第11話 王女は神官長に問いただされる。
王女が勇者と密談を行った数日後は、恒例の満月の夜の祈りの儀式が行われていた。つつがなく儀式を済ませたマルグリットは、久方ぶりに打ち捨てられた庭園へと足を運ぶことにする。初めて会ったあの日と同じように、庭園には白い花が咲いていた。花の香りは面紗をつけていてもよくわかるものだと感心していると、心地よい低音に声をかけられた。
「お久しぶりですね」
「こんばんは、ディランさま。来てくださるような気がしていました」
「何をおっしゃるのやら。ここに急に来なくなったのは、あなたの方ですよ。わたしは神官長に任命されてからも、ずっと儀式の後にはここに顔を出しています」
どこか拗ねたような声音に聞こえたのは、マルグリットの気のせいだろうか。久しぶりに間近で見るディランはすっかり背も伸び、体躯も筋肉質で引き締まったものになっている。見上げる角度が変わっていることにも驚いた。
(遠くから見ていたときにも感じていたけれど、近くで見るとよくわかる。ディランさまは、すっかり大人の男性になってしまわれたのね)
「神官見習いから、神官長まであっという間でしたね。本当におめでとうございます」
「今さらですか」
「神官長に就任されてから、ディランさまはますますお忙しかったようですから」
「そういうことにしておきましょうか」
ディランが頭角を現し出世すれば出世するほど、マルグリットは彼から距離を置いた。輝かしい彼の未来を、たかが友人である自分が邪魔をしてはいけないと思ったからだ。マルグリットは王族でありながら、彼にとっての弱みでしかない。足をひっぱるくらいなら、彼の活躍は遠くから眺めているだけでも十分だった。
「それならば今日はどうして?」
「出発前に、お会いしたかったのです」
「その顔を覆う面紗すら取らずにですか?」
ディランは、もうすぐ勇者たちと一緒に魔王討伐の旅に出る。神官長の中でも年若いディランだが、その魔力と魔法は折り紙付きということで、精鋭部隊に選ばれたのだ。出立の儀式の際には、表立って言葉を交わすこともできない。だから、最後にディランと話をしたくてここへやってきた。
「これは……、申し訳ありません。お恥ずかしながら呪いがかかっているために、離宮以外では外せないのです。」
「そう、ですか。すみません。わたしの方こそ、あなたの立場も考えずに失礼しました」
ともすれば不敬ともとられかねない発言に苦笑しつつ、マルグリットは率直すぎるディランの言葉に懐かしささえ感じた。神官長になった彼は、誰に対しても穏やかで物腰柔らかに接していて、子どもの頃のような不躾なほどのまっすぐさは見られなくなっている。
少しばかり失礼な物言いにさえ愛おしさを感じてしまうのは、やっぱりマルグリットにとってディランが特別だからなのかもしれない。思わず面紗を外したくなり、けれどぐっと堪えた。面紗に力をかけたせいか、反発が生じて指先を火傷する。
本当は無理矢理呪いを解除できるだけの魔力は持っている。けれど魔力もほとんどなく、かつ魔法を扱えない末王女を演じているから、やらない。外せないのではなく、外さないだけだ。
それに面紗越しではなく直接ディランの顔を見てしまったら、心の奥底に隠した恋心があふれかえってしまいそうだった。好意を返してもらえないのは構わない。もともと手が届かないことは承知の上で恋をした。けれど相手の心に無遠慮に踏み込んで嫌われるのが怖かったのだ。
マルグリットは、彼が高貴な女性たちに好意を寄せられていることに嫌悪感を持っていることを知っている。あの時の彼の表情や声音をよく覚えている。同じような蔑んだ目で、自分を見てほしくなかった。
(最後の思い出があの冷たい眼差しなんて嫌すぎるもの)
「はあ、今、面紗に触って火傷をしましたね。手を見せてください。治療しましょう。まったくあなたときたら、わたしといるときはたいてい怪我をしているじゃないですか」
「ごめんなさい」
