第4話 王女は魔法の勉強を志す。
次の満月の夜、マルグリットは前回と同じように夜会への出席を許されることはなかったが、おとなしく引き下がった。もちろん、少しだけしょんぼりしたように装うことは忘れない。マルグリットの異母兄・姉たちは、マルグリットが悲しむ様子を見ていたいのだ。ただしあまり度を越えてべそをかけば、鬱陶しがった同腹の兄姉たちに酷い目に遭わされる。子どもながらにその塩梅を覚えてしまったのは、少し悲しいことなのかもしれなかった。
打ち捨てられた庭園でひとり月を眺めていると約束通りディランが現れた。関わり合いになるのは面倒くさいだろうに、律儀に顔を出した神官見習いの優しさにマルグリットは胸がいっぱいになる。また泣きたくなるのをぎゅっと我慢して、儀式の最中からずっと隠し持っていたものを彼に差し出した。ディランに借りたものとは異なる、新しい刺繍入りのハンカチだ。
「先日はありがとうございました」
「これは?」
「お借りしたハンカチを洗ってお返ししようと思ったのですが、その、お返しできない状態になってしまいまして……」
優しい顔で話を聞いていたディランだが、マルグリットの両手の状態に気がついたらしい。不意に厳しい表情に変わる。
「何があったのか聞いても?」
「普段離宮にひとが来ることはないのですが、あの日は珍しく……。そのまま庭に干してあったハンカチに、火をつけられてしまいました。私に魔法が使えれば、すぐに火を消すことができたのですが」
「だから、両手に包帯を巻いているのですね」
「あっ」
そっと両手を握られて、マルグリットは驚いた。一瞬で痛みが消え去ってしまったことで、再び治癒魔法を使わせてしまったことに気が付く。水魔法が使える水の国の中でも、治癒魔法が使える者は希少だ。こんな風に何度も治療をしてもらうなんて、本当は難しいことなのだということを王宮の隅っこで暮らしている彼女はよくよく理解していた。
「お礼を伝えるつもりが、またよくしてもらって」
「こういうときは、ありがとうと言ってもらえたらそれで十分です。そして、まずは自分を大事にすることを覚えてください。あなたが怪我をする方が、ハンカチが駄目になることよりもずっとわたしは悲しいです」
「はい」
黄色い悲鳴を上げたくなるような甘い台詞に、頭がくらくらするのをじっと耐えた。神官見習いの美少年は可哀そうな王女を気の毒に思って、相手をしてくれているだけだ。良くしてもらったことに感謝をすることは大切だけれど、変な勘違いをしてはいけない。うっかりすると顔が赤くなりそうな自分に活を入れる。
「ただでさえ不器用なのに、火傷をしていたせいであまり針をうまく動かせなくて。みっともない出来でお恥ずかしいです」
周囲に奪われないように隠し持っていたせいで、ハンカチはすっかりよれよれだ。普段は王族としての教育を受けられないことについて考えないようにしていたが、今回ばかりはつい残念に思ってしまった。王族の生まれだと証明できるくらいには、身の内にかなりの魔力が存在している。これを使って、せめて守りの魔法でも付与できたならこのハンカチもそれなりのお礼の品になっただろうに。
「王女殿下は、魔法を使いたいのですか?」
「そう、ですね。それはやはり、使えた方が便利だと思います」
「お覚悟さえあれば、魔法を勉強する場所をご紹介することができますよ」
「え?」
突然のディランの言葉に、マルグリットは驚いた。王宮の中では、マルグリットは先生に教えを乞うこともできない。図書室への出入りも禁じられている。そんな中で一体どうやって学べというのだろうか。
「神殿では、平民の子どもたち向けに魔法を教えています。水の国に生まれたのであれば、水魔法の訓練をしておかなくては逆に生活に困ることになってしまいますからね。もしも、王女殿下が離宮から外へ出ることができるのであれば、一緒に学ぶことができるでしょう。ただ、『外に出る』ということが王族の方には何より難しいことだと思うのですが」
「それならば大丈夫だと思います。私、外へ通じる道を知っているのです」
