第31話 王女は勇者の苦境を目撃する。
転移陣で強制的に移動させられたマルグリットは、こみあげてくる強烈な吐き気とめまいに耐え切れずに、しゃがみ込んだ。えずきたくなるのを必死でこらえていると、ディランにそっと背中をさすられる。床にはいつくばったまま、マルグリットは現状を確認しようとしたが、あたり一面瓦礫と土ぼこりが舞っているせいで遠くの方は何も見えない。
(私がディランさまと一緒に王宮を出た時には、転移陣ではなく馬車を使ったわ。転移陣は長距離を一瞬で移動することができるけれど、かなり高価なもの。それを惜しげもなく使うとういことは、それだけ事態がひっ迫しているということなのかしら……)
「メグ、動けそうですか?」
「……はい、なんとか」
治癒魔法をかけてくれているのだろう、身体の中の臓物がひっくり返ったような感覚が少しずつおさまっていく。立ち上がれる状態になったマルグリットは、そこでようやく部屋の中に漂う異臭に気が付いた。鉄錆のようなすえた臭いが辺りに充満している。思わずディランを見上げれば彼は非常に厳しい表情をしている。何やら思い当たるところがあるらしい。
まっすぐに立っていられないのは、マルグリットがまだ本調子ではないせいか。それとも周囲から聞こえる轟音と何か関係があるのだろうか。周囲の様子をもう少しよく確認しようと目を凝らす。マルグリットたちを迎えにきた近衛騎士たちの姿は近くにはないようだ。
(一緒に転移したはずなのに、いないなんて……。もしかしてここは聖なる泉のある祈りの間? それならば王族と神官以外は立ち入りできないから、理屈には合うけれど……)
煙の向こう側に泉と女神像を見つけ、やはりここは祈りの間だと納得した。ただ気になったのは、女神像の姿だ。水の女神は癒しの力を持つ神。そのため女神像は、傷ついたひとびとを抱きかかえる姿をとっている。けれど。
(今日の女神さまは、お姿がいつもと少し違う気がする。まるで女神さまご自身が力尽き倒れていらっしゃるような……)
そこまで考えた時、祈りの間に風が吹き、ゆっくりと土ぼこりが晴れていく。開けた視界の中で違和感の正体に気が付いたマルグリットは、たまらず悲鳴を上げた。深く青く澄んでいるはずの泉には、おびただしい量の赤い血が流れ込んでいた。そして血の気の引いた状態で女神像にもたれかかっていたのは、勇者の最愛の妻であるエマだったのだ。
「エマ! どうして!」
「メグ、不用意に近づいてはいけません!」
「そんな、ディランさま。今すぐエマのもとに行かなくては!」
「危ない! 一度こちらに」
駆け寄ろうとしたところをディランに静止され、マルグリットがしぶしぶ後ろに下がった瞬間、ふたりがいた場所が大きくえぐれた。轟音と土ぼこりの正体は、誰かが攻撃魔法を連発しているせいらしい。さっと顔を青ざめさせたマルグリットを守るように、ディランが念入りに守護の魔法をかけていく。
「ディランさま、エマは!」
「遠目から確認しただけですが、おそらくまだ息はあります」
「どうして、エマが血まみれに? 私との入れ替わりが露呈したことで、まさか拷問にかけられたというのですか!」
マルグリットの問いに、ディランは眉間に深くしわを刻みながらつぶやいた。
「拷問、ではないと思います。いや、ある意味、勇者殿に対する精神的な拷問ではあるのでしょうが」
「つまり、エマを傷つけた相手は、エマが魔法を使えない非力な女性であることをわかっていて、嫌がらせか見せしめとして傷つけたと?」
「ええ。勇者殿に圧力をかけているのでしょう。エマ殿を殺したくなければ、自分の言うことを聞けと」
「そんな……」
(それじゃあ、勇者さまは? どこで何をしているの?)
再び轟音が鳴り響いた。音が聞こえたその先、先ほど攻撃魔法が飛んできた方向のずっと向こう側では、勇者が国王や王太子を始めとする王族男子に取り囲まれていた。
***
必死な様子で、勇者は攻撃をかわし続けている。水を刃のようにして攻撃しているのはマルグリットの兄たちだ。同じ水魔法でも誰かを傷つける魔法に関しては、彼らは人一倍上達が早かった。日々身近な人間に対して実践を積み重ねているからかもしれない。精度が高く、何より人数で圧倒しているせいで、勇者はずっと押され気味だ。にもかかわらず勇者は、手に持っている聖剣で攻撃を払い落とすのみ。初めて見る傷だらけの姿に、マルグリットはひどく動揺した。
(私とエマの入れ替わりは、ここまでの事態を引き起こすことだったの?)
