第3章
第30話 王女は王宮に呼び出される。
『みんな、元気にしていますか。あたしも、風の国でがんばって勉強しています。こっちに来てから、風魔法をたくさん使えるようになりました。今、頑張っているのは風に音を乗せて声を届ける魔法の習得です。遠い距離までできるようになったら、みんなに声のお手紙を届けたいです』
風の国へ魔法を学びに出かけた少女からの手紙を読み終えたマルグリットは、感極まったように手紙をぎゅっと抱きしめた。直前まで風の国に行くことを渋っていた彼女が、元気に過ごしている。それだけでも嬉しいというのに、彼女は風魔法の習得に向けて前向きに頑張っているという事実がマルグリットの胸をあたたかくしていた。
「あら、まだ中に入っているみたい」
胸元の封筒の中に、何か硬い感触がある。慌てて確認すると、『マーとディーディへ』という追伸とともに、小さなブローチが転がり落ちてきた。はめ込まれている石はガラス玉かと思ったが、かつて王都の神殿で触らせてもらった魔石によく似ている。案の定、ディランが慌てたように手を伸ばしてきた。
「まったく、魔道具を無造作に入れてくるなんて……。いくら神殿の定期配達便を利用しているとはいえ、危なすぎます」
「本当に魔道具なんですか? ただの綺麗なブローチではなくて? 手紙には特に何も書かれていませんでしたよ?」
「驚かせるつもりだったのか、本当に何も考えていなかったのか。いくら使用者に制限がかけられているとはいえ不用心にもほどがある……」
「魔道具は高価なものですよね。どうして急に……」
「何となく想像はつきますが……」
翠玉と
「神官長さま! マーちゃん! お庭が光ってる!」
「なんか変だよ! それにねえ、光った場所からひとがいっぱい出てきたの! それもいっぱい!」
「ねえ、マーちゃん。どういうこと? 何が起きてるの? これ、魔法でしょ?」
マルグリットとディランは思わず顔を見合わせてしまった。息を呑んだまま一瞬言葉が詰まったマルグリットの代わりに、ディランがよく通る声で指示を出す。マルグリットは慌てて窓に近づくが、ここからは子どもたちが言う光る庭は確認できなかった。心臓が早鐘を打つ。緊張で耳鳴りがした。
(地面が光っている? ひとがたくさん出てきた? まさか転移陣を使用して誰かがここにやってきたというの? でも、転移陣の使用はかなりの費用がかかるはず。大規模な転移陣ならなおさら、滅多なことでは使用されないというのに……まさか!)
マルグリットが想像した内容のことを、近くにいたディランも考えてしまったらしい。ディランの顔色が悪い。きっとマルグリット自身も、酷い顔をしているのだろう。子どもたちを部屋に戻しながら、ふたりは慌てて庭に向かって走った。
「みんなは離れて。今すぐ部屋に戻ってください! メグ、あなたも!」
「いいえ、私は一緒に行きます。それが大人としての役割です」
「ですが!」
「彼らの狙いが私ならば、それこそ私が行かなくては。そうでしょう?」
孤児院の庭には似つかわしくない仰々しい近衛騎士たちが待機していた。浮かび上がった転移陣はまだぼんやりと光を放っている。彼らは、こちらを威圧するかのように見つめていた。見せつけるように書状が広げられ、よく通る声で読み上げられる。
「お迎えに参りました、マルグリット王女殿下」
「……」
表情を硬くしたマルグリットを庇うように、ディランが彼女の前に立つ。小さく震えていることに気が付いていたのか、そっと手を握られた。一瞬遠のきかけた意識が、ディランの手の温もりでゆっくりと戻ってくる。
「魔王討伐の功労者である勇者殿は、王女殿下とご結婚されたはずが、王女殿下を辺境の神殿に追放したあげく、王女殿下の地位に平民である彼の元妻を据えるという信じられない暴挙をおこなったとか。王女殿下におかれましては、大変な苦労があったことでしょう。国王陛下は勇者殿とその妻の振る舞いを知り、心を大変痛められておられます。つきましては、マルグリット王女殿下に王宮へお戻りになるようにおっしゃいました。安心して王宮に戻ってくるようにとのことでございます」
(私からの返事は求めていないのね。つまり、入れ替わりは完全に見破られてしまっていると……。じゃあ、勇者さまとエマは一体どうなっているの)
「……お気遣い感謝いたします。ですが 、私は今の暮らしに満足しております」
「陛下は、王女殿下が王宮に戻られることをお望みです」
「王宮に行かなければ、どうなりますか?」
「国王陛下のお考えは、我々にはわかりかねます」
(あの方が、父親として私のことを心配するはずがない。今までだって一度たりとも、私のことを娘として気にかけたことはなかったのだから。それならば、どうして私は王宮に連れ戻されるの? 私を王宮に連れ戻すことで、王族はどんな利益を得ることになる?)
「それから、神官長さまにつきましても、王宮に一緒に来ていただくようにと。王女殿下を保護していただいた件についてお礼を伝えたいとのことです」
この状況で素直に感謝されるはずがない。まさか、ディランを脅しこの件を足掛かりに、神殿を王家の意のままに操るつもりか。返事をしあぐねていると、横からディランが口を挟んでくる。
「わかりました。同行させていただきます」
「いけません! ディランさま、王宮に行っては!」
「この状況で拒むことはできません。何より、わたしはメグをひとりで王宮に戻したくはないのです。そばにいれば、少しでもあなたの力になれる」
「ディランさま……」
(嫌な予感しかしない……)
緊張のあまり読み上げていた手紙を握りしめていたらしい。風の国からの便りは、いつの間にかしわくちゃになっていた。
***
無言で王宮への転移陣を展開しようとする近衛騎士を制し、マルグリットとディランはそれぞれ伝言を頼んでいた。留守を預かる神官に話を通しに行ったのだろう。ディランが神殿に向かってから、周囲にただよう魔力が微妙に変化した。ディランは王宮を信用していない。神官たちに結界を張るようにことづけたのだろう。一方のマルグリットは、留守番をすることになる子どもたちに外へ出ないように言い含めていた。
「マーちゃん、お庭のひとたち、だあれ?」
「大丈夫です。みんな、心配しないで。ただ、ごめんなさい。私と神官長さまは、少しだけお出かけしないといけなくなってしまったんです」
「そうなんだ。いつ帰ってくる? 何時までに帰ってくる?」
「それは……」
貴重な転移陣を使ってまでこちらを呼び出してきたというのに、あっさり帰してもらえるとはとても思えない。それでもマルグリットは、子どもたちを安心させてやりたかった。
「大丈夫ですよ。頑張って早く戻ってきますから」
「そう言って、お母さんもお父さんも帰ってこなかった」
子どもたちなりに、緊急事態だということは理解しているらしい。涙目でマルグリットのそばを離れようとしない。そんな彼らをまとめてぎゅっと抱きしめてから、マルグリットは両親が帰ってこなかったと話す子どもと指切りをした。
「私が約束を守らなかったことなんて、ないでしょう?」
「うん」
「もしかしたら今日中には帰れない可能性もありますが、ちゃんと帰ってきます。いい子にしていてくださいね」
(入れ替わりが知られてしまったのであれば、今まで通りにはいかなくなる……)
これから一体何が起きるのか。マルグリットは震える手を無意識のうちに祈るように組み合わせていた。
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