第33話 王女は国王と決別する。

「お断りします。そのような取引、お話にもなりません。そもそも勇者さまが、国を乗っ取ろうとするだなんて。」

「だが、そもそもお前は王族だ。国家のためにその身を捧げることは当然のことだと思わんのか」

「王族として暮らしてきたならともかく、人間としてまともな生活も送らせてもらえない中で、義務だけ果たせと言われましても」

「父親の頼みが聞けぬと?」

「私はあなたのことを父親だと思ったことはありません。私を育ててくれたのは、エマの母です。彼女の恩義に報いるためにも、私は勇者さまとエマを助けたい。そして、私に手を差し伸べてくださったディランさまを不幸にするわけにはいかないのです」


 怪我が治り、顔色がよくなったとはいえ、いまだ意識を取り戻していない勇者の妻を抱きかかえながら、それでもマルグリットはきっぱりと父親の要求を拒絶した。昔のマルグリットなら、「家族」という言葉で強制されたことに歯向かうなんて考えもしなかっただろう。


 けれど、今のマルグリットには血は繋がっていなくても互いを思いやることのできる「家族」がいる。都合の良いときにだけ、「家族」を持ち出してくる国王の言葉など響かない。むしろ嫌悪感が増すだけ。


「王族である誇りを忘れ、家族を捨てるとな?」

「王族の誇りなど最初から私にはありません。そして、この王宮に私の家族はもともといなかったのです」

「なるほど。歯向かうつもりだというのなら、それもよかろう。だが、儂の固有魔法でまともな攻撃もできない中、どうやって状況を打開するつもりなのか。聞かせてもらおう」


 できるはずがないとわかっているのだろう。獲物をいたぶるような残忍なまなざしが、じっとりと身体を這う。ずっと昔から、家族に向けられてきたべとついた視線だ。それでもマルグリットは国王の要求に屈するつもりはなかった。


「国王陛下に質問がございます」


 マルグリットの言葉を黙って聞いていたディランが、ゆっくりと目を閉じた。胸元に手をおくと、光も射していないというのに唐突に何かがきらりと光る。


(あれは、風の国から届いた手紙に同封されていたブローチ。ディランさま、てっきり神殿に置いてきたと思っていたのに、既に身に着けていらっしゃったのね。でも、どうして……?)


「今までの会話を他の人々が聞いていたとして、それで本当に問題ないとおっしゃいますか? 」


 ディランは怪訝な顔をする国王にも見えるように、自身が身に着けているブローチを指さした。


「これは、ブローチ型の魔道具です。対になる魔道具を持っている人間と会話をすることができます」

「ほう、そんな便利なものがあるとは知らなんだ」

「まだ開発中のものです。誰もが使えるものではありません」

「なるほど、水魔法ではなく他の属性の魔法か。あるいは、神官長の固有魔法が音に関するものでそれを利用しているものなのか。いや、両方を組み合わせている可能性もあるな。まあいい。それが手に入れば、理論はこちらで解明できる。軍事的に非常に有用な魔道具だな」


 マルグリットはまさかの事実に目を見開いた。まさかそんなとんでもないものが、あんな無造作に手紙に同封されていたとは。手紙ではなく直接おしゃべりをしたい。純粋な気持ちが込められた魔道具に最初に伝えられた会話がこんな低俗で下衆なものだったなんて、本当に情けないことだけれど、確かにこれはマルグリットたちにとっての切り札だった。


「渡すつもりはありませんよ。先ほども申し上げました通り、この魔道具の対を持っている人間は、この部屋で起きた出来事を知っているのです。他国の人間ですから、握りつぶせると思わないほうがいい。あなたがたが下世話な発想で勇者とその妻を自分たちのいいように扱おうとしていたことがこれ以上広がることは避けねばならないのでは?」

「ははははははは。それで? たったそれだけのことで儂を脅すつもりか?」

「国を導くべき王族が、自身の欲に負けて行動しているなど、恥以外の何物でもありますまい」


 力のある平民勇者を王女との政略結婚で国に縛り付けるというやり方も、相当に強引なものなのだ。受け入れられたのは、平民が夢見るような恋物語が流布されていたから。当人同士のどろどろは見せないまま、綺麗な上澄みだけを披露したからこそ、人々は憧れ、熱狂した。