勇者と王族の関係は、もともと良好とは言い難いものだった。そもそも、魔王討伐の
旅に出る勇者として、水の国の王太子が選ばれなかったことで、現勇者と王太子の関係は最悪と言っていいものになっている。勇者自身は自分が勇者に選ばれたことに何の価値も感じていないが、勇者に選ばれなかった王太子は誇りを傷つけられたとして周囲に当たり散らしていた。
国王もまた、国を縛るために末王女と勇者の婚姻を望んだが、最初はあっさりと断られそうになっている。脅迫をし、外堀を埋めた結果、末王女と勇者の婚姻は成ったが、一度断られたことを国王は根に持っているのかもしれない。その上、末王女と勇者の妻を入れ替えるという事態が引き起こされ、数ヶ月の間、王族の誰もがその事実に気が付いていなかった。
面子を重んじる国王は、すべての元凶である勇者たちを引き裂きたい衝動に駆られたというのか。それでもあの男は腐っても水の国の国王なのだ。どれだけ激高していたとしても、衝動的に勇者を殺すことはない。そもそも今ここで殺すようなら、凱旋してきた際に命を奪ってもよかったはず。
「ディランさま、勇者さまは国で一番お強いはずです。それなのにどうして防戦一方なのですか?」
(勇者さまにとって、エマよりも大切なものなんて存在しない。王族殺しの汚名など、勇者さまにとっては気にもならないこと。私の知る勇者さまなら、ためらいなく世界の半分を吹き飛ばしてでもエマを守るでしょう。それなのに、どうして彼らを斬り伏せてしまわないの?)
「勇者殿は、もちろん国王陛下や王太子殿下たちよりもずっとお強いですよ。それに勇者殿がお使いの剣は、魔王討伐の際に用いられた水の聖剣です。あの状態の勇者殿が、力で押し負けることはありえません」
「それならどうして!」
「メグは、陛下の固有魔法をご存じですか?」
「恥ずかしながら、存じ上げません。家族の固有魔法について、私はほとんど事情を知らないのです」
「そうですか。少しでも魔法を学んでいる人間であれば、国王陛下を敵に回そうとは思えないでしょう」
「でも、勇者さまは水の国の誰よりもお強いのに?」
「相性が悪すぎるのです。陛下の固有魔法は、生き残ることに特化しています」
いぶかしむマルグリットだったが、ディランに質問を返すことはできなかった。唐突に水柱が噴きあがり、ふたりの身体が吹き飛ばされる。天井近くまで吹き上げられそのまま一気に床に叩きつけられたディランとは対照的に、マルグリットはかすり傷のみで女神像の近くに転がされただけ。すべては国王の意図的な行動によるものらしい。
「ふむ、こうやって見比べてみると驚くほど似ていない。化粧で寄せていたのか。それでも明確に似ていると言えるのは髪と瞳の色くらい。よくもまあこの状態で、入れ替わりを画策したものだ」
(馬鹿にされたものね。でも吹き飛ばされたおかげでようやくエマの近くには来れた)
今までマルグリットは王宮内にてほとんど発言を許されることがなかった。父親のはずなのに、言葉を交わしたこともほとんどない。自然と声も手足も震えてしまう。
「どうだ、自分と入れ替わった人間が死にかけている気分は?」
「エマが死にかけているのは、陛下のご指示によるものなのではありませんか?」
「ほほう、王宮の中では息をひそめて暮らすしかなかった出来損ないの末王女が、いっぱしの口を叩くようになったではないか」
息を荒げた勇者の前に、国王はいっそ無防備なほど緊張感もなく立っている。けれど、勇者が王の首を狙うことはない。どこかちぐはぐな彼らの様子になぜか不安感ばかりが煽られる。
「女が傷だらけの理由を、あるいはこの男が儂を殺せない理由が知りたいのであろう? 何、簡単なことだ」
「何をして……。っ!」
国王は笑いながら、剣を構える勇者に向かって勢いよく飛び込んでみせた。慌てて後ろに下がる勇者だが、追いかける国王がわざと剣先に腕を触れさせる。その瞬間、マルグリットの目の前にいる勇者の妻の腕から、突然鮮血がほとばしった。マルグリットは自身の頬にまで飛んだものをてのひらでぬぐうと、一拍遅れて悲鳴を上げる。
「儂の固有魔法は、絶対防御。受けた攻撃を鏡にあたった光のように反射させ、そのまま任意の相手に跳ね返すことができる」
「……これが、ディランさまのおっしゃっていた生きることに特化した固有魔法」
(勇者さまが防戦一方の戦いを強いられていらっしゃるのでは、攻撃をすればそのままエマが攻撃を受けることになってしまうからなのね。なんと卑劣な)
「そのおなごを助けたいのであろう? 好きなだけ治癒魔法を使うがよい。『清貧の聖女』よ」
「おっしゃっている意味がわかりかねますが、治療に入らせていただきます」
「久しぶりの本当の親子の再会だというのに、冷たい娘だ。ならば、勝手に語らせてもらうことにしようか」
マルグリットは国王の軽口を無視したまま、エマの傷を塞ぐべく手をかざし始めた。
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