第12話 王女は神官長に誤解される。
マルグリットと勇者はあの抜け道での密談の直後、今後を乗り切るためにいくつかの大きな決断をしていた。そのうちのひとつが通称、「女神の誓約」の使用だ。
王族だけに許された「女神の誓約」は、約束を守るために互いに命を預け、それぞれの心臓に魔力を刻み込む。誓いを破ることがあれば事前に刻まれた魔力によって心臓を食い破られるのだ。一般の国民には存在さえも秘匿された特別な魔法を開示し、あまつさえその使用を勇者に提案していた。
『こんな誓約魔法を持ち出してきて、何をするつもりだ』
『もちろん、あなたとエマを助けます。私の命に代えても』
マルグリットの決断に、誓約の保証人として呼ばれていたエマは悲鳴を上げた。だが、マルグリットは譲るつもりなどなかった。この契約は、勇者だけではなくマルグリットにとっても有益なものだったのだから。
『けれど、ただというわけにはまりません』
『脅す気か』
『いいえ、ほんの少しのお願いをしたいだけ。哀れな王女のささやかな願い事です』
マルグリットは面紗の下で、薄く微笑んだ。
『あなたにとって何より大切なものがエマであるように、私にだって守りたいものがあるのです』
『……ディラン神官長か』
『……あら、一発で当てられてしまうなんて』
ディランの足を引っ張らないように、極力彼との関係は断ったはずだ。一体どこで悟られてしまったのか。困ったように小首を傾げるマルグリットに、勇者はこともなげに答える。
『あんたがこの誓約魔法を持ち出してきたのは、神官長が旅に同行することが発表されてからだったからな』
『それならば、話は早いですね。勇者さま、なにとぞ神官長さまを無事にこの国まで連れて帰ってきてくださいませ』
『心配せずとも、あいつは十分強いぞ』
『もちろん、神官長さまの強さは十分存じております。けれど、討伐隊は勇者さま第一で編成されていますから。万が一の際には、意識を保つことさえ難しくなるような大技を使う場合もあるでしょう。そんなときに、見捨てられてはたまったものではありません。どうか、神官長さまをひきずってでもこの国に連れて帰ってきてくださいませ』
マルグリットは、神官長への恋心を今まで誰にも打ち明けたことがない。彼女の告白に、エマは頬を染め、勇者は困ったように髪をぐしゃぐしゃにしていた。
『そんな大事な誓約の証人がエマでよかったのか。神官長を同席させた方が良かったんじゃ?』
『証人に立てるのはひとりだけ。そして私たち三人以外には、口にすることさえできなくなる。それならば、エマ以外にあり得ないでしょう。勇者さまは、そもそもエマに隠し事なんてできないでしょう? 逆に私は、昔から隠し事は結構得意な方なのです』
『言わないと後悔するぞ?』
『言っても後悔するだけです。神官長さまは、天におわす女神さまにその身を捧げた方。恋焦がれても仕方のないこと』
『あんた、馬鹿だな』
『馬鹿な選択をしたように見えるかもしれませんが、私にとっては何より大切なことです。神官長さまに出会わなければ、今ここに私は存在していないのですから』
(今の私があるのは、かつてディランさまが手を差し伸べてくれたから。守ってもらったぶん、今度は私がディランさまを守ります。お節介で自己満足なのは承知の上、迷惑がられるのは嫌だからディランさまに伝える必要なんてありません)
そうして互いに流れる王族の血と膨大な魔力によって、王女と勇者との間に女神の誓約が結ばれたのである。
***
恒例の儀式の後、ディランははやる心を抑えながら、いつもの庭園に向かっていた。
先日ディランは、マルグリットがかつて足を運んでいた神殿で勇者らしき人物を見たと聞いて胸騒ぎを覚えていた。念のため、抜け道のある場所にマルグリットが来ていないか確認に向かったのだが、そこにはマルグリットの姿も勇者の姿もなかった。考え過ぎか。踵を返そうとしたディランの元に、耳に馴染んだ柔らかい声が聞こえてきたのである。
――もちろん、あなたとエマを助けます。私の命に代えても――
――けれど、ただというわけにはまりません――
――脅す気か――
――いいえ、ほんの少しのお願いをしたいだけ。哀れな王女のささやかな願い事です――
聞き取れたのはそれだけだった。只人ならば空耳を疑ったかもしれない。けれどディランは、自分の固有魔法の精度をよく理解していた。今の会話は確かに、王女と勇者のもので間違いない。辺りを探ったが、ふたりの気配はどこにもなかった。
