第37話 王女は神官長と結婚式を挙げる。

 それから幾度か季節が巡り、再び初夏が訪れた。水の国で一番美しく、この時期に結婚した花嫁は幸せになると言われる、女性にとって心躍る季節。


 辺境近くの小さな神殿は様々な花で飾り付けられ、多くの人々で賑わっていた。付設された孤児院の小さな子どもから、明らかに身分を隠していると思われるやんごとなき方々まで、老若男女が新郎新婦の登場を今か今かと待ち構えている。


 その中でも最も高貴なふたりが、緊張した花嫁をこっそりと元気づけていた。


「大丈夫だ。心を無にしていればすぐに終わる」

「まったく、陛下ときたら簡単におっしゃるのですから」


 呆れたマルグリットは肩をすくめてみせた。勇者として世界を救った男は、水の女神から直接国王に指名された結果、中央神殿で戴冠式を執り行い、王都で結婚パレードをこなすことになった。風の国、火の国、土の国との会談も積極的に行い、すっかり国王業が板についてきている。王族でありながら日陰の身でありそのうえそのまま平民に下ったマルグリットと比べるには、覚悟が決まりすぎているのだ。


 それは王妃となったエマもわかっているようで、何と言葉をかけるべきか考えあぐねているようだった。


「陛下。我が花嫁から離れてもらいましょうか?」

「そんなに睨まなくても離れるさ。まったくお前は本当に心が狭い」

「なんとでも勝手に言ってください。メグ、本当に綺麗ですね」


 とろけるような顔で甘い言葉をささやくディラン。頬を赤らめつつ恥ずかしそうに微笑むマルグリットの手を握り、そのまま招待客の前へ登場しようとしたその時。ディランは、後ろから飛び出してきた少女に押し出された。


「マー! 会いに来たよ!」

「あらあら、元気いっぱいですね。一時帰国とはいえ、ずいぶん無理をしたのではありませんか?」

「だって、マーと神官長さまの結婚式だもの。ちゃんと帰ってこなくちゃ。あ、今は大神官さまだっけ?」

「……名ばかり大神官ですから。別にどうということもありませんよ。それよりも、例の魔道具を作ったあなたも、国賓級の扱いなのですがね。もう少し落ち着いて待っていてくれてもいいのですよ?」


 水の国から風の国へ移動することになったものの、何とかしてマルグリットたちの声を聞きたいということがきっかけで開発された例の魔道具。子どもならではの柔軟な発想力と、ディランの固有魔法を組み合わせることにより開発された魔道具の評判は、開発途中だというのにうなぎのぼりだ。使い方次第でさまざまな可能性を秘めた魔道具は、あくまで神殿の神官のみの使用に限定しているがその技術を欲しがる人々は多い。


「すっごくがんばったんだよ。だから、まだ見習いなのにこっちに戻ってこられたの」

「水の国への一時帰国は、ご褒美みたいなものだったのですね」

「うん、マーの結婚式に出られないなら、魔道具の詳細図をうっかり誰かに教えてしまうかもしれないなあってこぼしてたら無事に帰ってこられたよ」

「それは、まったく無事ではないのでは?」


 そんな会話を挟みつつも、式は無事に進んでいく。ふたりの結婚式を取り仕切るのは、ディランの師。年齢を理由に神官を引退していたが、愛弟子の祝い事というならじっとしていられないとばかりに舞い戻ってきてくれたのだとか。気恥ずかし気にしながらも、柔らかく微笑むディランを見て、マルグリットもまた口角を上げた。


(諦めないでよかった)


 大切な家族に囲まれて大好きなひとと結婚式を挙げられることがいかに幸せなことか、マルグリットは身に染みてよくわかっている。決して叶うはずはないと思っていた幸せを目の前にして、マルグリットは誓いの言葉もまだだというのに、はらはらと涙を流し始めた。


「メグ、大丈夫ですか? 緊張しすぎてしまったかもしれませんね」

「いいえ、いいえ。あまりにも幸せすぎて、涙が止まらないのです」


 涙が止まらないというのに、マルグリットは笑う。


「あの日、ディランさまが王都に戻ってきてくださった日。想いを告げることができるだなんて思ってもおりませんでした。もちろん、こんな風に祝福される未来があるなんて想像することさえできなかった。それでも、おそばにいられればそれだけで十分だと思って城から出てきたのです」

「気がつけば、何よりもあなたが大切になっていました。あなたに出会えたからこそ、わたしはこの世界の意味を知ることができたんです」


 手を取り合い、見つめ合うふたり。完全に自分たちだけの世界に入ってしまったマルグリットとディランに声がかけられる。


「そこのふたり、わかったからさっさと誓いの口づけをしてくれ。一体どれだけ見つめ合えば気が済むんだ」


 呆れたように国王となった勇者に呼び戻されて、ふたりは顔を見合わせてはにかんだ。頬を赤らめたマルグリットに、いつ見ても美しいディランの顔が近づく。そこでマルグリットははたと気が付いてしまった。


(そんな、人前で口づけなんて恥ずかしすぎる! む、無理です!)


 いつの間にか顔が真っ赤になったマルグリットを見て、彼女の気持ちに気が付いたのだろう。ディランが少し困ったような顔で、ヴェールの角度を変えてくれた。せめて周囲のひとから見えづらいようにと配慮してくれたらしい。それでも、恥ずかしいものは恥ずかしい。硬直するマルグリットが、小さく声を上げた。視線が上を向き、周囲の人々も一斉に空を見上げる。


 雨雲もないというのに、きらきらと光の雨が降り注いでいた。身体に触れる前に消えてしまい、肌も地面も濡れることのない、幻のような雨。その上、空には幾重にも虹がかかっている。


「女神さまの祝福だわ!」

「すごい。とってもきれいね!」


 はしゃぐ子どもたちの声が響き合い、誰もが空に架かる虹に見惚れている。ディランは悪戯な顔で片目をつぶると、みんながよそ見をしている間にマルグリットと唇を重ね合わせた。

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虐げられ王女の入れ替わり〜愛する神官長を守るため勇者の妻と入れ替わったら、幸せな暮らしが私を待っていました〜 石河 翠 @ishikawamidori

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