第3話 王女は見習い神官に憧れる。

「……あなたは」

「見習い神官のディランと申します、マルグリット王女殿下。よろしければこちらを」


 ハンカチを差し出され、戸惑いつつありがたく受け取った。よほど酷い顔をしていたのだろうか。思い切り泣きべそをかいていたことに、今さらながらに恥ずかしさを覚える。赤くなった顔を隠すように、マルグリットはハンカチで顔をぬぐった。


「私のことをご存じでしたか」

「はい。先ほどは、お声をかけるのが遅くなってしまい申し訳ありませんでした。表立って口を挟んでよいものかわからず……」

「先ほど? あ、あの……。いいえ、こちらこそ、ありがとうございます」


 儀式の際に彼が王族に声をかけたのは、ただ予定をつつがなく進めていくためだと思っていた。助けられたのはあくまで偶然なのだと考えていたが、まさか見かねて助け舟を出してくれていたとは。意外な事実に、慌てて礼を述べる。


「ディランさまは、どうしてこちらに?」

「あの後夜会に参加していたのですが、少々困った事態になりまして。疲れていたこともあり、気分転換に庭園で一休みすることにしたのです」


(ああ、彼はとても美しいから。お姉さま方にまとわりつかれてしまったのね)


 事情を察したマルグリットは、小さくため息をもらした。神官はその身を女神さまに捧げている。還俗しない限り、結婚することはできない。けれど彼の美貌にくらんだ多くの貴人たちに秋波を送られていたのだろう。断り方を間違えれば恨みを買いかねない。美男は美男で、醜女とは異なる苦労が待っているらしい。


 とはいえそれでも疎まれ虐げられるよりは、幸せなのかもしれない。美しいディランの顔を見ていると、普段は考えないようにしている妬み嫉みが湧き上がってきて苦しくなった。自分のことを慮ってくれた相手に、なんと失礼なことを考えてしまうのか。そんな自分だから、兄姉とは違う見た目に生まれてしまったのか。


「お怪我はございませんでしたか。帰り際、足を引きずっておられたのが気になっています」


(なんて優しいの。本当にお気の毒な方。面倒くさい王族に絡まれていてようやく逃げ出せたと思ったら、今度は役立たずの王女の慰め役が回ってきてしまうなんて)


 マルグリットは何も言えないまま首を横に振った。自虐のつもりが思いのほか堪えて、また涙があふれ出す。借りたままのハンカチで押さえたところで、一向に止められない。そんなマルグリットを前に、ディランはどこか物憂げな顔をしていた。


「まったく、世の中というのは、ままなりませんね。王女殿下は高貴な血筋のお生まれながら見目によってお辛い思いをされ、わたしは神官の道を志しながらやはり見目によって周囲の雑音に煩わされる」

「え?」

「し、失礼いたしました!」


 当人も目を丸くしている。どうやらうっかり口が滑ったらしい。思いがけず聞いてしまったディランの本音に、マルグリットは固まってしまった。



 ***



 王宮ではもう当たり前になってしまった日常。けれど、やはり外部の人間から見れば異常な世界なのだろう。


「女神さまへ祈りを捧げる儀式だったというのに、不快なものを見せてしまいました。本当に申し訳ありません」

「確かに不快でしたよ。女神さまへの儀式だとはとても信じられませんでした」


 反射的に謝罪するマルグリットを前に、ディランは眉間に皺を寄せ厳しい言葉を口にした。

 心底不愉快だという表情に、胸がきゅっと痛くなる。


「まだ幼いあなたに、あれほどの仕打ちをするとは。どれだけ外見が美しくても、あんな醜悪な振る舞いをする者が王族だなんて、水の国の人間として恥ずかしいです。この国の王族はまるで神の代理人のように振る舞っていますが、わたしに言わせればあくまで女神さまのしもべに過ぎません。国や民、そして世界の平和を守るための任を与えられているだけで、特権階級でふんぞり返ることを約束された立場ではないはずなのです」

「……ディランさま、意外と過激でいらっしゃるのですね」


 見た目に似合わず大胆な話をする姿に、流れていた涙も引っ込んでしまった。彼は儀式の最中に目にしたマルグリットへの周囲の人々の態度に思うところがあったらしい。あるいはマルグリットとは違う形で人間の醜さを目の当たりにしてきたのかもしれない。


「このような見た目をしているといろいろありますから。すっかり考え方が擦れてしまいまして」

「お互い、苦労いたしますね」

「ええ、本当に」


 実感がこもりすぎている返事に、マルグリットは口角を上げた。女神さまの御使いのような外見の彼は、非常に理性的かつ現実的な性格をしているようだ。


 庭園には、草花が自由気ままに生い茂っていた。ディランが白い花をつけた樹木を撫でている。生きることに必死なマルグリットにとって、王宮内に生えている木は薪に使えるかどうかや、食べられるものがなるかどうかが重要だ。それなのにディランがそこにいるだけで、マルグリットにはその白い花が特別美しく思えた。


「王女殿下。無責任に励ますことはできませんが、わたしは大事なのは見た目ではなく自分が何を考え、どう行動するかだと思っています。他人に何を言われても、自分の心の中までは変えられません。わたしたちは、自分の信じる道のために前に進んでいくしかないのです。そして、そのためには力をつけるしかありません」

「周りの言葉に、すべてが嫌になってしまうことはないのですか?」

「ありますよ。でも、無責任な他人のために何かを諦めるのはおかしいと思いませんか?」


 平穏無事に過ごすため、ただ目をつけられないようにひそやかに生きてきたマルグリットはディランの言葉に目を見開いた。神官見習いの美少年は、マルグリットとは違う困難を抱えながらも、自分の信じる道を歩んでいるらしい。


 すっとディランがマルグリットに手をかざした。泣きはらしたまぶたがすっきりとしていく。気が付けば儀式の間から突き飛ばされたときの膝の痛みもすっかり引いてしまっていた。


「すみません。自分語りが過ぎましたね。これ以上、ここで休んでいてはせっかくの良い休憩場所を見つけられてしまいます。そろそろ戻ります」

「あの、ハンカチ、新しいものをお返しします」

「別に構いませんよ。どうぞお気になさらず。ああ、よかった。笑っている王女殿下はとてもお可愛らしいですよ」


 どこまでも完璧な答えを返すディランに、マルグリットは圧倒された。王族という生まれながらみんなに嫌われていじけている自分とはまったく異なる世界の住人。たとえば魔法を学んだとして、自分は変われるのだろうか。


「また今度、私とお話してくださいますか!」


(なんて、はしたいないお願いをしてしまったのかしら。私なんかに時間を割いてほしいだなんて。そもそも彼は、お姉さまたちの相手ですら煩わしいと言っていたのに)


 それでも八方塞がりのマルグリットは、はじめて見つけた希望の光を手放したくなかった。たとえ守られることのない約束になったとしても、未来への望みを持って生きていたい。


「わたしでよければ喜んで。また、次の満月の夜にここでお会いしましょう」


 嫌がられることを覚悟で手を伸ばしてみたはずが、ディランは柔らかな微笑みとともに約束を交わしてくれた。

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