第5話 王女は神殿で魔法を学ぶ。

 離宮の崩れた壁の向こう側の通路を辿り、マルグリットは街外れにある水の神殿に顔を出した。貧しい家庭の子どもたちに混じって炊き出しの列に並んだことはあるが、堂々と神殿内に立ち入るのは初めてである。きょろきょろと辺りを見渡していると、ディランが声をかけてきた。


 どうやらすでに授業を受ける子どもたちが集まっているらしい。マルグリットが見る限りみんなずいぶん年下のようだったが、誰も彼女が年上であること、ましてや王族だとは思いもしないようだった。栄養不足で発育不良な上、擦り切れた服を着ているマルグリットは、どちらかというとこの子どもたちの中でも貧相な部類だったのだ。


「メグ、ようこそ」

「よ、よろしくお願いします」


 頭を下げつつ、自分の名前を噛みしめるように心の中で「メグ」と何度も唱えてみる。上手くやっていけるだろうかと抱えていた不安と緊張は、一瞬で吹き飛んでしまった。


(初めて誰かに愛称を呼んでもらったわ。勉強ができることも嬉しいけれど、愛称を呼んでもらえるというのは、こんなに嬉しいことなのね)


 それだけでも、離宮を抜け出すという冒険を選択した甲斐があるというもの。渋る乳母に協力をお願い、万が一兄姉たちが離宮に来た場合には具合が悪くて寝込んでいると伝えてもらうようにしている。原因不明の嘔吐と下痢を繰り返していると伝えれば、笑いながら帰っていくことだろう。何せ本当に高熱で死にかけた時でさえ、宮廷医から薬をもらうこともできなかったのだから。


「みなさん、新しく入ってきたメグです。魔法に関しては、みなさんが先輩になりますので、優しく教えてあげてくださいね。今日はメグには魔力検査を行いますので、みなさんはそのまま練習を続けているように」


 子どもたちは、自分の中にある魔力を探知し、魔力の流れを把握する訓練をしているようだ。新入りの彼女にまとわりつくこともなく、繰り返し訓練をしている子どもたち。その真剣さに圧倒される。時折力を制御できなくなるのか、霧を発生させたり、小規模な雨を降らせたりしている。マルグリットには、まだ自分の中の魔力もうまく感じられない。


(学んだことが生きる力になる。この子たちは、私よりも人生のことをよくわかっているのね)


「メグ、いいですか?」

「え、あ、はい」


 子どもたちに気をとられていたことはバレていたらしい。慌てるマルグリットの前に青、赤、緑、黄のガラス玉が並べられた。とてもきれいな色をしていて、なぜだか無意識に指を伸ばして触りたくなった。


「これはとても貴重な魔石です。青色が水の石、赤色が火の石、緑色が風の石、黄色が土の石です。落として割らないようにしてくださいね。神殿からの持ち出しも禁止されている特別なものですので」

「そういうことは、最初におっしゃってください!」

「失礼。それでは、ひとつずつ触ってもらいましょう。黄、緑、赤、青の順に触ってもらえますか」

「わ、わかりました」


(どうしてかしら。青の石が気になって仕方がないわ)


 だがそれでも言われた通りに、魔石に触れていく。土の石、風の石、火の石。いずれもつるりとしたごくごく普通のガラス玉と同じ感触だ。魔石は魔力が込められた特別な石だというが、その特別感は何も感じられない。不思議に思いつつ水の石を握ったところで、玉は強く輝きだした。


 慌てて手を離そうとしたが、糊でくっつけられたように魔石は手から外れてくれない。あまりのまぶしさに、周囲の子どもたちもふたりの方を振り返る。


「きゃっ」


 驚いたマルグリットが悲鳴をあげかけたところで、ディランが水の石を回収する。子どもたちに向かって、加減を間違えてしまいましたと笑いかけていたが、マルグリットは先ほどの感覚のことで頭がいっぱいだった。


(水の石に身体の中の魔力が引っ張られていた。あれは、確かにお兄さまやお姉さまと同じ匂いの魔力だったわ)


 自分の魔力を感じたのは初めてだが、何度もぶつけられてきた家族の魔力は嫌でも身体が覚えている。


 母である麗妃と顔が似ていなくても、不義の子だと賢妃や楽妃たちから罵られなかった理由が子の魔力だ。魔力の匂いや型は、血の繋がりがあれば似たようなものになる。だからこそ、出来損ないのマルグリットの存在は彼らを苛立たせることになるのかもしれなかった。



 ***



「やはり、メグの属性は水属性でしたか」

「属性? 水の国に生まれたら、水属性になるのではありませんか?」


 魔石を片付けてきたディランの言葉に、マルグリットは首を傾げた。


「属性は血に宿りますので、半分正解です。けれど、両親や祖父母……いいえ近親者に限らず遠い先祖であっても誰かが水の国以外の四王国出身だった場合には、別の属性を発現させることがあるんですよ。水属性を持っていなければ、どれだけ練習したところで水魔法は使えません。この場合、どうしても魔法が使えるようになりたければ、属性と同じ加護の国に行く必要があるのです」

「そう、なのですね。初めて知りました」

「平民の間では当然の事実なのですがね」


 教えてもらった内容に、マルグリットは考え込んだ。水の国の王族や貴族は、水魔法が使えることを何よりの誇りに思っている。いつまで経っても水魔法が使えるようにならなければ、家から放逐されてしまうだろう。


 他の属性が使えるのだと説明されたところで、刷り込まれた感覚はすぐには変えられない。それに他の属性が使えることを大っぴらにすれば、先祖に水王国以外の血が入っていることが明らかになる。それは、恥ずべきことだと考えられたのだろう。


 魔法が使えないことで平民落ちしたマルグリットの乳母も、水以外の属性を持って生まれてしまったのかもしれない。そのことに思い当たり、胸が痛くなった。


「旅にはお金がかかりますよね。そう簡単に属性と同じ加護の国へ行くことは難しいのでは?」

「もちろんです。そもそも許可なしに国を出ることはできませんし、何の伝手もなく他国へ入ることもできません。この場合は、神殿が後ろ盾となります」

「神殿が、ですか? それは神殿に何の利益があるのでしょう?」


 マルグリットの質問にディランは苦笑した。ひとさらい扱いされないように、この辺りのことはたびたび説明することになっているのかもしれない。


「見返りなしの慈善事業というわけではないのですよ。他国へ渡った際には、その後必ずその国の神殿で神官として働いてもらわなければなりません。もちろん何年かあとで還俗することはできますが。何事も無料というわけにはいかないのです」

「逆にそれを聞いて安心しました。ただより怖いものはありませんものね」

「そういうことです」


(でもそれならば、この水の国の属性を持ちながら魔法を発動できない私は、どうすれば魔法を使えるようになるのでしょうか。魔力の流れを意識しただけで解決できるようになるとは思えない……)


 マルグリットは、火の石、風の石、土の石に反応しなかった自分のてのひらを見つめながら、小さくため息をついた。

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