第29話 王女は子どもたちを見送る。

「マー、決めた。あたし、風の国へ行く」


 ディランがマルグリットに求婚をしてから数日後、水属性以外の属性を持っていた少女が、他国へ渡ることを決めた。彼女は、神殿の孤児院の子どもたちの中で、唯一風の属性を持つという診断を受けた子どもだ。


 他の火や土の属性の子どもたちと違い、たったひとりで風の国に行かなければならないということで、今年の出発にするか、来年以降の出発にするか悩んでいたはずだ。ところが今の少女は、憑き物が落ちたかのように晴れ晴れとした顔をしていた。


「急にどうしたの?」

「急にじゃないよ。ずっと考えてたよ。マーはさ、あたしに後悔してほしくないって言ってたでしょ」

「ええ、そうですね。私は魔法が使えて当たり前のこの水の国で、ずっと苦労してきましたから。もしかして、魔法が使えないことで誰かに何か言われてしまいましたか?」

「ううん、違うよ。もちろん魔法が使えないことが恥ずかしいと思ったこともあるよ。でも、それだけじゃないの。マーやみんなと一緒にもっとちゃんとみんなの役に立ちたいって思ったの」

「それは、治療院のお手伝いのことですか?」

「うん。特技がなくても、お手伝いできることはあるよ。でもね、みんなと違う魔法が使えたら、もっともっといろんなことができるようになるでしょ?」


 神殿付属の治療院では、子どもたちの職業訓練を兼ねて手伝いをしていた。それぞれの特技を活かした形でかかわっていたわけだが、水魔法を利用して衛生状態を保ったり、治癒を行ったりしている友人たちを見て、自分にしかできないことを身に着けたいという気持ちが生まれたらしい。


(親心と言いつつ、私たちの価値観を強いているだけなのではないかと心配していたけれど、本当によかった。ちゃんとわかってもらえていたのね)


「風の国の神官さまも、きっとお喜びになりますよ。学ぶ意欲がある生徒を持つことは、大人にとって大きな喜びですから」

「ちゃんと勉強についていけるかなあ。風の国は、水の国と言葉が全然違うからそれも心配だよ」

「あなたのように、学びたいという気持ちがあれば大丈夫。きっとうまくいきますよ」


 正直、言葉も習慣も異なる国へ行くことは大変なことも多いだろう。だが、だからこそ幼く柔軟なうちに学ぶ機会を得られることは、彼女にとって幸運なはずだ。少女がおずおずとマルグリットに抱き着いてきた。


「あのね、ちゃんと風の魔法が使えるようになって、それから約束した神官としてのお勤めを果たしたら……。あたし、またここに戻ってきてもいい?」

「当然でしょう? だってここはあなたの家なのだもの」

「ずっと一緒に住んでいなくても?」

「離れていても、私たちは家族でしょう?」


 マルグリットもまた少女を強く抱きしめた。柔らかくて温かい、本当ならいつまでも手元で守っておきたい。けれど、彼女に幸せになってほしいから、彼女の未来の選択肢を狭めたくないから、マルグリットたち大人は、彼女を外の世界に送り出すことを決めた。


 そんなマルグリットの耳元で、少女がひそひそ話を始めた。まるで幸せをお裾分けするように楽しげな顔で、教えてもらったばかりの秘密を打ち明ける。


「あのね、マー。風の国のひとが教えてくれたんたけど」

「はい、なんですか?」

マーって、風の国の言葉でお母さんっていう意味なんだって」

「え?」

「だからね、マーはずっとあたしのマーだったの」

「私がお母さんですか。なんだかちょっと照れくさいですね」

「マーのこと、お母さんだって思っても嫌じゃない?」

「まさか、とても嬉しいですよ。だって私たちは家族なんですから。これで家族のお墨付きを得たと思ってもいいのでしょうか」


(私がお母さんなら、まさかディランさまはお父さんなのかしら)


