第7話 王女は魔法を発動させる。
「これは、すごい魔力量ですね」
「ディラン、さま?」
ディランがほんのりと頬を染めたまま、苦し気に息を吐く。それにもかかわらずその姿はどこか蠱惑的で、マルグリットはこんな状況だというのになぜか見惚れてしまった。
「無理矢理魔力を引き出したわけですが、気分は悪くありませんか? 体内に通じた部分との接触必要で、本当に申し訳ありません」
「いいえ。あの少し、背中がぞくぞくしますが大丈夫です」
「それならよかった。出口が安定すれば、違和感はすぐに収まるはずです」
「ディランさま、大丈夫ですか? 顔が少し赤いです」
「これは魔力譲渡に特有のものなので。問題ありません」
(そうだった、他人の魔力は異物。私は魔力を譲渡しただけだけれど、ディランさまは私の魔力が体内で混じっている状態。他人の魔力を受け取ることは、もしかしてディランさまにとって大変な負担なのでは……)
そのことに気が付いて慌てて自力で立とうとしたが、身体に力が入らない。すぐにくたりと力の抜けたマルグリットを抱えたまま、ディランが負傷者の救助のため瓦礫まみれの市場の中を進んでいく。
「ディランさま、私を置いて行ってください」
「何があるかわからないのに、置いていけるはずがないでしょう。突然建物が崩れる可能性だってありますし、善人ばかりがいるわけでもないのですよ」
「す、すみません。ディランさま?」
「メグ、見てはいけません!」
さっとローブで視界を遮られた。ディランが何か大掛かりな術を発動させていることがわかる。先ほどの言葉の意味を考え、マルグリットは胃の中から酸っぱいものがこみあげてきた。
見せられないほどに凄惨な状態だったのだろう。魔力を譲渡しただけで、ディランの役に立ったような気になっていたことが恥ずかしくなる。口づけされたことに気を取られて浮ついていた自分のなんと愚かなことか。
抱えたマルグリットを落とさないようにとぎゅっと強く抱きしめてくるディランのてのひらが、小刻みに震えているのがわかった。荒い息遣いから、明らかに今までのものとは異なる高度な治癒を行っていることがわかる。状況が把握できるからこそ、彼はマルグリットよりも深く絶望しているのかもしれない。
まず神官たちの魔力が足りない。マルグリットの魔力を全員に譲渡することはきっと不可能だ。そして魔力があっても、治癒魔法は万能ではない。欠損した手足を復活させることはできず、血を流し過ぎれば傷を塞いでも生命力が足りずにこと切れる。
ディランの師のように特別な固有魔法を使うことができたなら話は別だが、そもそも固有魔法を発動できるのは魔力の高い一握りだけ。その可能性を持っている自分は、固有魔法どころかただの生活魔法も発動できないありさまだ。
(ああ、王族の私がお兄さまやお姉さまのように固有魔法が使えたら。何かお役に立てるかもしれないのに)
マルグリットは、人生の中で今ほど魔法の力を欲したことはなかった。自分の人生を切り開くために欲しかったはずの魔法の力。それをマルグリットは、目の前の苦しみに耐える人々を救うことができずに嘆くディランのために欲した。それはもしかしたら、似ているようで全然違う願いだったのかもしれない。ぎゅっと強く握りしめすぎて、てのひらから血がにじんでいた。
(ないものねだりをしても仕方がない。できることをやらなければ)
「ディランさま、再度私の魔力をお譲りします。今度は遠慮なく、限界までどうぞすべてお受け取りください」
「何を」
「お嫌かもしれませんが、お許しを」
ディランに言われた内容をそっくりそのまま返し、全身の力を振り絞って口づけた。
先ほどとは異なるのは、マルグリットの両のてのひらから何かが溢れ出ているような気がすること。けれどそれはきっと、気を失いかけたマルグリットの妄想なのだろう。
「一体、何を? これはどういうことだ。メグ、起きてください!」
「でぃらんさま、みんなを、たすけてあげて」
マルグリットは、ディランの声を遠くに聞きながらゆっくりと意識を手放した。
***
マルグリットが意識を取り戻したのは、贅沢ではないがしっかりした清潔な寝台の上だった。
(喉が渇いた。ええと、今は何時? あれからどうなったの?)
身体を動かすのも億劫で、マルグリットはぼんやりと天井を見ていた。すぐそばで、ディランが誰かと話をしている声が聞こえる。
「神官長さま、それはおかしいです。今回の治療は、わたしの独力でできたことではありません。特に最後の魔法は、本来の治癒魔法の範囲を逸脱しています。それこそ女神の奇跡と言ってもいいでしょう」
「死にかけていた騎士が無傷で見つかったとな。返り血を浴びていただけのところを瀕死の重傷だと見間違えていたのであろうよ」
(あのとき、両のてのひらから溢れ出たのは私の魔力? まさか土壇場で魔法に目覚めた?)
