第6話 王女は魔力を譲渡する。

 マルグリットが魔法を学び始めて一年が経っていた。神殿での子ども向けの授業は無料だが、その分各々ができる形でのお礼をする決まりになっている。余裕がある家庭であればお金を、お金がなければ食べ物を、それも難しければ労働で神殿にお返しをするのだ。もちろん持ち出すものが何もないマルグリットは、働くことで対価を支払うことになっていた。


「マルグリット、水汲みはもういいよ。あたしの分が早く終わったから、水魔法で給水してついでに洗濯までしておくから。一気にやった方が、魔力の消費も抑えられるし」

「ごめんね。それじゃあ、私はみんなが洗い終わった分の洗濯物を干してくるね」


 ともに学び始めた子どもたちは、それなりに成果を出していた。生活魔法が使えるようになったことで職人に弟子入りした子どももいれば、より高度な魔法を学ぶために神官になることを決めた子どもいる。今一緒に奉仕作業をしている少女たちも、しばらくすれば自分たちの得意な水魔法を活かした職に就くのだろう。


「メグは、丁寧に干してくれるから皺が少ないってみんなが誉めてたよ。アイロンがけも上手だし、気にすることないって。神官さまたちのローブも、メグのおかげでぴかぴかじゃん」

「うん、ありがとう」


 自身の属性が水以外であることを知り、他国へ旅立った子どもだって現れていた。もちろん肩身は狭いが、魔法を使うことを諦めて暮らすことを選択する場合も少なくない。国を出るというのは、それだけ難しい選択なのだ。自分よりもずいぶん年下だというのに、彼らはマルグリットよりも何歩も先を歩いている。


 見習いだったディランもまた神官に昇格していた。真面目さだけが取り柄ということもあり、こつこつと訓練だけは続けているマルグリットだが、時々どうしようもなく落ち込んでしまう。


(私ひとりが、何も変われていない。神殿のみんなは優しくて馬鹿にされることはないけれど、その優しさが時々すごく苦しい)


 マルグリットは、両のてのひらまじまじと見つめるとちいさく肩をすくめる。あの日、水の石によって初めて認識できた魔力の流れは、またすぐに感じとれなくなってしまった。ディランの伝手でこの神殿の神官長に魔力の流れを確認してもらったこともあったが、どうやら彼女の魔力の出口は信じられないほどに細いらしい。針で突いた穴よりもさらに細く、完全に塞がっているわけではないことだけが救いだという状態だというのだ。


『ディランさま、無理矢理、出口を開げて引き出すことはできないのですか?』

『できないことはありませんが……』

『では、ぜひお願いします』

『わたしがですか』

『ディランさまにお願いすることはできませんか?』


 普段はマルグリットの疑問に誠実に答えてくれるディランが、あの時は妙に歯切れの悪い返事だったのが気になった。その上この件についてはおしまいとすぐに切り上げられた挙句、それ以降は話をはぐらかされるようになってしまっている。無理にねだることはできないのだろう。


(もしかしたら肉体や精神に損傷が出る可能性があるのかしら……。でも、私が魔法を使うためにはディランさまに魔法をお願いするしかない。一体どうすれば……)


 かつてのやりとりを思い返しながら、洗濯物を干す。気持ちのいい快晴で、風もよく吹いている。今日は洗濯物がよく乾きそうだ。ぼんやりとしつつも手だけはてきぱきと動かしていると、何やら騒々しい声が聞こえることに気が付いた。持ち場を離れて様子を見に行ってみれば、血相を変えた神官が何やら大声でわめきたてている。


「ディラン、手伝ってくれ! 手負いの魔獣が市場で大暴れしている。このままだと、死人が大量に出るぞ!」


 その言葉に、ディランがとるものもとりあえず神殿を飛び出していく。マルグリットはそのあとに少し遅れて、神殿に併設されている治療院の荷物持ちとしてディランを追いかけることになった。



 ***



 初めて足を踏み入れた市場は酷い有様だった。辺りには鉄がさびたような臭いと、大小さまざまな悲鳴に、助けを求める泣き声が混ざり合っている。到着時には騎士団によって魔獣は討伐されたようだが、偶然市場に居合わせた人々が魔獣の犠牲になったらしい。子どもにすがりついて泣きわめいている母親や、ぐったりとして動かない妻にすがりつく夫などその場はまさに地獄絵図。


