第2話 王女は見習い神官に出会う。

 四王国の王族たちには、ある特別な義務が設けられている。満月の夜には、必ず王族全員で自国に加護を授けてくれた女神たちへ祈りを捧げなければならないのだ。そして儀式を終えたあとは、高位貴族を招き王宮にて夜会を催すことになっていた。


 誰からも顧みられない水の国の末王女マルグリットであっても、この時ばかりは王族としての振る舞いが求められる。たとえ、マルグリットの存在が目障りであったとしても例外は許されない。だからこそ、マルグリットは妃たちや兄姉たちから辛く当たられてしまうのだ。


「あら、マルグリット。なんてみっともない格好なのかしら。夜着で儀式に参加するなんて、頭がおかしいのではなくて?」

「姉上。マルグリットのあれは、夜着ではありません。着た切り雀なので、何度も洗濯をするうちに、向こう側が見えてしまいそうなほど生地が薄くなってしまっただけのようです。まったくまだ成人もしていないというのに、媚びることだけは一人前とは」

「まあ、そんな服しか用意できないなんて、麗妃さまのご実家は財政状況が悪くていらっしゃるのかしら。マルグリットがやせっぽちなのは、日々の食事にも事欠いているからではなくって? 本当にお気の毒だこと」


 マルグリットへの辱めは無視できても、自身の実家への侮辱は看過できなかったらしい。怒りの矛先は賢妃と楽妃の子どもたちではなく、出来損ないの我が子へと向かった。


「マルグリット!」

「……ご、ごめんなさい」

「その口の利き方はなんなの!」


 名前を呼ばれた瞬間、謝罪を口にするが、同時に乾いた音が広間に響いた。まだ幼いマルグリットは、頬を打たれた勢いに負けて床に倒れ込む。じんじんと痛む頬を押さえたくなるのを必死にこらえながら、床に額をこすりつけた。


「申し訳、ございません」


 ドレスを用意できないのも、三食しっかりと栄養のあるものをとることができないのも、マルグリットのせいではない。むしろ必要なものを与えない嫌がらせは、実母である麗妃が筆頭で行っていることなのに、彼らはマルグリットが自分たちに恥をかかせたと怒るのだ。理不尽な論理を振りかざす相手には、相手の気が済むまで謝ることしかできない。


(どうしてこんなことになってしまったのかしら……)


 金切り声を浴びながら頭を下げ続けていると、耳に心地よい涼やかな声がするりと入ってきた。


「失礼いたします。儀式の準備が整いました」


 こんな騒ぎの中、恐れることなく声をかけてきたのは、神官見習いの少年だった。たいていの場合、神官たちもマルグリットの扱いには目をつぶる。その他大勢の王族を敵に回してまで、マルグリットを保護する利点がないのだ。むしろ末王女に肩入れすれば、不利益ばかりを被ることになる。だから今回彼の声かけで窮地を脱することができたのは、きっと偶然なのだろう。


 うつむかせていた顔を少しだけあげてみる。ちらりと覗いた神官見習いは、美しい兄姉たちを見慣れていた彼女が驚いてしまうほどの美少年だった。マルグリットのことなど忘れたように、姉王女たちは神官見習いを笑顔で取り囲んでいる。彼は大層な人気者らしい。


 その隙にのろのろと立ち上がると、マルグリットはふらつく足で壁の方まで下がっていく。


(私も、彼みたいに綺麗だったなら、もっと幸せになれたのかな)


 そして儀式の間中、物言わぬ女神の像をひとり見上げていた。



 ***



 儀式が終われば、恒例の夜会の始まりだ。

 実はマルグリットは、この夜会に参加したことがない。夜会に参加するには幼すぎたためだ。けれど、つい先日マルグリットは誕生日を迎えた。マルグリットのすぐ上の姉王女と同じ年齢になったのだから、今夜からは夜会に参加できるかもしれない。


 そう思って普段は儀式の後にすぐに離宮に戻っていたマルグリットもその場に残っていた。そんなマルグリットに気が付いた異母兄姉たちは、意地悪そうな笑みを浮かべて彼女を取り囲む。


「あら嫌だ。マルグリットったら、自分も夜会に参加できると思っていたんですって」


 マルグリットの周囲でどっと笑いが起きた。名ばかり王女なのは、自分が一番よくわかっている。邪魔にならないように、夜会の隅っこにいられればそれで満足だった。きらびやかな世界をのぞくことができて、ついでに夜会のごちそうを少しばかりちょうだいできたらそれで引き上げようと思っていたのに。


(儀式が始まる前に、お兄さまたちもお姉さまたちもおっしゃっていたじゃない。それなのに、どうしてまだここにいようと思ってしまったのかしら。こんなところで、勇気を出しても無意味だって少し前の私に伝えてあげられたらいいのに)


 王宮には少しずつ招待客が到着しているらしい。儀式の間から離れたところにあるはずの大広間からは、きらびやかな音楽と人々のざわめきが聞こえてくる。


 同腹の兄姉たちは、マルグリットがまた騒ぎを起こしたと判断したようだ。鬼のような形相で麗妃たちが早足で近づいてきた。マルグリットが自分から揉め事を起こしたことなんて、ただの一度もなかったのに。


「これ以上、僕たちに恥をかかせるな」

「本当にみっともない子」


 母であるはずの麗妃に突き飛ばされて、両膝をひどく擦りむいた。心と身体がじくじくと痛み、マルグリットはとぼとぼと歩き始める。


 マルグリットの住む離宮と夜会を行う王宮の間には、誰も足を踏み入れない打ち捨てられた庭園がある。手入れもされていないので荒れ放題だ。


 その誰にも必要とされていない様子がどうにも他人事には思えなくて、マルグリットは足を止めた。嫌われることにはもう慣れているつもりだったのに、毎回悲しいと思ってしまう自分が情けない。マルグリットは思わずしゃがみこんだ。


(特別なことを望んだわけではないの。ただ、みんなと同じになりたかった。他の家族と一緒に夜会に出てみたかっただけ。家族として紹介してほしいなんて我儘は言わない。せめて同じ場所にいさせてもらえたら、それで十分だったのに)


 泣いて泣いて泣き疲れて。それでも涙は止まらない。一体、どれだけの時間が経っただろうか。


「すみません。どなたかそこにいらっしゃいますか? どうなさいましたか?」


 しゃくりあげるマルグリットにかけられたのは、涼やかな優しい声。涙でぐちゃぐちゃの顔をあげると、そこにいたのは先ほどの儀式に出席していた神官見習いの美少年だった。

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