 それがどうだ、今回は理想のおとぎ話とは真逆の、生々しい欲望ばかりが露わになった。物語の悪役のような台詞の数々。これが世間に広まれば、王族の求心力は格段に低下するだろう。


「はったりか?」

「……申し訳ありませんが、返事をしてもらえますか? 安全のために、所属は名乗らないで結構です」

「……今までの話、しかと聞かせてもらった。陛下、言い逃れはできますまい」

「なるほど。よくできている。だが、それがどうした」

「往生際の悪いお方ですね」


 世界を救った勇者を傷つけ、勇者の妻を辱めた国王たちへの非難を真っ向から受けたにもかかわらず、国王たちは自分たちの非を認めようとはしなかった。



 ***



「一体誰が信じる」


 両手を広げ、国王がせせら笑った。成り行きを黙って見守っていたらしいマルグリットの兄たちもまた、父親に同調するかのように緊張感のない笑みを浮かべてみせる。


「何を」

「儂は水の国の王。そして、お前は魔王討伐の旅に同行したとはいえ、たかが神官ではないか。その上、この魔道具の繋がっている先はおそらく他国の神殿であろう? 繋がりがあるのは、水魔法が使えぬ出来損ないが、国を渡って神官見習いとして働いているからにすぎない。つまりは、ただの戯言で片付く話だ」

「どういう意味でしょう?」

「どちらが信ぴょう性があると思っているのだ。高貴なる王族の主張と、勇者とはいえ平民の主張。本来の王女と自分の妻を入れ替え、王位の簒奪を目論んだ男だぞ?」

「彼は王位の簒奪など!」

「どう思ったかなど無意味だ。何が起きたか、それについて人々がどう思うか。人間は弱く愚かだ。強きものには誰もが従う。見たいものしか見ようとはしない」


 国王は目をすがめ、小さく息を吐き出した。祈りの間には王族と神官以外は入れない。そして真実を知るのは、ごくごく一部の神官のみ。真実を声高に告げたところで、国民たちはどうせ誰も信じはしないと高をくくっているのだ。


「国王が暴虐非道の暴君であると国民を納得させたいのであれば、女神に裁きを下してもらうことだな」


 神話を引き合いに出して、国王は嘲り笑った。かつて四王国にそれぞれの女神が加護を授けるに至る過程で、極悪非道の国々は女神たちによって裁きを受けたのだという。弱く正しいものを拾い上げ、驕り高ぶる悪党たちから力を取り上げたのだとか。それは、小さな子どもに繰り返し語られる昔々のおとぎ話。嘘をついてはいけない、ひとのものを盗んではいけない、誰かを傷つけてはいけない。そんな道徳を学ぶための物語だ。


 だが、女神像は黙したまま語らない。実際、王女と勇者の妻が入れ替わりをしていたことは王の目を欺く詐欺行為であり、この部分を突かれるとマルグリットたちも弱いのだ。


(でも、こんな横暴な行いが許されていいはずがない。少なくとも、こんな自分勝手で残虐な男が、国王として国をまとめられるはずがないわ。水の女神さまは、こんな自分たちの欲望を叶えるために、水の加護を私たちに与えてくださったわけではないのに!)


「水の女神さまがいらっしゃったなら、きっと陛下の横暴をお裁きになったでしょう」

「やはり、お前は失敗作だ。治癒術師として手元に置いておくつもりだったが、不愉快だ。とっとと去ね」


 その言葉を待っていたかのように、兄王子たちの誰かがすかさず攻撃を放ち、マルグリットの肩を水の刃が貫く。エマは勇者の、マルグリットはディランにとっての人質だ。だから、直接命を奪うような行いはしないのではないかと思い込んでいた。王族の男どもは、彼女が想像していたよりもよほど直情的な人間だったらしい。


(うそ、力が入らない)


 マルグリットは抵抗できないまま、泉の中にゆっくりと落ちていく。

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