「目くらまし」などの魔法は、確かに術者の「姿」を隠してくれる。けれど、「音」は隠せない。特にディランのようにより高位の魔法であれば、隠匿している音も拾うことが可能だから、あれは移動途中のふたりが漏らした会話ということになる。
(メグは、勇者殿との結婚を望んだのか……)
マルグリットが国王から辛く当たられている姿を思い出し、ディランは顔をゆがめた。
王女としての役目を果たすなら、マルグリットの選択は間違ってはいないはずだ。それに実質、彼女に選択肢などあってないようなものだった。それなのにどうしてこんなに胸が苦しいのか。
(わたしは彼女に相談されたかったのかもしれない)
もしもマルグリットに、「自分を連れて逃げてくれ」と乞われていたら……。しばし目を閉じ、考えてみる。きっと自分はマルグリットの手を取るだろう。女神に仕える身の上でありながら、いつの間にかマルグリットの存在はディランの中で何物にも代えられないほどのものになっていた。
(いや、勝手な推測はよくない。庭園でメグ本人に彼女の気持ちを聞いてみよう)
だがその決意は、ディランがマルグリットの手に触れた瞬間に吹き飛んでしまった。
マルグリットの指先の火傷を治すためにディランの魔力を彼女の身体に馴染ませようとしたその時。まず感じたのは、勇者の魔力だった。ぞくりとするほどの違和感に、ディランの魔力は千々に乱れる。
あれは、相当にマルグリットの身体に馴染んでいた。かつてディランとマルグリットが交わした口づけ程度での魔力の交換ではありえないほどの深さと量だ。そこから考えられる事実はただひとつ、マルグリットは勇者に抱かれたのだ。それも彼女自身の言葉を信じるならば、自ら望んでその身を任せたのだろう。
――ち、違います。これは、私が自分から勇者さまにお願いしたことなのです――
――あなたが、勇者殿に願い出た?――
――勇者さまは、最後まで嫌がっておいででした。ですが、私はずるい人間です。欲しいものは指を咥えているだけでは手に入らないと知っております。どんな手段であろうと、使えるものは使うことにした。ただ、それだけのことです。恥ずべきことだと思われるのならそれはそれで仕方がありません。それでも私は今、幸せなのです――
――……勇者殿の一番大切なものがわかっていて、その選択をしたのですか?――
――もちろん。勇者さまの一番大切なものは、これまでもこれからも奥さまです。それがどうかなさいましたか――
――わかりました。それをわかっての選択だとおっしゃるのならば、わたしからこれ以上何も言うことはありません――
確認のための会話は、がりがりとディランの心の柔らかな部分を削りとっていった。自分が思った以上に傷ついていることがおかしくて自嘲する。
(メグは……、いいや、王女殿下は、勇者殿を選ばれた。しかも国のためではなく、自分が望んだのだと)
彼女のそばにいるために、恥も外聞もかなぐり捨てて、神官長まで上り詰めた。神官見習いから神官になったばかりの若造が、数年で神官長の地位を得たのだから、きれいごとばかりは言っていられなかった。見習いの頃とは違って王族に媚びも売ってきたし、末王女を守るために逆に人前で庇うことはできなくなっている。
王女を容赦なく打ち据える国王の王笏。ためらいなく切り捨ててみせた勇者は、確かにまぶしかった。そして、大切な彼女が傷ついているというのに見ているだけしかできなかった自分には、傷つく資格などないのだろう。
――ディランさま、どうぞご武運を――
それでもあの言葉は、自分の帰りを待っていてくれると都合よく受け取らせてほしい。マルグリットが自分を信じて待っていてくれるのなら、マルグリットの心を奪っていった勇者のことを何が何でも守ってみせる。
(あなたが勇者の無事を願うのならば、わたしも全力で勇者の旅路を支えましょう。たとえ生きて帰ってきたとしても、勇者の心があなたに向くことはない。それでもいいのだとあなたがそこまで心を傾けている男なのだから)
誰かに見られる前にと、そそくさと庭園を立ち去っていくマルグリットの後ろ姿をディランはいつまでも眺めていた。
数日後、勇者と末王女がごくごく簡単な婚約式を挙げると、水の国の勇者一行は魔王を封じるための旅に出たのだ。
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