 ふとそんなことを考えひとり勝手に頬を染めていれば、見透かしたようにまた耳打ちをされた。くすくすと少女はおかしくてたまらないと笑っている。


「神官長さまは、弟だよ。弟のことは、弟弟ディーディって言うんだって。神官長さまは焼きもちを焼いてばっかりいるし、お名前だってディランさまなんだし、お父さんより弟が似合うと思う」

「あらまあ、どうしましょう。それを聞いたら、神官長さまも困ってしまうかもしれませんんね」

「じゃあ、これは、あたしとマーだけの秘密ね」

「ええ、指切りですよ」

「指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーます。指切った」


 そう言ってふたりは顔を見合わせると、くすくすとこらえきれずに小さく笑い続ける。


「楽しそうですね。一体何の話をしているんですか?」

「えへへへへ、内緒だよ」

「そうですね、これは私たちだけの秘密です」

「女は秘密が多い方がモテるんだって、風の国の神官さまが言ってたし」

「一体何を教わっているんですか……」


 頭を抱えるディランの姿がおかしくて、ふたりはたまらずにお腹を抱えて笑い転げた。



 ***



 そうして、旅立ちの日。

 マルグリットとディランは、他国へ旅立つ子どもたちを見送ることになった。瞳を潤ませる大人たちとは対照的に、子どもたちは底抜けに楽しげだ。きらきらとした瞳で、憧れの魔法が使えるようになったらやりたいことを語り合っている。


(なんて素敵なのかしら。未来に向かって走り続ける子どもたちの力になれることは、本当に幸せなことだわ)


「いってらっしゃい。どこにいても、あなたのことを想っています。またここに帰ってくるのを楽しみにしていますね」

「あたし、いっぱい手紙書くから! だからあたしのこと、忘れちゃいやだからね!」

「ありがとう。私も返事を書きます。風邪を引かないように気をつけて。あなたは、好き嫌いが多いから心配だわ。食わず嫌いはダメ、何でもよく食べるようにするのよ」


 いつまでも尽きない別れの言葉を子どもたちに贈り、マルグリットは彼らの乗る馬車が見えなくなるまでひたすら手を振り続けた。何も言えないまま立ち尽くすマルグリットにディランがそっと声をかける。


「メグ、目が真っ赤ですよ」

「ディランさまこそ」

「年々涙もろくなっているような気がします」

「年をとるというのは、こういうことなのかもしれませんね」

「もしかして、じじくさいと思っていませんか?」

「まさか、そんなことを言ったらわんわん泣いていた私だっておばあさんということになってしまうでしょう? あら、でもそれなら私たちは仲良しの老夫婦ですね。それも素敵だわ」


 泣き笑いのようなふたりをよそに、子どもたちは既に気持ちを切り替えたらしい。歓声をあげながら、庭の中で追いかけっこを始めている。


「ディランさま。ありがとうございます」

「急にどうしましたか?」

「私、今とても幸せなんです。ディランさまに出会わないままだったなら、誰かの幸せのために頑張ることはできなかったのではないかと」

「そう、かもしれませんね。相手の幸せを願うことはとても難しいことですから」

「だから、私に幸せを教えてくれてありがとうございます。これから、私がディランさまを幸せにしてみせますね」

「そこは、わたしがあなたを幸せにするという場面だと思うのですが……」

「あら? ごめんなさい」


 いたずらな顔で吹き出すマルグリットに、静かにディランが詰め寄った。気まずそうに咳払いをしながら、おずおずと尋ねてくる。


「ところで、例の秘密のお話なのですが」

「ディランさま、もしかして焼きもちですか?」

「そ、それは」

「ごめんなさい、ちょっとからかってしまいましたね。そう大した秘密ではないんです」

「やっぱり内緒のままですか?」

「まさか、そういうわけでは……。それにディランさまは風の国の言葉をご存じでしょうし、わざわざ私が説明する必要性もないような」

「焦らすのはよくないですよ?」

「ええと、秘密のことを聞いたっていうのは、内緒にしてくれますか?」


 マルグリットはつま先立ちになると、小さく口角を上げたままディランの耳元にそっと近づいた。

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