今までにないほど自然に体内の魔力を感じることができる。てのひらの傷はいまだ開いたままだ。意識して魔力をてのひらに集めれば、当たり前のように傷が塞がる。なぜ魔法が使えなかったのかがわからないくらい、当たり前のように魔法が行使されたことに手が震えた。
「そもそも、なぜ騎士団からの褒章をわたしひとりが受け取ることになっているのです。その上、見習いから神官になったばかりのわたしをさらに昇格させようだなんて」
「それでは、お前はそこの彼女から膨大な魔力を譲渡してもらったことを馬鹿正直に騎士団に伝えると? 死にかけていた騎士が助かったのもそのおかげだと? それはすなわち王家に彼女の価値が伝わることになるが、構わんのかな」
「それは……」
ディランが言いよどんだ。どうやら、出かけていた神官長が神殿に戻ってきたらしい。ふたりの会話を考えると、魔獣が市場で暴れた件は既に片が付いたようだ。
(王族が平民に交じって神殿で魔法を学んでいたというのは、醜聞になるかもしれないということかしら。でも、待遇がこれ以上悪くなることなんて……)
「王家は喜ぶだろうよ。王家の血筋で、魔法を発動させることができない出来損ないの末王女が、うまく放出できなかっただけで指折りの魔力を保有していると知ったなら、厄介払いどころか有益に使ってくれることだろう」
「……有益?」
「相性が良くなければ魔力の譲渡は難しいとはいえ、使い道は他にもある。何度か試してみれば、いい具合の子どもが生まれるかもしれない。人間性は期待できないが、魔法の才にだけは優れた宮廷魔導士はたくさんいるからな」
ひっと喉元まで悲鳴が出そうになり、マルグリットはシーツで口元を押さえた。そうだ、王族の汚さは自分がよく知っていたではないか。彼らは利用できるものは、とことんしゃぶり尽くす。家族として認識されていないマルグリットのことだ。ようやっと役に立つと嬉々として酷い目に遭わせてくるだろう。役に立つ次世代が生まれるまで、複数人の子どもを孕まされるなんて、彼らが喜びそうなことではないか。
「それでは、ただの家畜ではありませんか!」
「力のない者は、飼い殺しにされる。自分の身も守れない状態で、豊かな資源だけを見せつければ蹂躙されるのは当然の帰結だ」
(そうだわ。お母さまたちの手によって政略結婚させられるならまだまし。賢妃や楽妃は、目障りとなった私の完全なる排除を求めるかもしれない……)
「彼女に魔力を譲渡してもらうことを決めたのはわたし。わたしが、彼女を危険にさらす……」
「大切な友人を守りたいのなら他に方法はないよ。この功績はお前ひとりのものだと言って微笑んでいなさい。お前のその綺麗な顔が役に立つ時が来た。若くして昇進するお前を僻む神官もいるだろうが、その程度のプレッシャーに潰されそうになるのであれば、お前にあのお嬢さんを守るのは無理だ。彼女に手を差し伸べるのはもうやめなさい」
がたんと何かが倒れる音がした。椅子に座っていたディランが荒々しく立ち上がったようだ。自分の身を守るために魔法が使えるようになりたいと思っていた。けれど、それだけでは駄目なのだ。うまく生きるためには、隠し事だってしなければならないし、汚いものだって飲み込まなければならない。
(魔力量が多いことは、バレてはいけない。そして魔法、固有魔法まで使えるようになったかもしれないことは、ディランさまにも伝えてはいけない。王族の固有魔法の中には、嘘を暴く魔法だってきっとあるはずだから。迷惑をかけてはいけない)
「目の前の友人ひとり守れないような人間が、神官としてひとを救いたいだなんておこがましいです」
「ならば、力をつけることだよ。お前が彼女に希望を見せたのだから、お前は彼女の希望の光を消さないように、もっと強くならなくては。わしはあと数年で、神官長を退くよ。後任にはお前を指名するつもりでいるから、それまでに実績を上げなさい」
「言われずとも」
(友人、そうよ、友人。あの口づけも周囲のみんなを助けるための救命行為のひとつ。ディランさまにとっては気に留めるほどのことでもない。でも、私にとっては良い思い出ね。好きなひとと口づけしたことを覚えていれば、この先、どんなに愛のない結婚をすることになったとしても生きていけるわ)
自分の淡い初恋に気が付いた瞬間、マルグリットはその想いを心の奥底に封じ込めることに決めた。今までディランには相当に良くしてもらってきたのだ。心を砕いてくれたのも、自分が気の置けない友人だから。ならば、自分は友人としてディランの役に立つ王族であり続けよう。そのために、もっと強くならなければ。
「……うん、ディランさま? ここは? 私は一体……」
「メグ、目が覚めましたか!」
今起きたばかりの振りをしながら、マルグリットはこれからの生き方を決めた。
そして数年後ディランは、マルグリットが成人した年に神官長の地位に就くことになる。それは至上最年少での神官長就任という快挙であった。
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