マルグリットの言葉に、今度はディランが大きく目を見開く番だった。
***
「王女殿下、それは」
「たぶん、城の中で何かがあった際への逃げ道なのだと思います。普通はもっとしっかり隠されているのでしょうけれど、離宮は放っておかれていますから。ある日突然壁の一部が崩れて、向こう側に通路があることがわかったんです。その道を通ると、実は王都の外れにある水の神殿に着くんですよ。私、実は神殿の炊き出しでご飯をいただいたこともあるのですよ」
「それは、不用心なのでは」
「通り抜けられるのは、王族だけみたいでしたからたぶん大丈夫かと。乳母からは壁の向こうの道も見えず、通ることもできませんでしたから」
「王族専用の抜け道、ですか。固有魔法で隠匿されているのでしょうね」
「固有魔法ですか?」
マルグリットは、ディランの口から出た言葉に首を傾げた。普段から、ごく普通の生活魔法にすら触れ合ってこなかったマルグリットには馴染みのなさすぎる単語だったからだ。ディランはそんなマルグリットに呆れることなく、ゆっくりと説明を始めた。
「王女殿下は、国王陛下が『特別』だと耳にしたことはありませんか? 四王国による統治に不満を抱いた小国が戦を仕掛けてきたが、すべてことごとく退けたという話はご存じでしょう?」
「はい。誰にも傷つけられることがなかったと」
「それは、陛下の水魔法が特別なのです。魔力の高い人間の中には、『固有魔法』と呼ばれるそのひとだけが使える魔法を持っていることがあります。例えば、国王陛下の固有魔法は『水鏡』と呼ばれていて、受けた攻撃をすべて相手に跳ね返すことができます。戦をしかけてくる相手には、非常に厄介な魔法なのです。同じように、かつての王族の誰かが子孫のために魔法を永続的に定着させたのでしょうね。すごい方がいたものです。いつかこの目で見てみたいものですね」
「あの……」
どうやら離宮の壁にかけられた魔法はとてもすごいものらしい。よければご覧になりますかと言いかけて、マルグリットは慌てて言葉を飲み込んだ。異性を招くというのは、男女の関係を求めることを意味している。それはまだ成人前のマルグリットだって教えられていたことだった。
(おかしなことを口走って、ディランさまに嫌われなくてよかったわ)
慌てて、予定していたものとは違う内容を口にする。
「ディランさまも、固有魔法をお使いになることができるのですか?」
「ありがたいことに。せっかくですから、ご覧に入れましょう」
「ディランさま?」
『見つかったか? はあ、神官さまは一体どちらへ行かれてしまったんだ。確かにああも群がられては、少しは離れて休憩したくなる気持ちもわからんではないが。王族に八つ当たりされるこちらの気持ちもわかってほしいものだな』
『まったくだ。いい加減お戻りいただかなくては、そろそろ近衛騎士の首が飛ぶぞ』
突然聞こえてきた聞き覚えのない声と、その内容の物騒さに肩が跳ねた。その後も会話は続いていたようだが、ディランが手をかざせばその声は途端に聞こえなくなる。
「ディランさま、これは!」
「あまり距離が離れていては使えません。せいぜい目視できる範囲のみですが、それでもいろいろと有効ですよ」
視線の先をたどれば、人影がふたつこちらに向かって歩いてきていた。そろそろおしゃべりの時間はおしまいのようだ。
「私も、使えるようになれるでしょうか」
「固有魔法は、魔力の量以外の要素がまだ十分に研究されていません。魔法の練習をしたからと言って、確実に発動させることができるというものではないのです。それでも、魔法の練習をしていれば、何もしないでいるよりもずっとその可能性は高くなると思いますよ」
(力をつけることは、自分の身を守ること。そして自分の未来を変えること。そのためには、私はがむしゃらに学ばねばならないのだわ)
ディランの言葉にマルグリットは、城を抜け出して魔法の勉強を始めることを決意した。
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