって弾き飛ばされるように明後日あさっての方向へ飛んでいく。

 その行方を目で追いながら身構えるマイルズ。しかし、それきりドローンは戻ってこなかった。




 ドローンに気をとられていたマイルズが慌ててケネスの方へ注意を戻す。

 すでに彼の姿はそこにはなかった。

 すぐさまケネスが隠れていた位置へ走りこむ。車と車のあいだを体をかがめて走り去ろうとするケネスの背中を視界にとらえた。


 腿の脇から抜きだしたダーツ状の矢、マイルズ手製の麻酔矢を深く沈みこんだ体制から腕を振りぬくように投げ放つ。

 しかしケネスはマイルズの殺気を感じとったのか、すんでのところで右へ方向転換。

 矢は彼の背中をかすめるようにして停車していた車のドアガラスを突き破り、粉々に打ち砕いた。


「くそっ、邪魔さえ入らなければ仕留められたものを」


 マイルズはドローンが飛んでいった方向を忌々いまいましそうににらみつながら、すぐにケネスのあとを追って走り出す。

 意外なことにケネスは駐車スペースを抜けだし、車路を一直線に走っていた。

 一台の小型トラックがケネスの方へ向かってきており、今まさにすれ違わんとしている。


 その背後を追うマイルズは、再び麻酔矢を投げつけようとして躊躇していた。トラックのヘッドライトが逆光となって、うまく狙いを定めることができない。


 ふと気づくとケネスが何かを左手にさげ、ちらつかせている。それはヘッドライトに照らされてときおり鈍い光を放っていた。

 ケネスはその手で何かをつまみ、ひねるようなアクションを一、二回やってみせる。


「何かの鍵……車のキーか?」


 ケネスが突然、後ろを振りむいた。二人の視線が交錯する。マイルズの視線を確認したのだろうか、一瞬の間を置いて鍵をトラックとすれ違いざまに荷台へ放り投げる。

 今、この状況下で自分の車のキーを投げ捨てるとは考えられなかった。であるならば、答えは一つしかない。


「くそっ! あれは俺たちの車のキーだ!!」


 トラックはケネスの脇を走り抜け、そのままマイルズともすれ違って走り去っていく。

 車のキーとケネス、どちらを追いかけるか選択を迫られるマイルズ。


「マイルズ! ストークスを取り逃がした!!」


 その声はマイルズの後方、ちょうど車が走りさった方向から聞こえてきた。

 さきほどオフィスでケネスを捉えようとした男、デニスだ。彼が非常口のドアを開け、地下駐車場に突然現れたのだ。


「その車を追ってくれ! 荷台に俺たちの車の鍵が!!」

「なんだって!? 一体どういうことだ?」


 デニスが自分の耳を疑うように、手を耳の後ろへかざしながら問う。


「説明はあとだ、行け! ストークスは俺が追う!!」


 デニスは首を振りながらも手をあげて了解の意を示し、後ろをむいて走りだす。

 マイルズもケネスの追走を再開した。

 再び駐車スペースの中をジグザグと走り始めるケネス。


 あとを追うマイルズは、ときにボンネットの上をすべるようにまたぎ、ときに車の屋根から屋根へと飛び移って少しづつ距離をつめていく。


「NINJAかよ」


 ケネスが振りかえり呆れたようにつぶやくのが聞こえた。 

 もう少しで手が届く。マイルズは確実に仕留めるために、腰から麻酔銃を取りだそうとして一瞬ケネスから目を離した。


 その瞬間、再び車路に飛びだしたケネスを横からまばゆい閃光が襲った。

 輪郭りんかくを失うように彼の姿が光にとけて消えていく。


 タイヤの鳴く音が地下駐車場に響きわたり、マイルズの眼前で急停車した車のボディが前後に激しくゆれる。


「ばかやろう! 死にてぇのか!!」


 運転席から顔をだしてきた男がマイルズに向けて大声で怒鳴り散らした。


「車をどかせ! 早く!!」


 逆にマイルズにすごまれて、舌打ちしながら目をそらす運転手。怒りのおさまらない様子で派手にクラクションを鳴らしながら男の車はさっていった。


 そしてそこにケネスの姿はなかった。

 辺りをぐるりと見渡し完全に見失ったことを悟ったマイルズが、悔し紛れに駐車していた車のボンネットへこぶしを振りおろす。


「クソッ」


 ボンネットに残った大きなへこみが、彼の激しい苛立ちを物語っていた。

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