第10話 王女は勇者と密談する

 王宮から神殿への道を抜けると、マルグリットは勇者に向かって小さく頭を下げた。忽然と現れたマルグリットに驚いたのか、彼は目を丸くしている。


(久しぶりの抜け道……。ここを使ってお会いするのがディランさまではなく、勇者さまだなんてなんだか変な感じがするわね)


「勇者さま、お呼びだてして申し訳ありません。私の住む離宮や勇者さまのご自宅は監視されている可能性が高いため、神殿までご足労いただきました」

「それは別に構わないが、その通り道は一体……? まさか離宮からこの神殿まで繋がっているのか。緊急事態とはいえ、なんと不用心な。王宮に侵入してくださいと言っているようなものだぞ」

「勇者さま、まさかこの抜け穴が見えるのですか?」

「見えるも何も、そんな風に隠す気のない抜け穴を放置しているなんて、王族の気がしれない。せめてもう少し蔦で覆うなり目眩ましをしなくては」


(これは一体どういうことなのかしら。まさか、勇者さまは……)


 マルグリットは急いで抜け道の中に戻ると、勇者を手招きした。ディランのように魔力の高い神官でも、抜け道の中に入ったマルグリットのことは視認できない。もしも、勇者がマルグリットのことを認識できるということは、それはつまり……。


「勇者さま、もしよろしければこちらの通路に足を踏み入れていただけますか?」

「王族以外が足を踏み入れたら、何か罠が発動するんじゃないだろうな」

「そもそもこちらは、王族以外には目にすることも、通り抜けることもできない固有魔法をかけられた抜け道なのですよ」

「なんだと?」


 何の問題もなく抜け穴に入ってきた勇者は、先ほどのマルグリットの言葉を噛みしめるように壁を叩いた。


「それはつまり、俺にも王族の血が流れているということか」

「おそらくは」

「それを公表すれば、あんたとの結婚は不要になると思うか?」

「むしろ、さらに結婚を強行されるでしょうね。王家の血が平民の間に流れることは、王家の望むところではありませんから」


(でもこの件は、思わぬ収穫だったわ。これなら、もしかしてうまくいくかもしれない)


 この件は確実に自分たちにとっての切り札となる。マルグリットは、ひとり確信しながらうっすらと微笑んだ。



 ***



「エマの具合はどうですか? 倒れたと聞きましたが」

「俺が勇者に選ばれた段階で心配していたのに、王家からの要求で心労がたたったらしい。ずっと高熱を出してうなされている」

「面倒事に巻き込んで申し訳ありません。私ひとりなら、どんな政略結婚でも受け入れるつもりだったのですが……」

「まさか新婚早々こんな目に遭うなんてな」


 勇者の妻というのは、マルグリットを育ててくれた乳母の娘エマである。


 もともと神官長に想いを寄せていた王女だが、必要とあらば政略結婚の駒になる覚悟は最初からできていた。しかし、自分を育ててくれた恩人の娘であり、たったひとりの友人の夫を奪うことなどできはしない。


「それに、隣近所や同僚連中から、わけのわからん話を振られる。俺とエマが白い結婚? 王女との禁断の恋? 何の話だ?」

「さっそく、王家が仕掛けてきたのですね」

「儀式をしてからまだ数日も経っていないぞ。どういうことだ」

「もともと、あなたが私を娶ることに賛成するだろうという予想のもとで、ロマンチックな恋物語を作り上げていたようなのです。勇者を逃さないように、王家が末王女を押し付けたなんて言わせないために。それを少しばかり改変して、悲恋に仕立て上げてから流布したので噂が出回るのが早かったのでしょう」


 吟遊詩人が街角で物語を紡げば多くの平民たちは憧れを抱き、裕福な商人や貴族たちは劇場で身分違いの純愛に胸を震わせる。流行りの大衆小説で若い娘たちに訴えかければ、嘘混じりの真実はまことしやかに多くの人々に染み渡っていく。


