第9話 王女は降嫁を拒まれる。

 聖なる剣に選ばれた男は、非公式に王宮へと招かれた。貴族……それも高位貴族であれば、それなりに王族の意を汲んだ立ち居振る舞いができるだろうが、平民ともなればそうはいかない。おかしなことを口にさせないために釘をさしておく。そんな思惑の絡んだ勇者任命の儀式は、最初から妙な熱気にあふれていた。


 平民とは思えない美丈夫。それはマルグリット以外の王族たちにとっての共通認識だったらしい。彼女たちは思い思いに着飾って、勇者に熱心に秋波を送っている。


(お姉さまたちったら。婚約者の方々に叱られても知りませんよ。それにご存じないでしょうが、勇者さまは新婚ほやほや。ちょっかいをかけたところで無駄なのに)


 乳母から話を聞いてはいたが、まさか乳母の娘婿が勇者に選ばれるとは。喜びよりも戸惑いの方が大きいと話していた乳母を思い出す。結婚したばかりだというのに、離れてくらすことになる不安を乳母の娘はしきりに訴えていたが、王女たちの視線すら完璧に無視する一途な勇者ならきっと大丈夫だろう。


 まったく相手にされずに諦めるかと思いきや、憎まれっ子世にはばかる。美しい姉王女たちは、自分になびかない男がいるなんて信じていないようだ。娘たちのざわめきなど意にも介さず、国王は鷹揚に勇者に声をかけた。


「勇者よ、そなたの活躍を期待しておるぞ」

「ありがたき幸せにございます」

「命を賭けて世界を救おうというそなたの働きには、我ら王族としても報いたいと思っている。ついては、我らの縁をより確かなものにするために我が末娘をそなたに嫁がせたいと思うのだが、いかがだろうか」


(ど、どういうこと? どうして、私なの?)


「まあ、どうしてあの子が?」

「いくら婚約者のいない王女があの子だけだからって。あの子に勇者の妻なんて身分不相応だわ」


 寝耳に水の内容にマルグリットは驚いた。他の姉王女たちにも知らされていなかったらしい。そこかしこから不満が漏れ出てきている。


 国王が、勇者を何らかの形で国に縛り付けておきたいと思うことは理解できる。何せ、今回は特例中の特例だ。水の国以外の四王国は、みんな王太子が勇者として討伐に参加しているのだ。水の国は、「水の女神さまは、国難に立ち向かうべくあえて国中の男たちの中から勇者を選ぶことを望んだ」という形で乗り切ったが、かなり苦しい言い訳だ。内情を知られるのはまずい。その上、万が一にでも勇者が他国へ出て行ってしまうようなことがあれば水の国は窮地に立たされる。


 だから王族との婚姻で勇者の動きを封じるというのは手段のひとつではあるのだ。もしも、勇者本人が王族への憧れや立身出世を望んでいるような人物ならば。だが、彼は非常に実直な平民だった。窮屈な貴族の暮らしに憧れることはなく、魔法が使えないだけでさらし者にあうような社交界に出たいとも思っていない。


 その上、彼は妻帯者だ。国王からの提案が呑まれる可能性は非常に低かった。


(陛下が、王族との婚姻を持ち出すことはわかる。けれど、勇者を王宮に招く段階で彼が既婚者であるという情報を掴んでいなかったとは到底思えない。それに、どうして私なの? 婚約者もいない未婚の王女は確かに私ひとりだけれど、陛下は政治のためなら既にある婚約の解消も新たな婚約も躊躇なく実行するはず。婚姻相手として降嫁させる王女が、私でなければならない理由は何?)