「先日は……わたしの方こそ庇うことすらできずに申し訳ありません」
「あれは、誰にもどうしようもありませんでしたから」
ディランが苛立たし気に髪をかきあげる。その仕草に見惚れつつ、好きなひとを不愉快にさせてしまう自分をほんの少しだけ申しわけなく思った。
***
「ところで、勇者殿との婚姻の件はどうなったのですか?」
「そのことですが……」
マルグリットが指を指し出すと、一瞬ディランが動きを止めたようだった。どうしたのだろうか、少し顔色が悪いように見える。
「勇者殿の魔力が……」
「え?」
「王女殿下は、勇者殿との婚姻を受け入れることにしたのですね?」
先ほど質問をしてきたはずなのにすぐさま納得したよう質問されて、マルグリットは目を丸くした。疑問が確信に変わる理由が、この一瞬に見つかるものだろうか。
(それにふたりだけの場だというのに、メグではなく王女殿下と私のことを呼んだ。ディランさまは、今私との間に線を引かれた……)
どこまでディランが気づいたかわからない。マルグリットが望んだことか。勇者が望んだことか。あるいはその両方か。それがわからないからこそ、マルグリットはただひたすらディランに頭を下げるしかなかった。
「どうか今気が付いたことは、誰にもおっしゃらないでくださいませ」
ディランの手が小さく震えているのがわかる。気が付けば、先ほど面紗を掴んだ時にできた火傷は既にきれいに治っていた。
「勇者殿との婚姻はあなたが望んで受け入れたのですか? 国王陛下やあるいは勇者殿に脅されて無理矢理」
思ったよりも強い口調で問いただされて、マルグリットは小さな声でおずおずと答えた。堂々とディランの方を向いて返事ができなかったのは、自分でもこの選択が自己満足に過ぎないことを理解しているからだ。
「ち、違います。これは、私が自分から勇者さまにお願いしたことなのです」
「あなたが、勇者殿に願い出た?」
「勇者さまは、最後まで嫌がっておいででした。ですが、私はずるい人間です。欲しいものは指を咥えているだけでは手に入らないと知っております。どんな手段であろうと、使えるものは使うことにした。ただ、それだけのことです。恥ずべきことだと思われるのならそれはそれで仕方がありません。それでも私は今、幸せなのです」
自分の選択は間違っていないと思っているはずなのに、どうしてだか泣き出したくなる。この選択を積み重ねた先にある未来では、たとえ勇者とディランが魔王の封印に成功し、水の国へ無事に帰ってきても、マルグリットはマルグリットとしてディランを迎えることはできない。それが無性に寂しかった。
「……勇者殿の一番大切なものが何かわかっていて、その選択をしたのですか?」
「もちろん。勇者さまの一番大切なものは、これまでもこれからも奥さまです。それがどうかなさいましたか?」
「わかりました。そこまでおっしゃるのならば、わたしからこれ以上何も言うことはありません」
(勇者さまは一番大切なエマを守るために、魔王を討伐する旅に出る。だったら私も、ずっと私を気にかけてくれていたディランさまを守るために、命を賭けるわ。ディランさまがいなければ、私はもっと小さいうちに王宮の隅で死んでいて、未来を夢見ることも、恋をすることもできなかったのだから)
「ディランさま、どうぞご武運を」
「……ありがとうございます、王女殿下」
(勇者さまと私が交わした「女神の誓約」は、私が私のために決めたこと。ディランさまにお礼を言ってほしくてやったことじゃない。だから、誓約に制限がなかったとしても、ディランさまには伝える必要はないわ。でも、もうメグとは呼んでくださらないのね)
王族だけに許された誓約魔法の行使に気づかれたかと慌てたり、愛称を呼んでもらえなかったことで傷ついたりと忙しかったマルグリットは、ディランがとんでもない誤解をしていたなんて思いもしなかったのである。
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