「嘘混じりの真実じゃなくて、真実混じりの嘘だろうが」

「噂を使っての情報操作は王侯貴族の十八番ですもの」

「最悪だ。情報の使い方はピカイチってわけか」


 流された噂は、もともと惹かれ合いながらも身分差ゆえに結婚を諦めた勇者と王女の悲恋物だ。


 以前から、身分を隠し城の外へ行き、平民と交流しながら、よりよい国づくりを目指していた王女は、暴走した魔獣に襲われかけたところを勇者に助けられる。


 だが、このとき勇者はただの平民の騎士でしかない。決して結ばれることのない身分違いの恋。その上、有望な男には騎士団から縁談が持ち込まれてきた。もちろん理由もなしに断ることなどできない。


 夫婦になれずともそばにいたかったと嘆くふたりに、王女の乳母がとある提案をしてきたのである。


 自分の娘と男に白い結婚をさせましょう。形だけの結婚式を挙げて、娘が隠れ蓑になれば、男はこれからも王女だけを想って生きていけるのだからと。


 もちろん王女は反対した。自分たちの恋のために、乳母の娘を不幸にすることはできないと。だが、乳母の娘も王女の役に立つことを望んでいるのだという。魔力がほとんどなく、魔法も使えない母娘を養ってくれた王女に恩を返したいというのだ。


 そうして乳母の娘と男が結婚をしてしばらく、男は勇者に選ばれた。これで王女を堂々と迎えに行くことができる。結婚式を挙げたばかりで申し訳ないが、ふたりの幸せを願ってくれた乳母の娘ならわかってくれるはずだ。


 そう思っていた勇者は、乳母の娘から真実を聞かされて愕然とする。乳母の娘は、ずっと昔から勇者に惚れていたというのだ。白い結婚だろうが、結婚してしまえばこっちのもの。乳母もまた、実らぬ恋に苦しむ娘を不憫に思い、白い結婚を王女に提案したのだという。


 とはいえ、いくら結婚式を挙げてはいても神殿で書類が受理されていなければ、問題はない。ところが出す予定のなかったそれもまた、乳母の娘が勝手に提出していたのだという。そして、今もなお乳母の娘は離縁を拒んでいるというのだ。


 そのため、勇者と王女はようやく結ばれるかと思いきや、再び別れ別れになってしまったのである。安易に白い結婚という隠れ蓑を選んだことは愚かだったのかもしれない。しかし、若さゆえの過ちにここまで苦しめられる必要があるのだろうか。せめて、魔王討伐という任務を背負って旅立つ勇者に、愛するひととの生活を夢見させてやることはできないものか。


 そんな嘆き調子で、今話題の勇者と謎に包まれた末王女との恋物語が語られれば、人々の間にはあっという間に広がっていく。


「魔獣の暴走事故であなたが活躍した件を、ここで効果的に絡めてくるなんて思いもしませんでした」


(私の外出や魔法の件までバレているのかと焦ったけれど、そこまで調査の手は伸びていなくて安心したわ。ディランさまとの関わりも極力減らしておいてよかったわ)


「無茶苦茶じゃないか。謁見の間で、あんたを王笏で打ち据えていたひとたちとは思えないほどロマンチックに仕上げてきやがった」

「受けがいい物語を作るのは得意なのです」

「それで、ここからどうやって逆転をはかる? 正直、エマとエマの母親を連れて逃げ出すくらいしか打開策が思いつかん。あんたには悪いが、俺はエマが大事だ」

「わかっております。あのとき助けてくれたのも、目の前で見殺しにするのは気の毒だったからでしょう? それだけでも十分に感謝しております。そんなあなただから、私も信用しているのです。勇者さま、私と取引をしませんか?」


(大切なひとを守るために、手段は撰べない)


「取引?」

「ええ。エマたちを守るために世界を敵に回す覚悟があるのでしょう? だったら、分の悪い賭けにものってみませんか?」


 マルグリットは、軽い言葉とは裏腹に厳かな声でそう提案した。

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