 どうにも嫌な予感がして止まらない。肌が粟立つような感覚。これはたぶん、ある種の予感だ。弱い生き物が持つ防衛本能。


「大変申し訳ございません。王女殿下の件は身に余る光栄かと存じますが、謹んで辞退させていただきたく」

「……なるほど。やはり、見目の悪い娘では食指が伸びぬと」

「そうではありません。ただ自分には、既に」

「やはり面紗で覆うだけでは見目の悪さは隠せぬようだ。のう、マルグリット」

「……は、い」


(陛下は、勇者の口から「妻がいる」とは言わせなかった。この方は、絶対に認めない。勇者の妻の存在を絶対に許しはしない)


 抑揚のない国王の声が恐ろしい。血が繋がっているとはとても思えない冷たい声に震えながら返事をすれば、勢いよく王笏が振り降ろされた。肩に鈍い痛みが走る。


(まずい、この方は本気だ。勇者が私のことを娶ると言うまで殴られる)


 その瞬間、マルグリットはようやく理解した。国王が、出来損ないの末王女を婚姻相手として用意した理由を。国王は、勇者が結婚していることを知っていた。そしてその妻が、マルグリットの乳母の娘であることもまた当然把握していたのだ。だからこそ、国王は勇者の前でマルグリットを血祭りに上げるつもりなのだろう。見知らぬ女を殴り殺すよりも、妻の友人を見殺しにする方が罪悪感が湧くとわかっているがゆえに。



 ***



(頭さえ殴られなければ、死にはしない。それに、陛下も気絶させるつもりはないでしょう。悲鳴を上げる女の方が、罪悪感はあおられる)


 そうわかっていながら、ぶるぶると震えが止まらない。いくら小さな頃から嫌がらせに遭ってきたとはいえ、ここまで露骨な、死に直結するような暴力は初めてだ。固有魔法である高位の治癒は使えるようになっているが、人前で使うことはできないし、密かに治せたところで苦痛の時間が長引くだけ。


 勇者に選ばれることはなかったが、それに匹敵するほどの魔力を持つ国王に攻撃され続ければどうなることか。逃げ出したくなるのを必死でこらえるが、恐ろしさで吐き気が止まらなかった。


「マルグリットなんかに勇者さまはもったいない」、そう騒いでいた姉王女たちも一斉に口を閉ざした。マルグリットがうっかり死んでしまった後に、次の交渉の道具にされるのはみんなごめんだからだ。


 よしんば結婚できたところで、既に愛する女がいるという男を篭絡させることは存外難しい。相手が女にだらしのない男であれば話は別だが、勇者は非常に潔癖で愛妻家のようだ。勇者の寵を受けられなければ国王を始めとする連中になじられ、家庭ではお飾りの妻にされる。万が一、愛する女が害されたならば一生涯恨まれるだろう。どう転んだところで、勇者との結婚生活は地獄である。


「この役立たずが! お前がぱっとしない女だから、こんなことになるのだ。聞いているのか!」


 王家の打診を無下にした勇者に対して鷹揚な態度をとっていたが、やはり腹に据えかねていたらしい。勇者に向かわなかった怒りは、そのままマルグリットにぶつけられるかと思われた。再び王笏が振り上げられる。


 儀式の間にいた者のほとんどが一斉に目をそらした。彼女がいたぶられることに慣れている姉たちでさえ、とっさに顔を背けた。マルグリットを見ているのは、ぎりぎりまで彼女を助けないと決めローブを握りしめて耐えるディランと、自分が彼女を娶ると言うまで、王笏で打ちのめされるらしいと思い知らされた勇者だけだった。


「陛下、少々お待ちを」


 振り下ろされた王笏を、勇者が聖剣で叩ききる。予想していたのか、国王は満足そうににやりと口角を上げた


「おや、勇者殿。勇者殿は、これには興味はないようだったが、思い違いか」

「この件につきましては、一度持ち帰らせていただきたく」

「構わんよ。娘と勇者殿は、既知の間柄のようだからな」

「……どうしてそれを」

「返事は早めに頼むぞ。魔王討伐の前に、婚約式はしておかなくては。それに合わせたドレスも必要だ。勇者殿を見送る一途な末王女の姿は、国民たちの語り草になるだろうよ」


 末王女との結婚の承諾以外の返事を聞く気はないと宣言した国王の前で、王女と勇者は何も言えないまま見つめ合っていた。

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