 吐き気をこらえながら、マルグリットも患者の手当てを行う。こんな場所であればこそ、魔法の使えないマルグリットでも貴重な戦力だ。一か所に患者を集め、軽症者は一般的な外科治療で対処していく。治癒魔法が使える神官は貴重だ。魔力も有限のため、一刻を争う重傷者を優先しなければならない。


 顔を青ざめさせながらも神官たちが手を止めることなく治癒魔法をかけ続けているのは、有事の際には彼らが前線に出ることもあるからなのだろう。屋敷の中で過ごすことの多い貴族お抱えの治癒術師では、こうはいかないと思われた。


 そもそも有事の際でも、彼らが手伝いにはくることはない。平民の治癒、しかもこういった事故の際には報酬を得ることができないからだ。だからこそ、神殿の神官たちはできる限りの治療を行う。完璧に傷を治すことはできなくても、大きな傷を塞げば出血を止めることができる。それだけで生き残る確率は上がるのだ。


「ディラン、神官長は固有魔法持ちだろう。どちらにいらっしゃる!」

「本日は中央神殿の方に外出中です。お戻りを待っていては、手遅れです」

「くそが。ディラン、お前の師匠だろう。どうにかしろ!」

「無茶を言わないでください」

「このままだと、俺たちが先に魔力切れだ」


 魔獣の知らせを持ってきた神官が、ディランと一緒に行動していた。どうやらかなり気心のしれた間柄らしい。


(聞いたことがあるわ。ディランのお師匠さまは、固有魔法で目視できる範囲の患者を、一度に癒すことができると。その上、かなり深い傷も治せるのだとか)


 神官たちの顔色が悪かったのは、現場の凄惨さのせいだけではなかったようだ。現場の怪我人に対して、治癒魔法を使うことのできる神官が少なすぎるのだ。


(ディランさま!)


「おい、大丈夫か」

「少しふらついただけです。こっちはいいので、向こうへ行ってください」

「魔力切れで死ぬなよ」

「先輩こそ」


(魔力切れで死ぬ可能性があるの?)


 ぐらりとよろめいたディランが、倒れかける。地面に膝をついて、息を荒げているディランを見て、マルグリットは覚悟を決めた。慌てて走り込むと、ディランの手を取って懇願した。


「ディランさま、私の魔力を使ってください」

「メグ、あなたは何を言って」

「魔力の譲渡は可能なはずです。以前異母兄に、『使えない魔力なら、俺に譲渡しろ』と言われたことがあります。『役立たずが役に立てるのだから泣いて喜べ』とも」

「まさか、同意したのですか?」

「いいえ。その時は、乳母が箒を持って異母兄を追い回しているうちに、母の耳に騒ぎが届いたようで。それでおしまいです」


 散々に母親に打ち据えられたことは言わなかった。今は言う必要のないことだ。


(売女と罵られたのはなぜだったのかしらね)


「……そうですか。思った以上に、王族は屑ぞろいだということですね」

「ええと、そう、かもしれません? よくわかりませんが、異母兄の言い方を考えると、私の魔力の出口が細すぎることと、魔力の譲渡は別問題なのですよね?」

「そうだとも言えるし、そうでもないとも言えます。ただ、お覚悟が必要です」

「もちろんです。どんな痛みにも耐えてみせます。それで、罪のない人々が助かるのでしたら私は喜んで協力しましょう」

「わかりました。メグ、これは事故です。緊急避難です。犬に嚙まれたようなものだと思って、諦めてください」

「は、い?」

「王女殿下、ご無礼をお許しください」


 周囲に他のひとがいなくても、ここ最近はずっとメグと愛称で呼んでくれていた。それなのに久しぶりに改まった敬称で呼ばれた挙句、謝罪されて、マルグリットは少しだけ寂しくなる。はっきりと明確に線引きをされたように感じたのだ。それなのに。


(どうして、抱きしめられているの?)


 少年さが抜け、急激に大人びてきた美しいディラン。その美貌が自分の目の前に近づいたかと思うと、温かく柔らかいものが自分の唇をふさいでいることに気が付く。それがディランの唇だということを理解した瞬間、マルグリットは自身の身体から急激に魔力が解放されていくのを感じた。

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